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  • 2011.05.14 Saturday
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ロンドンで「ウォーホルVSバンクシー」展開催中、って見に行きたい!!



ウォーホルVSバンクシー(Warhol vs Banksy)展

って、凄い企画だね!!


サムライは、バンクシーの「The Cat」↓が、結構好きだけど・・


バンクシー(Banksy)作 The Cat
バンクシー(Banksy)作 The Cat

ロンドンで「ウォーホルVSバンクシー」展開催



【ロンドン 10日 AFP】ロンドン市内のポロック・ファインアート(Pollock Fine Art)で8月10日から9月1日まで企画展「ウォーホルVSバンクシー(Warhol vs Banksy)」が開かれる。会場内には、米ポップアーティストのアンディー・ウォーホル(Andy Warhol)作のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)の肖像や、英グラフィティ・アーティストのバンクシー作のケイト・モス(Kate Moss)の肖像など40点あまりが展示されている。(c)AFP

(写真)ロンドン市内のポロック・ファインアート(Pollock Fine Art)に展示されたバンクシー(Banksy)作のケイト・モス(Kate Moss)の肖像(2007年8月9日撮影)。(c)AFP


アンディー・ウォーホルとは




アンディー・ウォーホル( 右)とカーター大統領(左)(1977年)
アンディー・ウォーホル( 右)とカーター大統領(左)(1977年)


アンディー・ウォーホル(Andy Warhol,本名Andrew Varchola,1928年8月6日 - 1987年2月22日)はアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。ウォーホールとも表記。銀髪のカツラがトレードマークだった。ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティストである。

目 次

1 作品
1.1 シルクスクリーンによる作品制作
1.2 映画制作
1.3 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとのコラボレーション
1.4 『インタビュー』誌

2 生涯
2.1 生い立ち: 誕生 - 大学卒業
2.2 ポップアートの誕生: 20代 - 30代前半
2.3 ファクトリーでの制作活動: 30代後半 - 40代
2.4 狙撃事件とそれ以降: 40代 - 没

3 関連項目

4 外部リンク



[1] 作品
シルクスクリーンの技法を用い、派手な色彩で同じ図版を大量に生産し、スターのイメージや商品、ドル記号など、アメリカ社会に流通する実体のない記号をアート化した。古典的な芸術やモダニズムの芸術など難解な芸術とは異なり、その絵柄はわかりやすく、豊かなアメリカ社会を体現するポップ・アートとして、また商業絵画としても人気を博した。

しかし、そこには資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さへの邁進、空虚さが表現されていると見ることもできる。普遍性を求めた彼の作品は、彼自身や大衆が日々接している資本主義やマス・メディアと深く関連しており、また事故や死のイメージもしばしば現れる。

彼は自身について聞かれた際、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と、徹底して「芸術家の内面」などといったものを排除し、無表情で、透明で、表面的であろうとし続けた。

彼は有名なものへの愛情を隠さず、スターや政治家や事故、有名な商品をしばしば題材に取り上げたのは、それが有名であり皆も自分も大好きだからだと述べている。また彼自身がアメリカの有名人になってからも、ペースを乱すことなく淡々と有名人を演じ、機械の様に作品を制作し続けることを理想としていた。


[1.1] シルクスクリーンによる作品制作
初期にはアクリル絵の具などでキャンバスに絵を描いていたが、1960年代以降はもっぱらシルクスクリーンを用いている。

孔版印刷であるシルクスクリーンの原理は平たくいえば「プリントゴッコ」のようなもので、作家が直接印刷に携わらなくとも制作できる、大量生産に適したプリント手法である。彼は機械を作るようにシルクスクリーン作品を製造する「ファクトリー」を設け多くの若者を雇って制作に当たらせた。一方で、同じ図版を利用して意図的にプリントをずらしたり、はみ出させたりした。

シルクスクリーンのモチーフとして以下のようなものを選んだ(一例)。

商品: キャンベル・スープの缶、コカ・コーラの瓶、ブリロ・ボックスなど、陳腐なほど有名な商品
有名人: エルヴィス・プレスリー、エリザベス・テイラー、イングリッド・バーグマン、クリストファー・リーブ、モナコ公女カロリーヌ、ジミー・カーター、ジョン・F・ケネディ、ジャクリーン・ケネディ、トルーマン・カポーティ、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンロー、マーロン・ブランド、ミック・ジャガー、チェ・ゲバラ、毛沢東、モハメド・アリ、レーニン

彼による肖像画は当時のセレブリティらのステイタスシンボルとされ、多くの有名人が自分の姿をプリントして欲しいと高額なギャランティーで依頼した
その他:ドル紙幣、原子爆弾、ピストル、ミッキーマウス、自由の女神、電気椅子、夕日、花、最後の晩餐

[1.2] 映画制作
多数の前衛的な映画を手掛けた。最も有名なものの一つは、眠っている男を8時間映し続ける『眠り (Sleep)』(1963年)。彼はアクション映画を嫌い(本質的に同じにも関わらず、ささいな差異にこだわっているから)、自分の映画では「本質的に同じのみならず、細部まで全く正確に同じであること」を望んだ。

延々と変化のない映像は、普遍的なものをテーマとしたウォーホルの視点から見ると、理想だったのかもしれない。 その後も映画制作を続け、劇映画も制作した。ニューヨークの有名ホテル「チェルシー」を舞台として、その各部屋で繰り広げられている人間の喜怒哀楽を、任意の2部屋分だけ適宜の時間セレクトし、2つのスクリーンを使って淡々とランダムに映し続ける(途中、どちらか片方のスクリーンには、不意にニコの美貌がランダムに挿入される)、『チェルシー・ガールズ』(1966年)は全米で公開され、大ヒットとなった。

1970年代に入ってからはそれまでの作品とは一転して『悪魔のはらわた』(1974年)や『処女の生き血』(1975年)といった摩訶不思議なホラー作品の総監修も行なった。


[1.3] ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとのコラボレーション
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground; 以下 V.U. と略) はギターのルー・リード、ヴィオラのジョン・ケイル、ドラムのモーリン・タッカーらによって1965年ごろ結成されたバンド。

ウォーホルは V.U. の前衛的な演奏を聴き、コラボレーションを申し込み、また、女優兼モデルだったニコを引き合わせ、ヴォーカリストとして加入させる。

1967年3月発売の彼らのデビューアルバム 『The Velvet Underground & Nico』(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)では、プロデュースとジャケットデザインを手掛けた。

シルクスクリーンによる「バナナ」のジャケットデザインは有名。前衛的な音楽だっためアルバムはあまり売れなかったが、後に再評価され伝説的な存在となる。ウォーホルは V.U. の楽曲を映画のサウンドトラックとして用いた。

しばらくしてニコは脱退し、セカンドアルバムの頃にはコラボレーションも打ち切られる。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとの関係は、映画『ルー・リード: ロックン・ロール・ハート / Lou Reed: Rock and Roll Heart』に描かれている。

またウォーホルの死後、リードとケイルは再結成し『Songs For Drella』(1990年)という追悼曲を作成した。Drella はドラキュラとシンデレラを足した造語であり、彼らによるウォーホルの印象を表している。


[1.4] 『インタビュー』誌
ウォーホルが企画し立ち上げた、インタビューのみで構成される月刊誌。1969年秋創刊。縦16インチ x 横10.5インチの大きな表紙に、旬の人物の写真を載せた。芸術、エンターテイメント、政治、ファッション、音楽、スポーツなどさまざまな分野におよぶ。


[2] 生涯

[2.1] 生い立ち: 誕生 - 大学卒業
ペンシルヴェニア州 ピッツバーグで、スロバキア (当時はチェコスロバキア) からの移民の子として生まれる (出生日や出生地には諸説ある)。兄が二人いる。両親は敬虔なカトリック教徒で、彼自身もまじめなクリスチャンとして育った。

生涯を通してミサに通う。体は弱かったが、早い時期から芸術の才能を現した。肉体労働者だった父は1942年、アンディが14歳のときに死去。その後は母ジュリア一人に育てられる。アルバイトをしながら地元の高校に通う。カーネギー工科大学 (現在のカーネギーメロン大学) に進学し広告芸術を学ぶ。1949年に卒業。


[2.2] ポップアートの誕生: 20代 - 30代前半
1950年代、大学卒業後はニューヨークへ移り、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』などの雑誌のイラストや広告を手掛け、繊細な画風で知られていた。

1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞しているなど、商業デザイナー・イラストレーターとして成功していたが、同時に発注者の注文に応えてイラストの書き直しに追われ、私生活では友情や恋愛に対して裏切りを受けるなど苦悩の多い時期でもあった。

彼は後に、機械のようにただ正確な制作に徹し、テレビ画面上のスターのように内面を切り捨て表層に徹する道を選ぶこととなる。この間に、線画にのせたインクを紙に転写するブロッテド・ラインという大量印刷に向いた手法を発明する。

1960年、彼はイラストレーションの世界を捨て去り、ファインアートの世界に移動する。『バットマン』、『ディック・トレーシー』、『スーパーマン』など、漫画をモチーフにした一連の作品を制作するが、契約していたレオ・キャステリ・ギャラリーで、同様に漫画をモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインの作品に触れて以降、この主題から手を引いてしまった。当時アメリカは目覚ましい経済発展のさなかにあった。

1961年 (33歳)、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。ポップアートの誕生である。1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになる。モチーフにも大衆的で話題に富んだものを選んでいた。

マリリン・モンローの突然の死にあたって、彼はすぐさま映画『ナイアガラ』のスチル写真からモンローの胸から上の肖像を切り出し、以後これを色違いにして大量生産しつづけた。ジェット機事故、自動車事故、災害、惨事などの新聞を騒がせる報道写真も使用した。

ウォーホルの多くの作品はアメリカ文化とアメリカなるものの概念をテーマにしている。彼の選んだ紙幣、ドルマーク、食料品、日用品、有名人、ニュース写真、事故などは、彼にとってアメリカの文化価値を代表するものだった。

たとえばコカ・コーラは「コークはいつでもコーク。大統領の飲むコークも僕の飲むコークも同じだから」というわけで民主主義社会の平等性を表すものだった。こうしたポピュラーなイメージや手法を、彼は20世紀アメリカの文化的アイデンティティーを視覚化するために使用した。

世界に影響を持つに至ったアメリカ文化の再定義はウォーホルのテーマであり、ウォーホルもまた世界的に影響を持つようになった。


[2.3] ファクトリーでの制作活動: 30代後半 - 40代
1963年(35歳)からはニューヨークにファクトリー (The Factory、工場の意) と呼ばれるスタジオを構える。ファクトリーはアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間であり、あたかも工場で大量生産するかのように作品を制作することをイメージして造られた。

彼はここでアート・ワーカー(art worker; 芸術労働者の意)を雇い、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作する。ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などアーティストの集まる場となる。

1965年(37歳)、ロックバンド ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとコレボレートし、デビューアルバムのプロデュースやジャケットデザインを行う。

シルクスクリーンプリント制作の傍ら1963年から1968年にかけて、60を超える映画作品を撮る。しかし一般公開されたものは少ない。初めて一般公開された作品は1966年の『チェルシー・ガールズ』。

芸術の世界の外では、アンディー・ウォーホルはこの時期に名声や有名人について語った言葉("15 minutes of fame")で有名になった。「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう。」1970年代末に彼は「60年代の予言はついに現実になった」と話したが、マスコミからこの言葉について毎回尋ねられることにうんざりし、このフレーズを「15分で誰でも有名人になれるだろう(In 15 minutes everybody will be famous.)」と言い換え、以後回答を断るようになった。


[2.4] 狙撃事件とそれ以降: 40代 - 没
1968年6月3日 (40歳)、ウォーホルは「全男性抹殺団(S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men)」のメンバーだったバレリー・ソラナスという女性に拳銃で狙撃される。

ソラナスはファクトリーの常連であり、ウォーホルに自作の映画脚本を渡したりウォーホルの映画に出演したりしたことがあった。三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通した。彼は重体となるが一命をとりとめる。この事件は「アンディ・ウォーホルを撃った女 / I Shot Andy Warhol」として1995年に映画化されている。

1969年にはインタビューだけで構成された『インタビュー』誌を発刊する。1970年代と1980年代は社交界から依頼を募り、ポートレイトのシルクスクリーンプリントを多数制作する。1970年には「ライフ」誌によってビートルズとともに「1960年代にもっとも影響力のあった人物」として選ばれる。1972年、ニクソンの訪中にあわせて毛沢東のポートレイトを制作した。同年、母がピッツバーグで死去。世界中で個展を開催する。

1974年には初来日。1982年から1986年にかけては災害や神話をモチーフとした一連の作品を作成する。最後の作品は1986年のレーニンのポートレイトなど。

1983年から1984年にかけて、TDKビデオカセットテープのCMにも出演。『イマ人を刺激する』と題して、右肩にテレビのテストパターン(カラーバー)を持ちながら「アカ、アオ、ミドォリ、グンジョウイロ…キレイ」と(たどたどしい日本語で)静かに呟くだけであったが、視聴者に強烈なインパクトを与えた。大きなテストパターンを背景に、猫の格好をした女性が横に付き添うバージョンもあった。

1987年2月21日、ニューヨークのコーネル医療センターで胆のう手術を受けたが、翌22日、容態が急変し心臓発作で死去。享年58。生涯独身だった。ピッツバーグの聖ヨハネ・バプテスト・カトリック共同墓地に埋葬されている。

ピッツバーグの北部海岸にアンディ・ウォーホル博物館(外部リンク参照)がある。一人の芸術家に特化した美術館としてはアメリカ最大。


[3] 関連項目
キャンベル・スープ
ブリロ
ブラニフ航空

[4] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、アンディー・ウォーホルに関連するマルチメディアがあります。アンディ・ウォーホル/andy warhol
The Andy Warhol Museum
Virtual visit in Musée d'Art Contemporain de Lyon.
Warhol Foundation in New York, New York.
Artinthepicture.com: Andy Warhol A general introduction, biography, quotes, and art works by the Pop Art Icon.
Andy Warhol Profile Includes a biography, selection of images, famous quotes, and links to the artist.
Two short articles about Warhol's 2002 museum retrospective from the art magazine "X-Tra"
Actual exhibitions with Andy Warhol on Artfacts Andy Warhol's works are still widely at present in various shows and permanent collections in museums or galleries throughout the world.
Andy Warhol Poetry Tribute
http://www.the3graces.info A warholesque biography of Andy Warhol.
Internet Accuracy Project - Andy Warhol
Doubletake Gallery Online Catalog of Limited Editions
Art Gallery - Andy Warhol
カテゴリ: アメリカ合衆国の画家 | アメリカ合衆国の美術家 | ポストモダン芸術家 | ペンシルバニア州の人物 | スロバキア系アメリカ人 | LGBTの人物 | 版画家 | 1928年生 | 1987年没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バンクシーとは




Girl with a bomb

Anarchist ratバンクシー(banksy、生年月日未公表)は、イギリスのロンドンを中心に活動する芸術家。グラフィティアート、ストリートアートを世界各地にゲリラ的に描くという手法を取る。

Banksy本人は自分のプロフィールを隠そうとしており、本名をはじめとして不明な点が多い。2005年、自作を世界各国の有名美術館の人気のない部屋にゲリラ展示し、しばらくの間誰にも気づかれないまま展示され続けたことがあった。

目 次

1 活動と作品の特徴 

2 これまでの作品の一部

3 プロフィールに関する報道など

4 ギャラリー

5 脚注

6 外部リンク



[1] 活動と作品の特徴 
街中の壁にステンシル(型紙)を使って反資本主義・反権力など政治色の強いグラフィティを残したり、メトロポリタン美術館や大英博物館などの館内に、自らの作品を無許可で展示するなどのパフォーマンスにより、一部の人々からは「芸術テロリスト」と呼ばれている。

街頭などへのディスプレイにこだわって芸術活動を行っており、企業の商品とのコラボレートやミュージシャンのアルバムジャケットの依頼等はほとんど全て断っている。たとえば、世界のトップ企業であるソニー、ナイキ、マイクロソフトや、トップミュージシャンのデヴィッド・ボウイ、オービタル、マッシヴ・アタックなどのオファーを断っている。

彼の作品の多くは街頭(壁面)などに描かれており、ただの落書きだと考える市当局による清掃などの際に消えてしまう例が頻発している。この様に彼の作品は「落書き」だと思う者は多いが、2007年2月に行われたサザビーズ主催のオークションではバンクシーの作品計6点が落札予想価格を大幅に上回る総額37万2千ポンド(日本円で約8500万円以上)で落札されている[2]。


[2] これまでの作品の一部
ロンドン動物園のペンギンの囲いに上り、'We're bored of fish' (我々は魚にはもう飽き飽きだ)とペイント。

ブリストル動物園のゾウの囲いに 'I want out. This place is too cold. Keeper smells. Boring, boring, boring.'(外に出たい。ここは寒すぎる。飼育係は臭う。退屈・退屈・退屈)とペイント。

2001年1月、メキシコ・チアパス州のサパティスタ民族解放軍が占領している地域で壁画を描いた。また、サン・クリストバル・デ・カス・カサスにおいてもステンシル画を残した。

2005年3月、自分の作品をMoMA、メトロポリタン美術館、ブルックリン美術館、アメリカ自然史博物館に勝手に展示。テート・ブリテンにも自分の作品を勝手に展示。いずれも人のあまり入らない部屋の片隅であり、他の作品同様に作品解説のキャプションまで用意する手の込みようだった。

美術館が一目で冗談とわかる作品を気づかないまま展示し続けたことは美術関係者にショッキングに受け止められ、一部のファンの喝采を浴びた。

2005年5月、大英博物館に『街外れに狩りにいく古代人』という題名の遺跡のかけら(壁画の一部)を勝手に展示。遺跡にはショッピングカートを押す古代人と、カートに槍が刺さった獣が入っている絵が描かれていた。

バンクシーは市内のギャラリーで開催されていた個展のためにこの作品を大英博物館から一旦引き取り、作品横のキャプションに「大英博物館より貸与」の一文をつけた。後に、博物館はバンクシーの作品を正式なコレクションに追加した。

2005年8月、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ側の分離壁に、子供が壁に穴を開けている絵や穴の開いた壁から見えるビーチなど9つの絵を残した。バンクシーのスポークスマンによると、「イスラエルの治安部隊は空に向けて発砲で威嚇をし、かなりの銃が彼を狙っていた」とのこと。
バスルームの窓からぶら下がる裸の男2006年6月
バスルームの窓からぶら下がる裸の男2006年6月


、ブリストルに裸の男がバスルームの窓からぶら下がっている壁画を制作。この作品は取り除かれるべきか、そのままにしておくべきかで論争を巻き起こした。インターネット上でのディスカッションでは97%の人々が取り除くべきでないという立場を支持したため、そのままになっている。

2006年の8月から9月にかけて、パリス・ヒルトンのデビューアルバムのフェイクを500枚制作、イギリスの48のレコードショップに勝手に設置。内容はDanger Mouseによる40分のリミックスで、曲名は"Why am I Famous?"(私は何で有名なの?) "What Have I Done?"(私が一体何をしたの?)など。

ブックレットはコラージュされており、パリスの顔の部分に犬の頭を貼り付けたり、ヌードのマネキンにパリスの顔を貼り付けた写真が載せられていた。表からはその違いが分からなかったため、いくつかのCDは店側が気がつく前に購入され、オークションでは750ポンドの値段がついた。

2006年9月、カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランドに設置されている遊具「ビッグサンダー・マウンテン」の近くに、グァンタナモ米軍基地の囚人の格好(オレンジのジャンプスーツ、黒い帽子、手錠)をした人形を設置。

[3] プロフィールに関する報道など
英国のガーディアン紙によると、本名はロバート・バンクス(Robert Banks)、1974年にブリストルで生まれた人物だとしている。一方、BBCは彼の本名をロビン・バンクス(Robin Banks)としている。

"Guardian Unlimited"のサイモン・ハッテンストーン(Simon Hattenstone)は、Banksyと顔を合わせてインタビューした唯一の人物である。彼によるとBanksyは28歳、ジーンズにTシャツ姿で、銀のイヤリングを片方の耳にしていたという。

Banksyの公式サイトの登録者は、写真家のSteve Lazaridesという人物で、彼はBanksyのエージェントであり、おそらくBanksy本人ではない。ちなみに、SteveはロンドンのソーホーにLaz Inc.というギャラリーを所有しており、そこではBanksyの作品が購入できる。


[4] 脚注
^ 落書きと間違えた市当局が、巨匠バンクシーの作品を塗りつぶす - 英国 AFP BB News - BETA -
^ もっとも、公共の場に描かれた作品は動かすことも買い取ることもできないので、この「価格」がどれだけの意味を持つのかは不明。

[5] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、バンクシーに関連するマルチメディアがあります。バンクシーの公式サイト(英語)
Banksy.info - Banksy Fans Forum
Banksy at Flickr!
Banksy on artofthestate - over 350 Banksy photos
nterview with Banksy
この「バンクシー」は、人物に関する書きかけ項目です。
(ウィキプロジェクト 人物伝)

カテゴリ: イギリスの人物 | 現代美術家 | 人物関連のスタブ項目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

           
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