スポンサーサイト

  • 2011.05.14 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


【動画】ミス・インドネシアが決定、アチェ州のコリー・サンディオリバさん

Puteri Indonesia 2009 Part 4 (Top 10 Announcement)
   ↓   ↓   ↓


ミス・インドネシア、、セクシーかつかわいい!!

こんな子と仲良くなるには、男の自信をホースワンでつけてから!!


▼ホースワンで、あなたのペニスは、確実にデカクなる!
   ↓   ↓   ↓

   ↑   ↑   ↑
△『ホースワン』(返金制度有)短小者、待望のペニス増大ジェル!馬プラセンタが実現した唯一の増大法!

▼ペニス増大ジェル『ホースワン』は、まとめ買いがお得です!

■1本  9,800円(通常価格14,800円)■2本 17,600円(通常価格29,600円)■3本 22,500円(通常価格44,400円)

※4本以上の購入は、一律7,000円(税込み)×本数となります。※代引き手数料は“無料”です!






【動画】ベゼルG200も興奮!綺麗!ミス・インドネシア!

▼『ベゼルG200
(BESEL G200)』で、大きくなりすぎても、責任は持てません・・



▲『BESEL G200(ベゼルg200)』ノーベル生理学・医学賞の一酸化窒素理論をサプリに応用。

ベゼルG200は、まとめ買いがお得です! 

ベゼルG200・1個 → 12,600円 

ベゼルG200・2個 → 21,800円( 3,400円お得♪) 

ベゼルG200・3個 → 29,790円( 8、010円お得♪) 

ベゼルG200・4個 → 39,720円(10,680円お得♪) 

ベゼルG200・5個 → 48,000円(15,000円お得♪) 

※健康補助食品

ミス・インドネシア、きれい!!

何だか、東洋人じゃないみたいです!!

Miss Universe and Puteri Indonesia 2009 at Yamaha Safety Riding Campaign
 ↓  ↓  ↓

JUGEMテーマ:アジアのニュース



【動画】セクシーなミス・エクアドル代表、SNSで一番人気!

ミス・エクアドル代表〜 Tras cámaras Sandra Vinces Miss Ecuador 2009
  ↓   ↓   ↓


大人のお色気一杯ですね!!


▼お一人様200個まで!6個以上ご購入で送料無料!新型インフルエンザ対策!3層(三層)サージカルマスク 50枚入
↓   ↓   ↓






【動画】和服・・これが、、

ミス・ユニバース日本代表の、パンティー和服・・
↓   ↓   ↓


何度見ても、こりゃあ、ないよね・・

和服か、エロか、はっきりして欲しいです。。


▼お一人様200個まで!6個以上ご購入で送料無料!新型インフルエンザ対策!3層(三層)サージカルマスク 50枚入
↓   ↓   ↓




JUGEMテーマ:びっくりニュ-ス



【動画】ミス・ユニバース各国代表、テレビ撮影に臨む

Miss Universe 2009- Swimsuit Competition - Top 15 
↓   ↓   ↓


セクシーですね!!

各国のミス・ユニバース!

▼お一人様200個まで!6個以上ご購入で送料無料!新型インフルエンザ対策!3層(三層)サージカルマスク 50枚入
↓   ↓   ↓








【動画】べゼルG200も、ウットリのミス・アジアUSA(Miss Asia USA)とミセス・アジアUSA(Mrs. Asia USA)

ベゼルG200(BESEL G200)が、小さいあなたの悩みを解消!

   ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ 



   ▲ △ ▲ △ ▲ △ ▲ △ ▲ △ ▲ 

『BESEL G200(ベゼルG200)』は、欧米で、380万人以上の愛用者がいる効果実証済みのペニス増大サプリの決定版です!


『BESEL G200(ベゼルG200)』ノーベル生理学・医学賞の一酸化窒素理論をサプリに応用。


Miss Asian American Pageant 2008
  ↓  ↓  ↓






ミス・ハンガリー2007 24歳のカタリン・コラーさんに決定

ミス・ハンガリーが決定したそうじゃ、、

写真だと、ちょっとポッチャリ顔に見えるけど、ウううん、やっぱり美人ざんす。。

でも、ちょっと御足は、奇麗って感じじゃないけど・・

なぜか、奇麗なものには、欠点も目につくようで・・


ハンガリーとは


ハンガリー共和国
Magyar Köztársaság

(国旗) (国章)

国の標語 : なし 国歌 : 神よハンガリー人を祝福し賜え 公用語 ハンガリー語
首都 ブダペスト
最大の都市 ブダペスト
大統領 ショーヨム・ラースロー
首相 ジュルチャーニ・フェレンツ
面積
- 総計
- 水面積率 世界第108位
93,030km²
0.7
人口
- 総計(2004年)
- 人口密度 世界第80位
10,032,375人
108人/km²
GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
22兆2,510億フォリント
GDP(MER)
- 合計(2005年) 世界第44位
1,071億ドル
GDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り 世界第48位
1,397億ドル
13,900ドル
独立
- 日付 オーストリア・ハンガリー帝国から
1918年10月31日
通貨 フォリント(HUF)
時間帯 UTC +1(DST: +2)
ccTLD HU
国際電話番号 36
ハンガリー共和国(ハンガリーきょうわこく)、通称ハンガリーは、中央ヨーロッパの国。オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアに囲まれた内陸国で、平地が卓越する。ドナウ川などのヨーロッパの有名な川が通っている。首都ブダペストにはロンドンに次いで世界で2番目に地下鉄が開通した。

目 次

1 国名

2 歴史

3 政治

4 地方行政区分

5 地理

6 経済
6.1 工業
6.2 鉱業
6.3 ハンガリーの通貨単位の変遷

7 国民

8 文化
8.1 祝祭日

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク
11.1 公式
11.2 その他



[1] 国名

正式名称はハンガリー語で Magyar Köztársaság(マジャル・ケスタールシャシャーグ)。通称 Magyarország(マジャルオルサーグ)。

公式の英語表記は Republic of Hungary、通称 Hungary。

日本語の表記はハンガリー共和国、通称ハンガリー。漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。

ハンガリー語において、ハンガリー人もしくはハンガリーを指すMagyar は日本では「マジャール」と表記されることが多いが、これはおそらく英語の発音に基いた表記である。

ハンガリー語は母音の長短をはっきり区別する特性をもち、Magyar の語は全て短母音なので、ハンガリー語の発音に倣うならば「マジャル」という表記がもっとも近くなる。

歴史上では、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。

「ハンガリー」は俗説にあるような「フン族」が語源ではなく、ドイツ語Ungarn、ギリシャ語Oungroiに見られるように元々は語頭のhがなかった。語源として一般に認められているのは、7世紀のチュルク系のOnogurという部族結合を表す語である。


[2] 歴史
詳細はハンガリーの歴史を参照。

ハンガリーの国土はハンガリー平原と言われる広大な平原を中心としており、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。

古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世中頃属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が始めて誕生した。

フン族はその後アキラ(日本では一般的にアッティラ)の時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に納めたが、アキラが40歳で死亡した後、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァール人の侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。

10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年にキリスト教に改宗し、西ヨーロッパのカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニア、ヴォイヴォディナ、クロアチア、ダルマチアなどを広く支配する大国に発展する。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来を受け大きな被害を受けた。14世紀から15世紀頃には周辺の諸王国と同君連合を結んで中央ヨーロッパの強国となった。

しかし、15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受けるようになった。1526年には、モハーチの戦いに敗れ、国王ラヨシュ2世が戦死した。1541年にブダが陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国、北西部の3分の1をハプスブルク家のオーストリアによって分割支配され、両帝国のぶつかりあう最前線となった。

オスマン帝国が軍事的に後退すると、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。1848年の3月革命では、コッシュート・ラヨシュが指導した独立運動こそロシア帝国軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、1867年にアウスグライヒ(和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア・ハンガリー帝国となった。


トリアノン条約前のハンガリーの国土(1920年) 黒枠が現在のハンガリー。国内の民族分布を色彩で表した。マジャル人(赤)、ドイツ人(黄色)、ルーマニア人(青)、セルビア人(薄緑)、クロアチア人(緑)、スロヴェニア人(紫)、スロヴァキア人(橙)、ウクライナ人(茶)オーストリア・ハンガリー二重帝国の体制下、資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。1920年に結ばれたトリアノン条約により、ハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。

戦間期のハンガリー王国では、ハプスブルク家に代わる国王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュが摂政として君臨したが、領土を失った反動から次第に右傾化した。第二次世界大戦では失地回復のため、およびドイツからの圧迫を受けて枢軸国側についたものの敗戦、結果「戦勝国」のソビエト連邦に占領された。

戦後のハンガリーは、ソ連の影響下のもと共産主義国ハンガリー人民共和国として再出発し、冷戦体制の中で東側の共産圏に属した。しかしソ連に対する反発も根強く、1956年にはハンガリー動乱が起こるが、ソ連に鎮圧された。

1980年代末になると、冷戦終結の機運とともに共産党(社会主義者労働党)独裁の限界が明らかとなった。1989年、ハンガリーは一党独裁を放棄して平和裏に体制を転換、憲法を改正して国名をハンガリー共和国とし、ハンガリーの民主化が進められた。同年5月、ハンガリーは西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「鉄のカーテン」を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリーに殺到、汎ヨーロッパ・ピクニックを引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。

1990年代、ハンガリーはヨーロッパ社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年に北大西洋条約機構 (NATO) に、2004年に欧州連合 (EU) に加盟した。


国会議事堂(ブダペスト)

[3] 政治
ハンガリーは議院内閣制を取り、大統領は任期5年で議会によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。実権は首相にあり、自ら閣僚を選んで行政を行う。

立法府の議会 (Országgyűlés) は一院制、民選で、任期は4年、定員は386人である。議会は国家の最高権威機関であり、全ての法は議会の承認を経なければ成立しない。主な政党は中道左派のハンガリー社会党 (MSZP) (ハンガリー社会主義労働者党の後身)、自由民主同盟 (SZDSZ) 、中道右派のフィデス=ハンガリー市民同盟 (FIDESZ-MPSZ) 、キリスト教民主国民党 (KDNP) 、ハンガリー民主フォーラム (MDF) などがある。


[4] 地方行政区分
ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。うち19は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、20はメジェと同格の市という行政単位(正確には都市郡; megyei város)。なお、首都のブダペスト市はいずれにも属さない、独立した自治体である。

西部
ヴァシュ県 (ソンバトヘイ)
ザラ県 (ザラエゲルセグ)
ショモジ県 (カポシュヴァール)
ヴェスプレーム県 (ヴェスプレーム)
ジェール・モション・ショプロン県 (ジェール)
中部
コマーロム・エステルゴム県 (タタバーニャ)
フェイェール県(セーケシュフェヘールヴァール)
ペシュト県(ブダペシュト)
ノーグラード県 (シャルゴータールヤーン)
南部
トルナ県 (セクサールド)
バラニャ県(ペーチ)
バーチ・キシュクン県(ケチケメート)
チョングラード県 (セゲド)
東部
ベーケーシュ県(ベーケーシュチャバ)
ヘヴェシュ県(エゲル)
ハイドゥー・ビハル県(デブレツェン)
ヤース・ナチクン・ソルノク県(ソルノク)
サボルチ・サトマール・ベレグ県 (ニーレジハーザ)
ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県(ミシュコルツ)
この県には以下の市町村が含まれる。 アバウイサーントー、ベケチ、ボドログケレスツル、ボドロゴラシ、ボドログセギ、エルデーベーニェ、エルデーホルヴァチ、ゴロプ、ヘルツェグクト、カーロリファルヴァ、レジェシュベーニェ、マード、メゼーゾンボル、モノク、オラスリスカ、オンド、ラートカ、シャーラジャダーニ、シャーロシュパタク、セギロン、セレンチ、タルカル、ターリャ、トカイ、トルチヴァ、ヴァーモシュイファル、ヴェーガルドーおよびシャートラリヒャウィヘリ市

旧ハンガリー王国の領土(大ハンガリー)に含まれた地域については、ハンガリー王国の歴史的地域を参照。


[5] 地理

ハンガリーの国土はカルパティア山脈の麓に広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川も流れている。国土の西部にはヨーロッパでも有数の大湖であるバラトン湖がある。また各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。ヨーロッパ有数の「温泉大国」であり、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。 トランシルヴァニア地方など、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。

大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、四季もある。緯度が比較的高く、冬は冷え込むが、地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で、曇りがちである。年間平均気温は10度前後。

ドナウ川





ケレシュ山






[6] 経済
ハンガリーは1989年の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、1997年以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が国内総生産 (GDP) の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどである。2004年のEU加盟は、好調なハンガリー経済にとって追い風である。

その一方で、インフレーションと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題となっている。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。

伝統的な産業ではアルコールが強い。特にワインは有名で、ブルゲンラント、ショプロン、ヴィッラーニなど著名な産地があるが、中でもトカイのトカイワインはワインの王と言われる。農業ではパプリカが名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウの飼育も盛んであり、ドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方、Dunántúl)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラもよく輸出されている。


[6.1] 工業
第二次世界大戦前のハンガリーは肥沃な土壌と計画的な灌漑設備により、農業国として成立していた。そのため、食品工業を中心とした軽工業が盛んであった。第二次世界大戦後、社会主義下の計画経済によって重工業化が進められた。特に、車両生産、一般機械が優先され、化学工業、薬品工業がそれに次いだ。しかしながら、有機鉱物資源とボーキサイトを除くと、工業原材料には恵まれておらず、輸入原材料を加工し、輸出するという形を取った。1970年代には工業を中心とする貿易が国民所得の40%を占めるまで成長した。

社会主義体制から資本主義体制に転換後、1990年代初頭においては、化学工業の比重が次第に大きくなっていく傾向にあった。2003年時点では、全産業に占める工業の割合がさらに高まっており、輸出額の86.8%を工業製品が占めるに至った。さらに貿易依存度は輸出54.5%、輸入59.2%まで上がっている。品目別では機械工業が再び盛んになっており、輸出に占める比率は電気機械36.1%、機械類16.2%、自動車8.2%というものである。世界シェアに占める比率が高い工業製品は、ワイン(1.7%、49万トン)、硝酸(1.5%、31万トン)である。


[6.2] 鉱業
ハンガリーの鉱業は、燃料に利用できる亜炭とボーキサイトが中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブダペストの西方50kmに位置するタタバーニャ近郊の2カ所に広がる。油田は中央南部セゲド近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。

金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブダペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。この他、小規模ながらマンガンとウランの採掘も見られる。


[6.3] ハンガリーの通貨単位の変遷
フォリント / フィッレール(現行)
ペンゲー
フロリン
クライツァール

[7] 国民
ハンガリーとその周辺は、独特の豊かな文化をもった様々な民族が居住していることが19世紀以来よく知られている。

ハンガリー共和国の国民の95%以上はマジャル人(ハンガリー人)である。マジャル人はフィン・ウゴル語族のハンガリー語(マジャル語)を母語とし、ウラル山脈の方面から移ってきた民族である。マジャル人の人名は、正式に表記した際に姓が名の前につく。

マジャル人は旧ハンガリー王国領に広まって居住していたため、セルビアのヴォイヴォディナ、クロアチア北部、スロバキア南部、ルーマニアのトランシルヴァニアなどにもかなりのマジャル人人口が残る。また、マジャル人の中にはモルダヴィアのチャーンゴー、トランシルヴァニアのセーケイや、ハンガリー共和国領内のヤース、マチョー、クン、パローツなどの個性的な文化をもつサブ・グループが知られるが、ヤース人がアラン人の末裔、クン人がクマン人の末裔であることが知られるように、これらは様々な出自をもち、ハンガリー王国に移住してハンガリーに部分的に同化されていった人々である。

その他の民族では、有意の人口を有するロマ(ジプシー)とドイツ人が居住する。ハンガリーのロマは個性的な民族文化で知られる。また、ドイツ人は東方植民地運動の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、トランシルヴァニアのサース人(ザクセン人)やスロヴァキアのツィプス・ドイツ人のようにハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。

その他の民族では、ルテニア人(ウクライナ人)、チェコ人、クロアチア人、ルーマニア人などもいるが、いずれもごく少数である。第二次世界大戦以前には、ユダヤ人人口もかなりの数にのぼったが、第二次世界大戦中の迫害などによってアメリカ合衆国やイスラエルに移住していった人が多い。

言語的には、ハンガリー語が優勢で、少数民族のほとんどもハンガリー語を話し、ハンガリー語人口は98%にのぼる。

宗教はカトリック (67.5%) が多数を占め、カルヴァン派もかなりの数にのぼる (20%) 。その他ルター派 (5%) やユダヤ教 (0.2%) も少数ながら存在する。

ハンガリー人は黄色人種であるという説は、アジア及びアジア人の定義、並びにコーカソイド及びモンゴロイドの定義を十分に理解していないために起こった誤謬である。

近年のDNA分析の成果から、ハンガリー人はコーカソイド(白人)を起源としモンゴロイド(黄色人種)と混血した民族であることが証明されている[1]。


[8] 文化
ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする民族音楽は有名である。詳細はハンガリーの音楽を参照。

また、リスト・フェレンツ(フランツ・リスト)、コダーイ・ゾルターン、バルトーク・ベーラなど多数の著名なクラシック音楽の作曲家も輩出した。多様な民族音楽にインスピレーションを受けて作曲した音楽家も多い。

ハンガリー国内にはユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件ある。オーストリアにまたがって1件の文化遺産が、スロバキアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細はハンガリーの世界遺産を参照。


[9] 祝祭日
日付 日本語表記 ハンガリー語表記 備考
1月1日 元日 Újév
3月15日 1848年の革命と自由戦争記念日 Nemzeti ünnep 1848年の3月革命を記念
移動祝日 イースターおよびイースター・マンデー Húsvétvasárnap, Húsvéthétfő
5月1日 メーデー Munka ünnepe
移動祝日 ペンテコステ Pünkösd 復活祭から50日後
8月20日 建国記念日(聖イシュトヴァーンの祝日) Szent István ünnepe
10月23日 1956年革命、および共和国宣言の記念日 Az 1956-os forradalom ünnepe, A 3. magyar köztársaság kikiáltásának napja 現在のハンガリーでは1956年の動乱は革命と呼ばれている
11月1日 諸聖人の日 Mindenszentek
12月25日、26日 クリスマス Karácsony


[10] 脚注
^ 『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523) より。北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子 日本人 44% ハンガリー人 2% フィン人 0% 下戸遺伝子とは、アセトアルデヒド脱水素酵素 (ALDH) の487番目のアミノ酸を決める塩基配列がグアニンからアデニンに変化したもので、モンゴロイド特有の遺伝子であり、コーカソイド(白人)・ネグロイド(黒人)・オーストラロイド(オーストラリア原住民等)には存在しない。よってこの遺伝子を持つということは、黄色人種であるか、黄色人種との混血であることの証明となる[1]。

[11] 関連項目
ウィクショナリーにハンガリーの項目があります。ハンガリー関係記事の一覧
ハンガリー人の一覧
ハンガリー国王一覧
ハンガリー人の姓名
ハンガリーの大学
ブダペスト

[11.1] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ハンガリーに関連するマルチメディアおよびカテゴリがあります。
[11.2] 公式
ハンガリー政府公式サイト (ハンガリー語) (英語) (ドイツ語)
ハンガリー大統領府公式サイト (ハンガリー語) (英語)
ハンガリー政府観光局 (日本語)
駐日ハンガリー大使館 (日本語)
ハンガリーからの画像

[編集] その他
外務省 ハンガリーの情報
日本ハンガリー友好協会
経済社会データランキング / ハンガリーの統計
日本語・ハンガリー語ウェブ辞典
[表示]表・話・編・歴世界の国と地域 > ヨーロッパ
西ヨーロッパ アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク
東ヨーロッパ アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア
中央ヨーロッパ オーストリア | スイス | スロバキア | チェコ | ポーランド | ドイツ | ハンガリー
南ヨーロッパ イタリア | ギリシャ | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ
北欧諸国 アイスランド | スウェーデン | デンマーク | ノルウェー | フィンランド
バルト三国 エストニア | ラトビア | リトアニア
その他 沿ドニエストル
地域 イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 | セルビア:コソボ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島
バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、又は無い国であり、国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
[表示]表・話・編・歴 欧州連合加盟国
アイルランド | イギリス | イタリア | エストニア | オーストリア | オランダ | キプロス | ギリシャ | スウェーデン | スペイン | スロバキア | スロベニア | チェコ | デンマーク | ドイツ | ハンガリー | フィンランド | フランス | ブルガリア | ベルギー | ポーランド | ポルトガル | マルタ | ラトビア | リトアニア | ルクセンブルク | ルーマニア
JUGEMテーマ:ニュース



ミス・ユニバース、グランプリの森理世さんの水着姿・・




2007ミス・ユニバース優勝者の森理世さん。水着の雄姿・・

森理世さんの、ビキニ姿も、いいっすね!!

やっぱり、暑い真夏は、水着に限りますね〜〜

本人も、見てる方も、、気分が涼しくなります・・

2007ミス・ユニバース日本代表の森理世さんら 水着撮影に臨む - メキシコ



【メキシコシティ/メキシコ 18日 AFP】メキシコで5月28日に開かれる2007ミス・ユニバース(Miss Universe 2007)世界大会に出場するミス・ユニバース・ジャパン(Miss Japan)の森理世(Riyo Mori)をはじめ各国代表が、16日にカミノレアル・ホテル(Camino Real Hotel Mexico)のプールで水着撮影を行った。(c)AFP/Miss Universe L.P., LLLP/DARREN DECKER
写真は、写真撮影に臨むミス・ユニバース・ジャパン(Miss Japan)の森理世(Riyo Mori)さん。(c)AFP/HO/Miss Universe L.P., LLLP DARREN DECKER

関連情報2007ミス・ユニバース

森理世とは



森理世
森理世さん

もり りよ
森 理世
プロフィール
生年月日: 1986年12月24日
現年齢: 20歳
出身地: 日本・静岡県
公称サイズ(2007年時点)
身長 / 体重: 175 cm / 54 kg
BMI: 17.6(低体重)

身長 / 体重: 5′ 10″ / 119 lb


森 理世(もり りよ、1986年12月24日 - )は、日本のダンサー、インストラクター、バレリーナ。静岡県静岡市(現:同市葵区)出身。身長175cm。2007年度ミス・ユニバース・ジャパン及びミス・ユニバース優勝者。  

目次

1 人物

2 来歴

3 出演
3.1 テレビ番組
3.2 CM

4 出典・脚注

5 関連事項

6 外部リンク


[1] 人物

ダンス教室を経営する母の影響で幼少時からダンサーを志し、若くしてカナダに留学。2007年3月15日、凡そ4000名が参加したミス・ユニバース世界大会日本代表選考会で優勝。

メキシコ・メキシコシティの「国立オーディトリアム」で行われた、「第56回世界大会」に日本代表として出場し、満場一致の得票で優勝を飾った。 その際、彼女にはダイヤモンドや真珠があしらわれた25万ドル(約3000万円)相当の冠(ミキモト製)が渡された。

ただしこの冠は、次回大会の優勝者に引き継がれ、その年の優勝者がもらえるのは2万ドル相当のティアラである(やはりミキモト製)。

その他、彼女には、1年間使用可能なニューヨークのアパート、給与(金額は非公開)、3万ドル相当の高級時計などの衣装、ニューヨークで二年間映画を学ぶための10万ドルを上限とする奨学金、水着、ヘアケア製品1年分、NINAの靴一式、デニム一式、クリスタルのトロフィー、1年間の皮膚科サービスなどが優勝賞品として贈られた。


日本人の優勝は1959年の児島明子以来48年ぶり。2006年の知花くららの2位に続き、2年連続での日本人の入賞となった。2位はブラジル代表、3位はベネズエラ代表が選ばれた。着用していたイヴニングガウンは、GUCCIの07年春夏コレクションのもの。ナショナルコスチュームは、「義志」や「小萩」のデザイナーである緒方義志と、「HIROCOLEDGE」のデザイナーである高橋理子のデザインによるもの。

森家の女性は代々「忍耐」と書かれたプレートを受け継ぎ、忍耐、努力、根性の三つを精神の源泉とし、カナダ留学の出発時プレートを母から渡され部屋の壁にかけ、留学を終えた後母に返したが、ミス・ユニバース世界優勝後の1年間の世界での活躍を前に再び母から渡され新たな世界を代表する立場と環境で精神力の源泉とする。

また、フジテレビ「とくダネ!」にて、笠井信輔により「5ヶ国語以上話せるらしい」という趣旨の発言があり、ネット上でも「6ヶ国語堪能」といった噂が流れたが、日本テレビ「ラジかるッ」出演時に「何ヶ国語話せるのですか?」という質問に対し「(使用言語は)英語と日本語だけです」と答えている。

ただし、ミス・ユニバース日本代表に選出された後、世界大会への準備としてナショナルディレクターからスペイン語のトレーニングを受けている様子はブログ上で公開されている。

米NBCの人気SFドラマ「Heroes」第二シーズン(2007年秋)のオーディションを受けたが、女優・田村英里子が決定したとの事。


[2] 来歴

静岡県静岡市葵区の常葉学園大学教育学部附属橘小学校、常葉学園中学校を卒業。
常葉学園高等学校2年の夏、単身カナダに留学(転校)し、オンタリオ州・ベルビル市のセンティニアル高校を卒業。
「クウィンティ・バレエスクール」出身。


[3] 出演


[3.1] テレビ番組

Regis and Kelly Show
NEWS ZERO(日本テレビ)
めざましテレビ(フジテレビ)
ズームイン!!SUPER(日本テレビ)
爽快情報バラエティー スッキリ!!(日本テレビ)
情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ)
2時っチャオ!(TBS)
ザ・ワイド(日本テレビ)
SMAP×SMAP(フジテレビ)
ほか


[3.2] CM

TBC
ミス・ユニバースジャパンの映像を使用

[4] 出典・脚注

^ ミスユニバースジャパン公式サイト
^ なでしこ48年ぶり!決勝満票でミス・ユニバースに森理世さん サンケイスポーツ 2007年5月29日速報
^ 森さんの将来の夢
^ ミス・ユニバースの賞品

[5] 関連事項

ミス・ユニバース2007

[6] 外部リンク

Miss Universe 2007 森理世公式サイト
ミスユニバースジャパン 公式サイト
NBC.com - Miss Universe 2007
Riyo's official blog
森育子ダンススタジオ(1)
森育子ダンススタジオ最新情報:最下段取材協力欄・(1)とTELが異なる
センティニアル高校
クウィンティ・バレエスクール
HIROCOLEDGE



ミス・ユニバース・ジャパン

2006年

知花くらら

2007年

森理世

2008年

-


ミス・ユニバース

2006年

スレイカ・リベラ

2007年

森理世

2008年

-



この「森理世」は、人物に関する書きかけ項目です。
(ウィキプロジェクト 人物伝)

カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 1986年生 | 静岡県出身の人物 | 日本のダンサー | バレエダンサー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



ミス・ユニバース



2005年のミス・ユニバース、ナタリー・グレボバ
2005年のミス・ユニバース、ナタリー・グレボバ

ミス・ユニバース®(Miss Universe®)は世界を代表するミス・コンテスト。

目 次

1 概要

2 歴史

3 今日のミス・ユニバース

4 歴代のミス・ユニバース

5 ミス・ユニバース優勝者出身国一覧

6 関連項目

7 外部サイト



[1] 概要

1952年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで初めて行われ、2002年以降はトランプ財団とNBCグループが共同出資しているミス・ユニバース機構が主催している美の祭典である。世界80か国以上の代表が参加し、世界一の栄冠を競い合う。日本永久開催のミス・インターナショナルと違い、世界大会は世界各国の都市で開催される(日本はミス・インターナショナルの永久開催国であるため、日本の都市では開催されない)。ミス・インターナショナル、ミス・ワールドと比較して、圧倒的に世界的な知名度と権威の高い大会である。2002年大会より、優勝者の王冠はミキモト製を使用している。

テレビ朝日は、世界大会を1995年大会まで地上波全国ネットで録画放映していた(進行は英語のため、日本語吹き替え。放映開始年は不明)。しかし翌1996年からは撤退し、以降は放映していない。但し、FOXチャンネル(日本語字幕入り。SKY PerfecTV!などで放送されている放送局)にて、世界大会の日本放映が復活している。


[2] 歴史

1950年に開催された「ミス・アメリカ1951」の優勝者、Yolande Betbeze が、大会スポンサーの水着ブランド「カタリナ」(Catalina)から提供された水着でポーズをとることを拒んだことが「ミス・ユニバース」開催のきっかけとなった。「カタリナ」を製造しているパシフィック・ミルズ社(Pacific Mills)はミス・アメリカのスポンサーから撤退し、独自のミスコンテスト「ミスUSA」とその世界版「ミス・ユニバース」を1952年から開催した。最初のミス・ユニバースはカリフォルニア州ロングビーチで行われ、ミス・フィンランドの Armi Kuusela が優勝した。当初、ミス・ユニバースもミス・アメリカ同様、優勝者は翌年の年数をタイトルとしていた(例えば最初の優勝者であるKuusela は「ミス・ユニバース1953」であった)。

1955年には最初のテレビ中継が始まった。1960年からCBSがミスUSAとミス・ユニバースの全国中継を行った。2003年以降はNBCが放送権を取得している。

決勝は1952年の第1回から1971年までは毎回アメリカ合衆国内で開催された。以降は毎年違う国で開催されている。


[3] 今日のミス・ユニバース

トランプ財団とNBCグループが共同出資しているミス・ユニバース機構はニューヨークに本部を置く組織で、ミス・ユニバース、ミスUSA、ミス・ティーンUSAの三つのミスコンテストを主催している。ミスUSAはミス・ユニバースのアメリカ代表となる。ミス・ユニバース機構は決勝の放送権を世界各国のテレビ局に販売している。


[4] 歴代のミス・ユニバース

翻訳中:この項目「ミス・ユニバース」は翻訳中です。翻訳作業などに協力して下さる方を求めています。詳細はこの項目のノートや履歴、翻訳FAQなどを参照してください。
Year Miss Universe National title Country Location Venue
1952 Armi Kuusela Suomen Neito フィンランド Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1953 Christiane Martel Miss France フランス Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1954 Miriam Stevenson ミスUSA USA Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1955 Hillevi Rombin Fröken Sverige スウェーデン Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1956 Carol Morris ミスUSA USA Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1957 Gladys Zender ミス・ペルー ペルー Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1958 Luz Marina Zuluaga Señorita Colombia コロンビア Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1959 児島明子 ミス・ユニバース・ジャパン 日本 Long Beach,USA Long Beach Municipal Auditorium
1960 Linda Bement ミスUSA USA Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1961 Marlene Schmidt Miss Germany ドイツ Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1962 Norma Nolan Belleza Argentina アルゼンチン Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1963 Ieda Maria Vargas ミス・ブラジル ブラジル Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1964 Corinna Tsopei Star Hellas ギリシャ Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1965 Apasra Hongsakula ミス・タイランド タイ王国 Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1966 Margareta Arvidsson Fröken Sverige スウェーデン Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1967 Sylvia Hitchcock ミスUSA USA Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1968 Martha Vasconcellos Miss Brasil ブラジル Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1969 Gloria Maria Diaz Binibining Pilipinas フィリピン Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1970 Marisol Malaret Contreras ミス・プエルトリコ プエルトリコ Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1971 Georgina Rizk ミス・レバノン レバノン Miami Beach,USA Miami Beach Auditorium
1972 Kerry Anne Wells ミス・オーストラリア オーストラリア Dorado, Puerto Rico Cerromar Beach Hotel
1973 Maria Margarita Moran Binibining Pilipinas フィリピン ギリシャ・アテネ Odeon of Herodes Atticus
1974 Amparo Muñoz ミス・エスパーニャ スペイン フィリピン・マニラ Folk Arts Theater
1975 Anne Marie Pohtamo ミス・フィンランド フィンランド エルサルバドル・サンサルバドル National Gymnasium
1976 Rina Messinger Malket Hayofi イスラエル 香港 Lee Theatre
1977 Janelle Commissiong Miss Trinidad & Tobago トリニダード・トバゴ Santo Domingo, Dominican Republic Teatro Nacional
1978 Margaret Gardiner Miss South Africa 南アフリカ Acapulco, Mexico Centro de Convenciones de Acapulco
1979 Maritza Sayalero ミス・ベネズエラ ベネズエラ Perth, Australia Perth Entertainment Centre
1980 Shawn Weatherly ミスUSA USA 韓国・ソウル 世宗文化会館
1981 Irene Sáez ミス・ベネズエラ ベネズエラ ニューヨーク, USA Minskoff Theatre
1982 Karen Dianne Baldwin ミス・カナダ カナダ ペルー・リマ Coliseo Amauta
1983 Lorraine Downes Miss New Zealand ニュージーランド St. Louis, USA Kiel Auditorium
1984 Yvonne Ryding Fröken Sverige スウェーデン マイアミ, USA James L. Knight Center of Miami
1985 Deborah Carthy-Deu ミス・プエルトリコ プエルトリコ マイアミ, USA James L. Knight Center of Miami
1986 Bárbara Palacios Teyde ミス・ベネズエラ ベネズエラ パナマ・パナマシティ Centro de Convenciones Atlapa
1987 Cecilia Carolina Bolocco Fonck Miss Chile Universo チリ シンガポール World Trade Centre, Singapore
1988 Porntip Nakhirunkanok ミス・タイランド タイ王国 台湾・台北市 Linkou Stadium
1989 Angela Visser Miss Nederland オランダ メキシコ・カンクン Fiesta Americana Condessa Resort
1990 Mona Grudt Frøken Norge ノルウェー Los Angeles, USA Shubert Theatre
1991 Lupita Jones Señorita México メキシコ Las Vegas, USA プラネット・ハリウッド
1992 Michelle McLean Miss Namibia ナミビア タイ・バンコク Queen Sirikit National Convention Center
1993 Dayanara Torres ミス・プエルトリコ プエルトリコ メキシコ・メキシコシティ Auditorio Nacional
1994 Sushmita Sen Femina Miss India インド フィリピン・マニラ Philippine International Convention Center
1995 Chelsi Smith ミスUSA USA ナミビア・ウィントフック ウィントフック・カントリー・クラブ
1996 Alicia Machado ミス・ベネズエラ ベネズエラ Las Vegas, USA プラネット・ハリウッド
1997 Brook Mahealani Lee ミスUSA USA マイアミビーチ, USA Miami Beach Convention Center
1998 Wendy Fitzwilliam Miss Trinidad & Tobago-Universe トリニダード・トバゴ ホノルル, USA Stan Sheriff Center
1999 Mpule Kwelagobe Miss Universe Botswana ボツワナ Chaguaramas, トリニダード・トバゴ Universe Center
2000 Lara Dutta Femina Miss India インド キプロス・ニコシア Eleftheria Stadium
2001 Denise Quiñones Miss Puerto Rico Universe プエルトリコ Bayamon, Puerto Rico Coliseo Ruben Rodriguez
2002 Oxana Fedorova (Dethroned) Miss Russia ロシア San Juan, Puerto Rico Coliseo Roberto Clemente,
Justine Pasek Señorita Panama-Universo パナマ
2003 Victoria Amelia Vega Polanco Miss República Dominicana Universo ドミニカ共和国 パナマ・パナマシティ Figali Convention Center
2004 Jennifer Hawkins Miss Universe Australia オーストラリア エクアドル・キト Centro de Exposiciones y Convenciones Mitad del Mundo
2005 ナタリー・グレボバ ミス・ユニバース・カナダ カナダ タイ・バンコク Impact Arena
2006 Zuleyka Jerrís Rivera Mendoza ミス・プエルトリコ プエルトリコ ロサンゼルス シュライン・オーディトリアム
2007 森理世 ミス・ユニバース・ジャパン 日本 メキシコ・メキシコシティ ナショナル・オーディトリアム


[5] ミス・ユニバース優勝者出身国一覧

2007年現在ミスユニバースを獲得した国の地図
2005年のミス・ユニバース、ナタリー・グレボバ国 優勝回数 優勝年
アメリカ合衆国 7 1954, 1956, 1960, 1967, 1980, 1995, 1997
プエルトリコ 5 1970, 1985, 1993, 2001, 2006
ベネズエラ 4 1979, 1981, 1986, 1996
スウェーデン 3 1955, 1966, 1984
日本 2 1959(児島明子), 2007(森理世)
カナダ 2 1982, 2005
オーストラリア 2 1972, 2004
インド 2 1994, 2000
トリニダード・トバゴ 2 1977, 1998
タイ 2 1965, 1988
フィンランド 2 1952, 1975
フィリピン 2 1969, 1973
ブラジル 2 1963, 1968
ドミニカ共和国 1 2003
パナマ 1 2002
ボツワナ 1 1999
ナミビア 1 1992
メキシコ 1 1991
ノルウェー 1 1990
オランダ 1 1989
チリ 1 1987
ニュージーランド 1 1983
南アフリカ共和国 1 1978
イスラエル 1 1976
スペイン 1 1974
レバノン 1 1971
ギリシャ 1 1964
アルゼンチン 1 1962
ドイツ 1 1961
コロンビア 1 1958
ペルー 1 1957
フランス 1 1953

2002年大会ではロシア国籍女性Oxana Fedorovaが優勝したが、米TV出演時侮辱されたと感じたこともあり、また博士号請求論文準備のためミス・ユニバースとしての仕事がこなせず、規約違反により9月にタイトルを剥奪され、2位(準ミス)のパナマ代表Justine Pasekを繰り上げ優勝とした。Fedorovaは12月に民法の博士号を取得した。
ミス・ユニバース機構は上記のロシア国籍女性をミス・ユニバースと認めるのを拒否するが、一般的にはこの女性は元ミス・ユニバースとして見なされることが多く、母国ロシアでも「ミス・ユニバース2002」として扱われている。

[6] 関連項目

ミスUSA
ミス・ティーンUSA
ミス・ユニバース・ジャパン

[7] 外部サイト

ミス・ユニバース
1952年から2006年までの優勝者一覧と2007年大会の全参加者一覧
ミキモト製ミス・ユニバース王冠
カテゴリ: 翻訳中 | コンテスト | ミス・ユニバース



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水着





水着(みずぎ、swimwear、swimsuit、swimming suit)は、プールや海で運動、遊泳もしくは潜水用に着用する衣服のことである。水泳用、潜水用など様々な物があり、デザイン・構造や素材など多くの点で異なる。

目 次

1 水着の歴史

2 使用目的による分類
2.1 運動用
2.2 遊泳用
2.3 潜水用
2.4 ラッシュガード
2.5 見せるためのもの
2.6 女子プロレスラー用

3 構造による分類
3.1 女性用水着
3.2 男性用水着

4 水着用下着

5 運動競技用水着についての概要

6 関連項目



[1] 水着の歴史

[2] 使用目的による分類

[2.1] 運動用

水泳競技やフィットネスに用いられる水着。体を動かす支障にならないこと、脱げにくいこと、(特に競泳において)水の抵抗を減らすことが求められる。競泳用水着、スクール水着、フィットネス水着など。競泳選手は水着自体による水の抵抗を減らすために肌の露出度を高める傾向があり、男子はブリーフ型(俗に言う競パン)、女子はハイレグ型が一般的であった。2000年代頃から水着の素材や表面の模様を工夫することによって、水着表面の抵抗が肌の抵抗を下回るようになると、首、手首または腕、足首を除き、全身を包み込む様な物等が普及し始め、長尺の水着を使用する事が多くなった。オリンピック競技などの水着はいわゆる新素材・ハイテク素材が積極的に投入されている。ライフセーバーにおいても同様の全身を包み込む様な物等が普及し始めているが、これらは危険回避や体温の維持などを重視した物が多い。


[2.2] 遊泳用
男性はトランクス形式の物が多いが、女性はファッション性を重視し、ワンピースタイプや、胸部と下腹部にそれぞれ着用するビキニタイプといわれるものが一般的である。海岸での海水浴やプールなどでの水遊びのために用いられる水着。もっぱら見た目の華やかさ、スタイルを美しく見せることが重視される。特に女性用は各メーカーのファッションデザイナーが毎年、新作を発表し水着キャンペーンガールと呼ばれる女性達が広告宣伝を行っている(近年、キャンペーンガールを取りやめるメーカーも多くなってきた)。デザインや色・模様などはまさしく千差万別ではあるが、白のように薄い色合いの布地は水に濡れると透けてしまうことから(後述するような「見せるためのもの」を除いては)使われることは少ない。しかし2000年代頃より「透けない白」などと呼ばれる新素材を用いたものが登場している。


[2.3] 潜水用

シュノーケリングなど、主として水面で行われるレジャーとしての簡易な潜水の場合は、多くの場合遊泳用水着が用いられる。潜行を伴うスキンダイビングやスクーバダイビングでは、ウェットスーツやドライスーツが用いられる場合が多いが、水温が30℃を超えるような場合には、ダイブスキン(あるいはスキンスーツ)と呼ばれる、全身を覆う形状の水着が着用される場合もある。


[2.4] ラッシュガード

主としてサーフィンに用いられる、低温、紫外線、擦過傷、あるいはクラゲ等の有害生物から身体を保護することを目的とした水着である。ウエットスーツの内側に着用されることが多く、また有害生物が内部に侵入することを防ぐため、伸縮性の生地を用い、身体に密着するようになっている。形態は男性用、女性用ともほぼ同じで、上半身は着丈の比較的長い長袖あるいは半袖、下半身はショーツ型である。素材としては身体の保護性能を高めるため、他の水着よりは厚く、目の詰まった素材が用いられることが多い。形態・素材の点で従来の水着と若干異なるため、商品としては水着とは区別して販売される傾向にあるが、用途や基本的な構造等の点では実質的に水着そのものである。


[2.5] 見せるためのもの

水着を着用して仕事をするときに用いられる水着で、水着をファッションとして使用するため水につかることはない。水着キャンペーンガール、レースクイーン、ミスコンテスト、またはアイドルの水着撮影会のときに着用される。

水着の機能は一通り備えるが、体を覆う面積が少ないなど水着が本来持っている機能を果さないデザインもある。他にボディビルダーがポージングのために着用する水着もある。レオタードは水着とは全く違う起源をもつため、水着の一種には分類されない。


[2.6] 女子プロレスラー用

女子プロレスラーの試合用コスチュームも、通例『水着』と呼称する。これはかつて、水着を改修して試合用のコスチュームとしていたことにより言い習わされたもので、現在でも新人は水着を改修したものを使用することが多い。


[3] 構造による分類

[3.1] 女性用水着

デザインによる分類
ワンピース水着 - トップ(上半身)とボトム(下半身)が繋がっているタイプ
モノキニ - バックのデザインがビキニのようなデザイン
Aライン - ボトムにスカートがついたデザイン
スリングショット - 2本のストラップだけで首からボトムまで連続しているデザイン
ツーピース水着 - トップ(上半身)とボトム(下半身)がそれぞれ独立したタイプ
セパレーツ - ビキニを抑えた感じのデザイン
タンキニ - タンクトップやキャミソール型のトップとボトムが組み合わさったデザイン
ビキニ - 布地が小さいデザイン
チューブトップビキニ - ストラップを使わずにバスト部分でとめるビキニ
三角ビキニ - トップとボトムが三角の形をしたビキニ
マイクロビキニ - 最小限の部分だけを覆うビキニ
トップ(上半身)のラインによる分類
ベアトップ - バストラインより上をカットしたデザイン
ベアバック - 背中を大きくカットしたデザイン、バックレス
ベアミドリフ - ウエスト部分を大きくカットしたデザイン、寸胴を目立たせなくする
Vネックライイン - 胸元を深くカットしたデザイン、バストラインを美しく見せる
ホルターネック - ストラップを首に吊るしたデザイン
ワンショルダー - 片方のストラップをとったデザイン、肩幅の広さを目立たなくする
ストラップレス - ストラップがないデザイン
バッククロス - 背中でストラップを交差させたデザイン、背中を小さく細く見せる
ボトム(下半身)のラインによる分類
ハイレグ - 腰骨あたりまでカットされたデザイン、足を長く見せる
スーパーハイレグ - サイドが3〜4僂靴なく腰骨より上にハイカットしたデザイン
ローレグ - カットが非常に浅いデザイン
ボーイズレッグ - ショートパンツ風のデザイン
ローライズ - 股上が浅いデザイン、1970年代まで流行ったが短足に見えるため現在は殆どない
ボトム(下半身)のバックによる分類
フルバック - ボトムのバック全体をすっぽり覆うデザイン、お尻の大きさを目立たせなくする
ブラジリアンカット - ハイカットでボトムのバックが1/2カットのデザイン
リオカット - よりハイカットでボトムのバックが1/2カットのデザイン
Tバック - ボトムのバックがT字型のデザイン
ソング - ボトムのバックがT字型のデザイン
タンガ - ボトムのフロントとバックがV字型、サイドがひも状のデザイン
Gストリング - ボトムのフロントがV字型、バックとサイドが細いひも状のデザイン
その他
ストラップレス - トップに肩ひもがない形のもの(英語の意味もそのままである)。胸の大きさが目立たないという長所がある反面、上からの衝撃には弱いという欠点がある。
センターストラップ - 肩ひもが首から胸の中央までV字になっているもの。これも胸が目立たず、可愛いという特徴がある反面、乳首と肩ひもの位置が一致していない為、やはり上からの衝撃に弱い。
ワイドストラップ - センターストラップと逆で、胸の両側までハの字になっているもの。
タイサイド - ボトムのサイドを紐で結ぶことでサイズを調整するもの。近年は飾りとしてダミーの紐となっているものもある。
ワンピース・セパレーツ共にボトム部分がロングスパッツになっているものがあり、競泳用・スクール水着に使用される。また遊泳用としてはボトムにミニスカートやホットパンツ、パレオ等と併用する場合がある。


[3.2] 男性用水着

レーシング - 主に競泳用。(ブリーフ型 )俗に言う競パン。
ビキニ - ブリーフ型の中でも、特にサイドラインが細く、更に露出度が高いもの。こちらは主に競泳用ではなく、ボディビルダーが身体を見せるのに使うポージングに使用することがあり、また少数だが遊泳用として使う人もいる。
Tバック型 - 使途目的はビキニと同じだが、バックスタイルがT型の形状になっている為、臀部が隠れない形。
ボックス型 - 使途目的はビキニと同じだが、サイドが大きくショートスパッツに近い形のもの。遊泳用として使われる。
トランクス型 - 主に遊泳用。
ショートスパッツ型 - 公式競泳大会用に着用される。基本的に素材は、レーシングで使われているものと同種。
ロングスパッツ型 - ショートスパッツ型同様、競泳用に使用される。
ワンピース型 - 主にタイムを競うことを前提とした競泳用として、水中での抵抗を減らす目的で、近年使用されてきている。これと別に、トレーニングやシェイプアップなどを目的とする為に、逆に水中での抵抗を増やすような作りになっているものもある。


[4] 水着用下着

第一次性徴期の男女は身につけないことが多い。ただし、股布の無い水着を着用する場合はスイムショーツ(スイムサポーター)を履くことが多い。第二次性徴期以降は陰部の保護や陰部はみ出し、陰毛のはみ出しや女性の場合メコスジを防ぐために股布のある水着を着用していても水着の下にスイムサポーターを履くことが多い。一般に競泳選手は履くことはない。色は白・ベージュ・黒などである。また、第二次性徴期以降の女性は、胸ポチや、摩擦を避けるために粘着式の乳首被覆用パッド(知名度の高いニプレスは常盤薬品工業の登録商標である)を貼り付けたり、水着の下にバストパッドを付けることもある。どちらとも下着は水着からはみ出ないように着用する。



[5] 運動競技用水着についての概要

運動競技用の水着については、1970年代以降、素材の改良やデザイン形状の見直しが常に行われ、記録の向上に寄与してきた。そんな中で、水着の製造・販売に携わるスポーツ用品メーカーの競争が繰り広げられ、業界再編につながるケースも出てきた。

現在世界ではフランスの『arena』の陣営と、英国の『SPEEDO』の陣営がメジャーとなっており、これに、イタリアの『DIANA』、日本の『アシックス』が続く。最近では、アメリカの『ナイキ』、ドイツの『アディダス』、更には北京オリンピックをにらんで中国の『Yingfa(インファ)』が、世界市場に食い込んでいる。

日本国内では、デサントが『arena』陣営に、ミズノがかつては『SPEEDO』陣営に加わり、これにアシックスを加えた3社が、日本水泳連盟から各競技代表選手への水着供給メーカーとして指定され、一般に普及している。しかし、各社とも技術力をつけてきたことや上記海外勢が日本への展開を本格化させたこともあり、近年は独自の世界戦略をとり始めている。

アシックスは『DIANA』陣営に加わり、日本で同社の水着を製造・販売していたが、陸上競技などで自社ブランドへの世界的認知が高まったことから、競技用水着については自社ブランドに切り替えた(現在でも女性向けフィットネス用についてはDIANAブランドの人気が高いため契約自体は継続し、『COMO DIANA』のブランドで製造・販売中)。更に、『SPEEDO』陣営の一員として数々の先端技術開発を担ってきたミズノも、2006年末、創業100年を機に「全商品のブランドを“MIZUNO”に統一する」という方針を明確にし、『SPEEDO』とのアジア地区パートナー契約を2007年5月で終了させ、以後は自社ブランドの水着を展開している。

なお、『SPEEDO』水着は、ミズノのライセンシー契約が終了後、三井物産が新たなパートナーとなり、ゴールドウインが受託製造して展開されている。


[6] 関連項目

アイドル水泳大会
競パン
ウィキメディア・コモンズには、水着に関連するマルチメディアがあります。"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%9D%80" より作成
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | 水着
19世紀中頃の女性用水着
20世紀初頭の女性用水着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ミスユニバース(日本代表)優勝の、森理世さん水着姿、何度みてもグッドなプロポーション

2007ミス・ユニバース 日本代表森理世さんら水着撮影に臨む - メキシコ

森 理世さん、、ううん、何度みても良いプロポーション!!

▼記事▼
メキシコで5月28日に開かれる2007ミス・ユニバース(Miss Universe 2007)世界大会に出場するミス・ユニバース・ジャパン(Miss Japan)森理世(Riyo Mori)をはじめ各国代表が、16日にカミノレアル・ホテル(Camino Real Hotel Mexico)のプールで水着撮影を行った。(c)AFP/Miss Universe L.P., LLLP/DARREN DECKER

写真は、写真撮影に臨むミス・ユニバース・ジャパン(Miss Japan)森理世もり りよ)さん。(c)AFP/HO/Miss Universe L.P., LLLP DARREN DECKER
(出典 : AFP)

<2007ミス・ユニバース>世界大会に出場、イ・ハニ - 韓国

<2007ミス・ユニバース>世界大会に出場、イ・ハニ -清楚なミス韓国も、悩みがあるんだね!



ミス・コリアのイ・ハニさんは、他のミス・ユニバース候補と、一線を課すかのように清楚な美女だ。バタ臭く、欧米か!ちゅうう感じのオンパレードの中で、違った意味で

新鮮な、一服の清涼剤のような印象ざんす。

でも、記事を読むと、ミス・コリアになり韓国内で有名になったがゆえに、誹謗中傷されたりして
ミス・コリアって何なんだろう?私は芸能人?などと、色々悩んだようだ。

やっぱり、自分について、世の中について、身をもっていろいろと考えさせられると、内面から出てくる美しさが、にじみ出てくるのかもしれませんな。。。

「韓国 = 大韓民国」とは▽

大韓民国
대한민국 (大韓民國)


(国旗) (国章)

国の標語 : 遍く人間を得にさせよ
(韓国語:널리 인간을 이롭게 하라) 国歌 : 愛国歌 公用語 韓国語
首都 ソウル
最大の都市 ソウル
大統領 盧武鉉
国務総理 韓明淑
面積
- 総計
- 水面積率 世界第107位
98,480km²
0.3%
人口
- 総計(2004年)
- 人口密度 世界第24位
48,598,175人
493人/km²
GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
839兆825億ウォン
GDP(MER)
- 合計(2005年) 世界第13位
7,207億ドル
GDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り 世界第11位(2004年)位
8,553億ドル
17,700ドル
独立宣言
日本統治の終了
憲法制定 1919年5月1日
1945年8月15日
1948年7月17日
通貨 ウォン(KRW)
時間帯 UTC +9(DST: なし)
ccTLD KR
国際電話番号 82

大韓民国(だいかんみんこく、south korea)は、東アジアにある朝鮮半島の南半部を領土としている国。通称、韓国(かんこく)。首都はソウル特別市。

目 次

1 概要
2 国名
3 歴史
4 政治
4.1 内政
4.2 南北関係・統一問題
4.3 国際関係
4.3.1 米国との関係
4.3.2 日本との関係
4.3.3 中国との関係
4.3.4 ソ連・ロシアとの関係
4.4 その他
5 地理
6 行政区域
7 経済
7.1 建築・土木
7.2 造船
7.3 製鉄
7.4 自動車
7.5 半導体・電子部品
7.6 電子機器
7.7 情報・通信
7.8 農業
7.9 医療・生命科学
7.10 生活家電
8 軍事
9 国民と社会
9.1 民族構成と言語
9.2 社会の特徴
9.3 地域対立と不平等
9.4 宗教
9.5 人材
9.6 教育
10 文化
10.1 人間関係と価値観
10.2 大衆文化
10.3 世界遺産
10.4 表現の規制撤廃の動き
10.5 祝祭日
10.6 文化の日韓関係
10.7 文化の関連項目
11 脚注
12 関連項目
13 参考書籍
14 外部リンク
14.1 公式サイト
14.2 その他



概要

ソウル市内
漢江とソウルの夜景軍事境界線(38度線)を挟み朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治区域と対峙する分断国家であり、朝鮮民族国家としての統一は国民の悲願とされる。

日本海を挟んで日本と、黄海をはさんで中華人民共和国と国境を接する。韓国人口のほぼ半分は、世界で5番目に大きな大都市圏であるソウル都市圏(ソウル・インチョン周辺)のある京畿道で生活する。

日本による植民地統治からの解放後、再び連合軍によって日本統治下におかれる等紆余曲折を経て、1948年に建国される。その後、朝鮮戦争や軍部出身大統領による独裁政権時代を経て、1980年頃より民主化運動が盛んになる。当初は光州事件での政府による民間人大量虐殺など、その運動は弾圧されていたが、1987年に自由選挙が実現された。現在は複数政党制の民主主義社会である。

北朝鮮とは建国以来敵対関係にあり、朝鮮戦争以降も小規模な軍事衝突がたびたび発生しており、常に緊張状態にある。金大中政権以降の北朝鮮に対する融和的な政策(太陽政策)により表面的には友好関係が築かれつつあるが、北朝鮮による核開発問題や拉致(拉北)問題など未解決の問題が山積している。また北朝鮮の経済的な破綻や人権問題などもあり、南北統一の実現には未だ多くのハードルが残されている。

日本とはおおむね友好関係にあるが、草の根的な国民感情として反日意識があり、ソウルオリンピック以降はライバル意識も高まった。反日感情の淵源は日本による植民地支配にあると解釈されるケースがほとんどである。自力で植民地解放を勝ち取れなかったことが対立意識を長引かせると予言した独立運動家もいた。植民地の洗礼を受けた他地域では同様の反宗主国感情が生じていないことを鑑みれば、自力で植民地解放を勝ち取れなかったことがや李承晩の時代からの反日教育が原因であると考えざるを得ないと、言われている。また、韓国は中国からの属国支配、大日本帝国による併合、朝鮮戦争などのことを乗り越えてきたため、異常に民族意識が高い場合が多い。

米国とも基本的に友好関係にあるが、近年は太陽政策や在韓米軍問題などをきっかけに、反米感情が噴出し、現在では距離を置き独自路線を歩みつつある。(親北反米)

IT産業、自動車産業などを中心に世界で12番目の経済的規模があるが、中国の躍進や1997年のアジア通貨危機、内需不振などにより経済は低迷傾向にある。また国民の間の経済的な貧富の格差が社会問題となりつつある。


国名
韓国語(朝鮮語)での正式名称は、ハングル表記:대한민국、漢字表記:大韓民國。読みは、テハンミングク、Daehan Minguk。略称は、한국(韓國、ハングク、Hanguk)。

日本語表記は、大韓民国。通称は、韓国。北朝鮮政府は、南朝鮮という呼称を使用している。日本においても、南朝鮮と呼ぶ立場をとるケースがある。 英語ではRepublic of Korea通称、R.O.K. またはSouth Korea。

「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本と清との間で取り交わした下関条約の後の1897年に当時の大朝鮮国(朝鮮王朝)が国号を大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。1910年の日本による韓国併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻された。のち、1919年に李承晩(のちの初代大統領)・金九ら独立運動家が国外につくった大韓民国臨時政府は、亡命政権の名称として「大韓」の名を用いると同時に、初めて共和制国家としての名を採用した。

(注) 「朝鮮」という呼称は、北朝鮮を認め韓国を否定するものと理解されるため、韓国人は嫌っている。「朝鮮民族」や「朝鮮語」などの言葉が日常で使われることはほとんどなく、「韓民族」や「韓国語」と呼ばれる。背景には、北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していることなどがある。韓国では朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮海峡を「大韓海峡」、朝鮮戦争を「韓国戦争」(「韓国動乱」、「6・25(ユギオ)」とも)と呼称するのが一般的である。北朝鮮を「北韓」、朝鮮人参も「高麗人参」という(「高麗人参」は土産物用、輸出用に限られ、韓国内では「人参」という。野菜のニンジンは「タングン」(唐根)という)。ただし、ホテル名や学校名、朝鮮日報のような新聞社名など、ごく少数の固有名詞で、植民地時代からの歴史のあるものや伝統的な語感を生かそうとしている名称には「朝鮮」が使用されることもある。


歴史

景福宮。旧朝鮮王朝の王宮
旧朝鮮王朝の王宮詳細は朝鮮の歴史、韓国現代史年表を参照


大韓民国は、アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され、成立した。
大韓民国成立後の歴史は、憲法による政体の相違によって、7つの時代に区分される。




アメリカ軍政庁期(非独立):1945年 - 1948年
第一共和国期:1948年 - 1960年
第二共和国期:1960年 - 1961年
国家再建最高会議(軍政)期:1961年 - 1963年
第三共和国期:1963年 - 1972年
第四共和国期:1972年 - 1979年
第五共和国期:1979年 - 1987年
第六共和国期:1987年 - 現在

政治
詳細は第六共和国を参照


内政

盧武鉉(ノ・ムヒョン)現大統領建国以来、大韓民国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日に最初の憲法を採択して以来、9回の改憲を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。

現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容とされている。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月25日に盧泰愚が大統領に就任して以来、今日まで持続している。なお、現在の大統領は2003年2月25日に就任した盧武鉉であり、2008年2月24日まで大統領職を務める予定である。同政権の支持基盤は脆弱であり、景気不振に対する不満等により、支持率は低迷している。

盧武鉉は公州市への行政首都移転の方針を打ち出している。これは忠清道での政権支持拡大をねらった側面もある。移転計画は2030年完成予定。


南北関係・統一問題
建国以来、北朝鮮とは「朝鮮の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。1950年におこった朝鮮戦争で朝鮮半島の分断は決定的となった。その後、韓国では民主化時代まで強度の反共主義が取られ、北のスパイや共産主義者に対して厳重な取締が行われた。

統一に向けた努力が幾度と試みられたが、実を結ぶには至っていない。1980年には、北朝鮮から高麗民主連邦共和国創設と、低い段階での連邦制を提示された。冷戦終結以後は雪解けが進み、韓国と北朝鮮の国連同時加盟や共同声明に結実した。韓国は金大中政権以降になって太陽政策をとり、初の南北首脳会談が実現するなど、国内に和解ムードが広がっている。一方で北朝鮮核問題、韓国人拉致疑惑問題など未解決のいくつかの問題がある。

詳細は朝鮮統一問題を参照のこと。

国際関係

米国との関係
第二次世界大戦後、東西冷戦体制が形成されるなかで、右派を中心とする大韓民国が成立した。1948年11月20日、国会で米軍の無期限駐留要請が決議されたように、大韓民国の成立と、朝鮮戦争での大韓民国の防衛には、アメリカ合衆国を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年の米韓相互防衛条約締結によって韓国は米国の同盟国となった。

冷戦期には、韓国は軍事的、経済的に米国へ依存を余儀なくされてきた。多数の韓国人が米国に移住し、在米韓国人数は200万人に達している。またこの間、韓国政府は米政府に経済援助を申出て、その見返りとしてベトナム戦争に参戦している。[1]

1990年以降の東西冷戦体制の崩壊や韓国経済の躍進は、この構図を転換する要因となった。韓国はソビエト連邦、中華人民共和国、ベトナムと次々に国交を樹立し、これらの国々に対する経済投資も拡大している。1998年の金大中政権成立後は太陽政策によって北朝鮮との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年の老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両が韓国人女子中学生を轢き殺した事件によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。

2006年におきた北朝鮮の核実験では北朝鮮との宥和政策を推進する余り、露骨に親北反米政策を取ったため米国との関係は冷却化している。


日本との関係
歴史的背景から日本に対する敵対意識・ライバル意識の強い国ながら、政治経済・文化などあらゆる分野で緊密な関係にあり近隣友好が模索されている。

第二次世界大戦が終わり日本の統治から解放され、李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初、韓国と日本の関係は冷ややかなものであった。当時から韓国国内には日本が植民地化と植民地支配に関して謝罪や賠償を行わないことに対する批判があった。一方、日本国内には、韓国が竹島(韓国名は独島:독도)を武力によって不法に占拠したこと、韓国が日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を抑留することに対する批判があった。李承晩政権期は国交断絶状態であったが、朴正煕政権が成立して両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題が最も紛糾したと言われている。韓国による対日請求権の主張に対して、日本側は植民地時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル[2])を主張することで韓国側に対抗した。結局、国交正常化に伴い韓国は、「請求権資金」の日本による供与と引き換えに韓国側の対日請求権を放棄した。韓国はその資金を不足していたインフラの整備に充てた。

1997年のアジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの同じく経済通と呼ばれた金鐘泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対するIMF緊急支援570億ドルのうち百数十億ドル分を負担した。 [3]。 2003年に盧武鉉政権が発足。盧武鉉政権は当初、歴史問題に言及しないと言明するなど両国関係は良好であった。しかし、両国政府関係は、島根県の「竹島の日条例」の制定をきっかけに、小泉純一郎前首相の靖国参拝や歴史教科書問題もあり悪化した。民間交流のあり方は一様ではない。韓流ブームも影響してか民間交流は活発化しているが、2004年から2005年にかけては反日運動の影響により交流行事を韓国側からキャンセルするケースがいくつも出た。

経済面において日本と韓国の関係はたいへん深い。韓国にとって日本は携帯電話の高品質部品の調達先である。また、特許使用権でも日本の占める割合は小さくない。日本にとっても韓国は、重要な部品や技術の輸出先である。韓国の対外輸出が増えるにともない、日本からの部品輸入や日本への特許使用権の支払い額も増加する傾向にある。戦後一貫して日本の対韓貿易は黒字が続いている。 李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に二度にわたり通商断交を宣言したことがある。 その第1回は1955年8月〜翌年1月、第2回は1959年6月〜翌年4月である。 しかし、2回とも1年以内に通商を再開している。 2003年に両国首脳はFTA締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。

韓国の建国以前の日朝関係、及びに日韓関係の詳細については、日韓関係史概観を参照のこと。
盧武鉉政権は植民地時代・親日派問題の清算として「日帝強占下反民族行為真相糾明特別法」及び「親日反民族行為者財産帰属特別法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する事を可能にし、適用がはじまっている。日帝強占下反民族行為真相糾明特別法及び親日反民族行為者財産帰属特別法を参照のこと。
日本海の呼称に関する両国間の対立については、日本海呼称問題を参照のこと。

中国との関係
1951年、中国人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦し、一時はソウルを占領したことにより、韓国と中華人民共和国(以下、中国と略称)の関係は長らく敵対的なものとなった。韓国は中華民国(台湾)と親交を深めた。しかし1979年の中国の対外経済開放政策や1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、韓国の対中政策は転換した。盧泰愚大統領は1992年8月24日中華人民共和国との国交を正常化、中華民国とは外交的に断交した。これ以降、韓国では中国投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回っている。とくに山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。

その一方で韓国民の一部は、中国の超大国化によって韓国が飲み込まれるのではとの恐怖感を感じている。将来韓国が北半部を統一した場合、中国と国境を接する可能性がある。中国人民解放軍は、現段階では軍隊の規模は韓国軍よりも大きく、その上装備の近代化を進めている。

他方で、統一後は韓国が中国に対して上位に立つとする見解もある。全体的に見て中国軍の装備は、西側先進諸国の水準にある韓国軍に劣っている。また、有事の際、韓国軍は圧倒的な継戦能力を持つアメリカ軍による物資支援を受けるため、継戦能力においても韓国軍は優勢である。また、中国の経済はバブル経済で実際の成長はそれほどではないとの見方がある。

近年、旧間島問題とも関連して、高句麗が韓民族国家か中国の地方少数民族政権かという歴史論争が、韓国と中国の間で起きている。

近年、韓国の経済発展によって貿易総額が拡大、主要貿易相手国として中国が浮上している。輸出総額では、日本は中国、米国に次ぐ3位になり、日本の比重はやや低下している。輸出品でIT関連製品の占める割合が増大し、貿易は黒字基調が定着、IMF管理下に置かれた反省から外貨保有高は2000億ドルを超えている。

WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。

2005年に中国産キムチより寄生虫の卵が発見された。韓国産キムチからも寄生虫の卵が発見され、韓国と中国の間で問題となっている。

同年11月、端午の節句が「江陵端午祭」としてユネスコに選定され、中国政府関係者が苦言を呈するなど、歴史、文化的な衝突もある。


ソ連・ロシアとの関係
この項目については、ソビエト連邦の外交関係も参照の事。

1945年の第二次世界大戦終結で、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として米軍の南部とソ連軍(赤軍)の北部に分断占領された。1948年にアメリカ主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同年8月15日には南部単独で大韓民国が成立、追って9月9日には赤軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が北部のみで成立したため、韓国は建国当初からソ連と敵対関係になった。

ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国家の建設に成功し、朝鮮戦争では北朝鮮軍の南侵を支持したが、国連の安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で北朝鮮や中国の軍事作戦を支えた。その後のベトナム戦争では、アメリカの要請に応じてベトナムに出兵した韓国軍が北ベトナムを通じてソ連の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。この東西冷戦の激しい時期では韓国とソ連の関係は絶たれていた。歴代の韓国の政権は反共主義を唱え、北朝鮮の背後にいるソ連や中国を強く警戒していた。金日成の個人独裁が強化された北朝鮮で親ソ派が一掃されても、ソ連は北朝鮮を朝鮮半島唯一の正統政権と認め、韓国とは全く外交交渉を行わなかった。

1981年、ソウルが1988年のソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソ連を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソ連領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。

これが変化したのは、1985年に登場したソ連のミハイル・ゴルバチョフ政権が新思考外交による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソ連や中国との緊張緩和を目指す北方外交を提唱した結果、ソウルオリンピックはソ連や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソ連は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に韓国は北朝鮮と同時に国連加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソ連がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソ連国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次大戦前にスターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソ連国籍の朝鮮人(高麗人と称される)との交流が開始された。

1991年12月にソ連が崩壊してロシア連邦やその他の共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより、[1])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアは社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。

また、中央アジアで新たに独立したカザフスタンやウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人への韓国語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。


その他
2004年に、過去において韓国がウラン濃縮など核開発に結びつく研究を行っていた事実が公表され、IAEAの査察を受けている。

2005年には、同国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射能物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射能物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。


地理

朝鮮半島韓国は朝鮮半島全域を領土とし、そのうちの南北軍事境界線(38度線)以南及びその属島を統治している。38度線以北は、実際には北朝鮮政府が統治しているが、大韓民国では、地域をさす表現としての「北韓:북한 プッカン」が用いられている。なお、北朝鮮も同じく朝鮮半島全域を領土としており、韓国政府が統治する区域を、38度線以南の地域をさす意味で「南朝鮮:남조선 ナムジョソン」と呼ぶ。

西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡(対馬海峡西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50kmの距離である。

韓国と日本の間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降になって日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称をめぐって韓国政府と日本政府が対立する等、いくつかの問題がある(参考 日本海呼称問題 李承晩ライン)。

大韓民国の範囲

最南端 - 馬羅島(済州特別自治道西帰浦市)
最北端 - 江原道高城郡
最西端 - 白翎島(ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡)
最東端 - 韓国政府の主張に沿うと独島(日本名:竹島、慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里)、日本政府の主張に沿うと鬱陵島
半島部の緯度は日本の静岡県から宮城県と同じだが、冬は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である。例えばソウルは福島県二本松市、新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、冬の寒さは札幌市と変わらず、また釜山は千葉県南部や名古屋市と同緯度にあるが、冬は東京より平均気温が2、3度低い。この気候はオンドルを発展させた。しかし、三寒四温といって、日本と比べ雪が少なく、寒冷な気候がそれほど長く続くことはない。

済州島は和歌山県南部、高知県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山(標高1950m)がそびえる地形的要因により、非常に風が強く緯度の割に寒冷で、北部は東京より寒い。

夏は半島部においては日本より湿気が少なく過ごしやすい。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、冬の寒さがほぼ同じ札幌市に比べると高めで、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少ないため熱帯夜になることはほとんどなく、エアコンがなくても寝苦しいということはない。

ケッペンの気候区分では、釜山など南・東部は温暖湿潤気候、ソウルを含む北西部は亜寒帯冬季少雨気候に属するとされる。

近年は中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。


行政区域

大韓民国の行政区分詳細は大韓民国の地方行政区画を参照。

特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
1  서울(ソウル)特別市(ソウルとくべつし)
広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
2  釜山広域市(プサンこういきし)
3  大邱広域市(テグこういきし)
4  仁川広域市(インチョンこういきし)
5  光州広域市(クァンジュこういきし)
6  大田広域市(テジョンこういきし)
7  蔚山広域市(ウルサンこういきし)
道(Do、ト)
8  京畿道(キョンギどう)
9  江原道(カンウォンどう)
10 忠清北道(チュンチョンブクどう)
11 忠清南道(チュンチョンナムどう)
12 全羅北道(チョルラブクどう)
13 全羅南道(チョルラナムどう)
14 慶尚北道(キョンサンブクどう)
15 慶尚南道(キョンサンナムどう)
特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
16 済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)

経済

ソウル世界貿易センター
仁川国際空港
ソウル駅
ソウルの地下鉄
ソウルの地下鉄
サイワールド(Cyworld)編集室
ソウルのオーマイニュース編集部詳細は大韓民国の経済を参照

大韓民国の経済は、朝鮮戦争以降大きく立ち後れていたが、ベトナム戦争参戦を契機として所謂漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を遂げ、以降も順調に成長を続けて今現在は世界で13番目の経済的な規模がある。主要な産業はIT、造船、鉄鋼、自動車など。新興工業経済地域(NIEs) の一つに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。また、ここ10年で特許が急増し米学術情報会社のトムソンサイエンティフィックによれば、韓国は世界で3番目に多い特許件数を保有していると明らかにした。特に半導体や通信分野での活躍が目立っているという。実際に、有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)分野で2006年、国内と米国、日本市場で登録された特許は合わせて2613件となり、このうちサムスンSDIやLG電子など韓国企業の特許が1364件と全体の52%を占めた。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動車、LG電子などがある。また、特許権・独占販売権のロイヤリティーとして海外から支払われた金額が初めて20億ドル(約2395万円)を超えた。





建築・土木
韓国の建築・土木企業は世界に進出し、かつて世界一の高さを誇ったペトロナスツインタワーのうち、タワー2の建設をサムスン建設が請け負った。中東などでのインフラ整備にも受注が多い。

他方で、1990年代に崩落事故が相次ぎ、いずれも崩落により死者を出した三豊百貨店、聖水大橋等が不実工事(手抜き工事)として問題となった。

国外でも2001年以降にシンガポールでサムスン建設の手によるビルが地盤沈下を考慮せずに設計施工されたために入居前であるにも関わらず傾いてしまったことがある。

その後、建築基準が強化され、マスコミの監視も厳しくなり、2005年には再建中の聖水大橋にも問題があると朝鮮日報で報道された。


造船

製鉄
ポスコ(POSCO=旧浦項製鉄)など、世界最大級の製鉄会社がある。ポスコは新日鐵から技術を導入した。近年、中国で粗鉄の需要が急速に伸び中国国内の調達だけでは間に合わないため、韓国から輸入するケースが出ている。ポスコは日本市場進出を計画している。


自動車
自動車は日本企業との提携が多く、現代自動車は三菱自動車、現代自動車の傘下に入った起亜自動車はマツダ、GM大宇はトヨタ、ルノー・サムスンは日産自動車と提携していた。デザイン的にも日本車の影響が多かったが、近年は自社開発[[分野も増えてきており、欧米やアジア市場において、主に低価格帯の車種のシェアを伸ばしてきている。しかし、更に安価な中国車その他の台頭が、将来に影を落としている。それを受けて現代は高価格帯に食い込むために、高級セダン「ジェネシス」を発表した。 ジェネシスの評判は高く、自動車専門誌として米国最高の発行部数と権威を持つモータートレンドに誌面上にて絶賛されている。

また、米韓FTAの妥結に伴い自動車部品産業が北米市場への進出を拡大していくことが予想される中、自動車部品メーカーの海外市場に向けた動きが活発化していて、北米およびヨーロッパのゼネラルモーターズ(GM)、プジョー・シトロエングループ(PSA)やアウディ、フォルクスワーゲンなど世界の大手メーカーと相次いで商談が行われ、また、平和精工などのメーカーは日産USAとの納品商談会に参加するなど、日本の大手3社に納品するための土台作りに向けても一歩を踏み出した。北米GMは、これら部品メーカーとの間に実質的な取引関係が成立するよう各メーカーに少なくとも1件以上のプロジェクトを任せるとの内部方針を固めており、地域の自動車部品メーカーが北米GMに対し直接納品する機会は今後拡大していくことが見込まれている。一方、北米市場の一角を担っているカナダ地域についても、マグナグループなど3大ベンダーが来月に開催する商談会にテミョンなど6つのメーカーが参加する予定となっている。

他にも自動車の心臓部分に例えられ、車の価値を決める中心的要素といえるエンジン分野において、現代が開発したθ(シータ)エンジンが三菱とダイムラークライスラーに技術移転されており、現代は、そのロイヤリティーを取得している。


半導体・電子部品
DRAMでは世界シェアーの約半数近くを占める。半導体技術力が向上し、大規模な投資をして高収益を上げ、その大半を再投資に振り向けて政府の後押しにより最先端生産ラインを増強した結果である。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、日本の技術者も高額の給料で雇われ、土日のアルバイトで働くものもいた。結果、1990年代まで日本が独占していたDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。しかし、日本や他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めているため、この様な手法は今後取れないと見られる。 しかしながら、すでにサムスン電子、LG電子を初めとする韓国企業の半導体・電子部品技術力は、日本企業の技術を必要とするまでもない水準に達しており、特にサムスン電子は、次々と新製品、新技術を開発して世界の半導体・電子部品技術をリードする存在となっている。


パソコンや携帯等で使われる汎用品の液晶パネルは世界トップのシェアを占めている。液晶テレビの国別シェアは日本、台湾に次いで3番目である。技術開発競争が激化し、価格競争により採算面(人件費の高騰)で厳しくなっていることが課題となっている。日本から特許侵害で提訴されるケースもあるため、韓国側からも対抗提訴が行われている。日本のメーカーの中には、シャープのように、技術流出を防止しようと製造現場をブラックボックス化する動きもある。他方で、ディスプレイ事業を持たないソニーがサムスンと提携しS-LCDを設立するなどの動きが出ている。


電子機器
携帯型デジタルオーディオプレーヤーが韓国国内で数多く製造、販売されており、主な製品としてiRiverやiAudioなどがある。しかし、世界の携帯型MP3プレーヤー市場ではApple社のiPodシリーズが圧倒的なシェアを獲得しており、また日本国内においてもIPodの勢力が強い上、残りのシェアもSony、Panasonicなどが占有し韓国製品は大きなシェアを獲得するには至っていない。世界的に有名なパソコンメーカーとして韓国コンピューターメーカー社が合資した会社eMachinesがあり、低価格のパソコンが全世界で好評を博した。2005年にゲートウェイに買収された。


情報・通信
携帯電話の分野では、第三世代携帯電話 (3G) を中心に韓国製のシェアが伸びている。サムスン電子はノキア、モトローラに次ぐ世界第3位のシェアを握る。

LG電子のチョコレートフォン(モデル名: LG-KG800)が、アジア最高のデザイン賞である「2006香港デザイン・アジア・アワード」で「プロダクトデザイン」部門のグランド・アワードを受賞した。 今年で4回目を迎える「2006香港デザイン・アジア・アワード」は、プロダクトデザインの優秀性、アジア人のライフスタイルへの影響力とビジネスとしての成功という側面から製品を評価、賞を授与するイベントで、アジアで最高の権威を誇る。また、スーダンで開催されたオークションイベントで約288万円で落札された。

他にも北米最大級の情報関連イベント「CTIA Wireless 2007」を主催している米国のセルラー・テレコミュニケーションズ・アンド・インターネット・アソシエーション(CTIA)は「CTIA 次世代無線通信技術アワード」でサムスン電子のブラックジャックを「最高のスマートフォン」に選んだと発表した。 「CTIA 次世代無線通信技術アワード」は、IT専門家や報道人からなる選定委員会が米国国内で発売されたりサービスされている携帯電話や通信技術を対象に最高の製品を選ぶ携帯電話関連の授賞式である。


基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアーが拡大しているのが強みである。フラッシュメモリーは日本、米国にも相当部分輸出され、反面で、それらの国から部品も輸入し、水平分業が盛んである。CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれている。

インターネットの分野ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービスやオーマイニュース(OhmyNews)などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約による。また、かつてはセキュリティに関心をもつ人々が少なくアンチウイルスソフトウェアをインストールする比率が低かったが、ウィルスにより国中のネットワークがダウンした以後、セキュリティに対する関心が高まっている。しかし、一方では全世界のスパムの約20%が韓国が発信元となっている(2005年10月現在:ウイルス対策会社ソフォスによる調査)など、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状もある。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は、匿名性を廃止し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。


農業
第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術を導入したこと、等が要因である。 禹長春(ウ・ジャンチュン)博士の業績が知られている。


医療・生命科学
近年、韓国は医療・生命科学技術を振興している。人間の細胞を用いたクローン技術をもつ国のひとつである。人間の細胞を用いることは倫理上の問題で研究が制限される傾向がある。韓国主導で「世界幹細胞ハブ」が進んでいるが、卵子採取に際して倫理的な問題があるとして米ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン教授が黄禹錫教授の共同研究チームとの決別を表明し、卵子採取がどのようなルートで行われたか問題となった。黄禹錫教授は当初問題は無いとしていたが、その後になって倫理的に問題があったものと認めた。ただし、韓国政府は倫理性の問題については触れずに、制度上の違法性は無かったと判断している。論文自体捏造であることが知れ渡り始めたので、この項目が正しいかどうか判らない。また、産業としての裾野が無いため、むしろこの分野では遅れている。

2005年10月19日、近代の医療技術により治療困難な重度の疾患をおった患者の細胞から胚性幹細胞(ES細胞)を作成して治療することを目的にした世界初の細胞バンク「世界幹細胞ハブ」(本部・ソウル大学)を立ち上げ、国を挙げてバイオテクノロジーを振興しようとした矢先の2005年12月、同所長に就任していたソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授が2004年の2月に米科学雑誌Scienceに発表した世界初のヒトクローン胚からのES細胞作製に関する論文にねつ造の疑惑が浮上。捜査と再検証によりイヌクローン以外の論文は全てねつ造だという結果となり、ソウル大学を免職処分、さらには詐欺、横領罪により起訴されるに至っている。(事件の詳細は黄禹錫の項を参照)





生活家電
朝鮮日報によると、韓国の生活家電事業が世界市場に急浮上しているという。また、韓国メーカーは、新技術とデザインで武装した製品を次々に発売し、「今や斜陽産業」と呼ばれた家電市場の再復興をリードしていると評価されている。

サムスン電子、LG電子、大宇エレクトロニクスなどの韓国メーカーは、欧州の2ドア冷蔵庫市場を席巻しているという。フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデンなどの主な市場における韓国メーカーの市場シェア率を合計すると、60‐80%に達している。韓国メーカーは2000年に欧米市場に参入した。欧州生まれのドラム洗濯機を北米市場で販売したのも、米国式2ドア冷蔵庫を欧州に初めて紹介したのも韓国メーカーであった。LG電子は現在、世界洗濯機市場(全体で7000万台前後)でシェア13%。ワールプール(18%)とエレクトロラックス(15%)に続き3位、エアコン市場で世界1位である。

また、LG電子は2001年、国内市場で初めて発売したパステルカラーの取り付け型エアコンが人気を呼び、02年に欧州市場でもカラー製品を発売した。それ以降、家電は白という従来の観念を覆し、欧州では家電のカラー化が急激に進んだ。 他にも洗濯物は必ず水で洗わなくてはならないという固定観念を覆したサムスン電子開発のエアウォッシュ洗濯機などがある。

このように韓国メーカーは、斬新なデザインや新素材を使った家電を続々と発売している。これに刺激されたスウェーデンの家電大手エレクトロラックスは、「白に対する戦争」を宣言し、多様なデザインの家電開発に全力を注いでいるという。

他にもサムスン電子の「ジペル(ZIPEL)」冷蔵庫が、発売10年目にして世界50カ国で市場占有率1位を獲得するという記録を打ち立てた。サムスン電子が発表したところによると、ジペル冷蔵庫はフランス・イタリアなどヨーロッパ連合(EU)所属の13カ国の左右両面開き冷蔵庫市場で1位を占めたという。これだけではなく、ロシア・インド・中国などの新興市場やサウジアラビアなど富裕層が多い中東の主要国家市場でも同分野の1位をキープしている。 ジペルは2006年1月、世界最大家電ショー(CES)で「最高革新賞」を受賞、米タイム誌でも「必ず手に入れるべき製品」として紹介されるなど、世界市場で相次いで注目を浴びている。発売から10年、現在までの累積販売台数は500万台に達する。


軍事
詳細は韓国軍を参照


国民と社会
詳細は大韓民国の国民を参照


民族構成と言語

訓民正音民族構成は、そのほとんどは現代では均質化された韓民族(朝鮮民族)である。他にはごく少数ながら中国系住民(華僑・華人)も存在する。韓国に永住権をもつ外国人の大半は華人であるが、華人に対して排外的な風土と諸施策が影響し、過去数十万人いたが現在では数万人以下に減少している。外見的には日本人や他の東アジアの人々と区別が難しいが、顔は面長で目がやや小さい。

公用語はソウル方言の韓国語(朝鮮語)を話し、文字はハングルを用いる。「韓国語」とは外国向けの表現であり、彼ら自身では「我が国語」(ウリマル)と呼ぶ。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除き、多くの国民はほとんど漢字を読むことができない。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。W杯を前後し、東アジアの漢字文化圏からの観光客への便宜及び同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。

北朝鮮の公用語と韓国の標準語(ソウル方言をベースとしたもの)は、日本での標準語と関西弁以上の差があり、北朝鮮出身者はすぐに分かるといわれる。また、標準語と釜山・大邱方面の方言も、日本での標準語と関西弁程度の差があるほか、釜山・大邱方面と全州・光州方面の方言も、日本で言えば東北弁と九州弁程度の差はある。また済州島の方言は日本で言えば津軽弁や鹿児島弁に相当する難解な方言で、半島部の人は理解できないといわれている。


社会の特徴
1961年から1987年までは、軍事政権による言論統制が続き、新聞業界の再編などが行われた。放送局は民放2局が公営のKBSに統合され、残った民放のMBCも65%の株式をKBSが保有した。1987年以降は言論の自由が一応は保障され、新聞社が増大した。しかし政府が報道内容に干渉することも多く、本格的な言論の自由は1998年以降である。最近もKBSとMBSは、日本のNHK以上に政府の影響力が強く、テレビ報道の内容は政府よりである。しかし民放のSBSもあり、ケーブルテレビ局の放送も増えている。

1990年代以降には地方自治選挙もあるが、それ以前は地方首長は政府の任命であり、現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。また日本同様、晩婚化や少子化が問題となっており若年人口は減少傾向である。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は海外への脱出を目指す傾向も強く、貧困者も目立ち社会状況は厳しい。全ての男性には26月以上の兵役義務があるが、近視等の身体的問題や、その年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。現実には政治家の息子や有名俳優、スポーツ選手など、軍幹部への働きかけにより徴兵逃れをしている者もいる。

冬の気候が寒く強風も多いため、南部を除き多くの大都市は海から離れたところに作られる。首都のソウル特別市もピョンヤンも海からは距離がある。地震は九州から伝わるものを除きほとんどなく、活火山もまったく存在しない(済州島、鬱陵島は火山島だが活動していない)が、国土は山がちである。少数の温泉はある。地震がないため比較的安価に高層マンションが建設可能で、暖房設備の問題もあり最近では一戸建てよりも人気がある。2000年頃から高層マンションブームであり、不動産価格は高騰している。

1997年のアジア経済危機の後、韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こった。2000年頃には一時期、経済の立ち直りがあったものの、政府の不適切な金融政策のためクレジットカードを大量に発行した余波もあり、2003年頃には個人破産が急増し国内での信用不安が高まったため、金融恐慌状態となり、2005年以降も国内消費の低迷がある。一部の有名大学を除き、大学卒業生は卒業後に数年間は就職できないことが、現在でもごく普通であり若年失業率が高い。このため国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念されている。その一方、輸出産業は好調であり富裕層も多く不平等が拡大し、社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、日本と同様、社会の不平等拡大が問題となり政府が批判されている。


地域対立と不平等
詳細は韓国の地域対立を参照

人口の85%は都市部に住んでいる。特に首都のソウル特別市には全人口の2割に当たる約1000万人が住んでいる。また一般に首都圏として扱われるソウル、仁川、京畿道の合計人口は全人口の半分近くにのぼり、非常に強い人口の一極集中がみられる。人々の方言や、価値観や意識は地域間の差が大きく、現在でも地域対立は強く選挙などへの影響も強い。これは伝統的なものとされる。

軍事政権時代は朴大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である。大邱地域と慶尚道の出身者はTKとよばれ社会のあるゆる面で優遇された。嶺南圏(ヨンナムコン)といわれる慶尚道と、湖南圏(ホナムコン)といわれる全羅道の、東西での対立感情は今でも強い。ただし、この地域対立がいつから発生したのかについては諸説あり、実際には詳細がわかっていない。

被差別階級はとくに目立たないが(かつては白丁という被差別階級が存在した)、職業差別は根強く、とくに食堂や売店など人と接する職業は汚れているか身分の低いものとされる。そのため日本のように老舗は少ない。この価値観のため、韓国の自営業は長くは続かないことが特徴である。また歌手や俳優などは、もともと貴族に仕えるための職業で、ホステスや水商売に近いイメージがある。そのため、親戚に歌手がいる場合、恥ずべきこととして隠すことが多い。しかし最近では、そのような価値観も変わりつつある。韓国の経済成長期は、大量の人口が農村部から都市部へ移り、女性も工場労働者として、長時間労働により経済発展を支えたのだが、女性が働くことも身分が低いこととして差別感が強い。最近では高学歴女性など積極的に働く人も多いが、女性の社会進出は遅れぎみであり伝統的な性別役割意識も強い。中国東北部(主に朝鮮族)や東南アジア、中央アジアなどからの外国人労働者が最近は増え、仁川市などには中華街もある。また、2006年の地方選挙では外国人参政権が認められた。しかし、韓国国会は2002年2月28日、永住外国人に選挙権を与えるのは「主権は国民にあり」という大韓民国憲法第1条に反すると決議した。


宗教
高学歴層を中心に人口の約4分の1はキリスト教徒であり、4分の1は仏教徒だがこれはやや庶民が多い。残りのほぼ半数は無宗教者だが、祖先崇拝や法事は熱心に行う。キリスト教徒の多くはプロテスタントで、とくに長老派やメソジスト派が多い。シャーマニズムが、日本では神道や天皇制として形式化されたが、韓国では庶民の宗教として残り、キリスト教の中でも聖霊の考え方と似ていたため、とくに長老派やメソジスト派が信者を増やしたと言われる。また米軍の宣教師の影響も強い。ただし、朝鮮戦争後の、キリスト教の急速な普及の背景には、併合時代に日本仏教界の援助を受けて復興した韓国仏教界が、独立により援助がなくなり低迷した隙を突いたと言われる。また経済成長期に、多くの人口が都市部へ移動したことは日本と同様であり、故郷を離れ孤独な人々が宗教組織に入ったという事実もある(詳しくは韓国のキリスト教を参照)。

1994年に行われた統計庁の社会統計調査では、50%が無宗教、24.4%が仏教、24.1%がキリスト教(カトリック・プロテスタント)という結果となった。韓国のキリスト教は、しばし土着的なシャーマニズムとの融合が指摘される。土着信仰の巫女・ムーダンの入信、御利益信仰的な祈祷、カリスマ牧師、独特の終末論などである。これについては、韓国独自の風土や文化にあった信仰があっても良いとする人々、異端視する人々など、評価はさまざまである。韓国のこのような宗教的土壌の上に新興宗教(統一協会等)もいくつか生まれている。

なお、韓国で基督教(キドッキョ 기독교:キリスト教)といえばプロテスタントを指し、カトリックは天主教(チョンジュギョ 천주교)と呼んで区別している。教会(キョフェ 교회)はプロテスタントの教会を指し、カトリックの教会は聖堂(ソンダン 성당)と呼ぶ。


人材

梨花女子大学校(Ewha Womans University)初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得する学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載される程だった。また、企業や奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以降は、博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取ったぐらいでは、大学教員として迎え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。


教育
詳細は大韓民国の教育、韓国における入学試験を参照 日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本以上の学歴社会と言われる。


文化

「韓服」。朝鮮の伝統衣装。チョゴリないし韓服、キムチに代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では、地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。


人間関係と価値観
人間関係における文化も急速な変容の最中だが、儒教の影響で宗族秩序などの影響は未だ色濃く残っている。上下関係に厳しく、現在でも目上の人の前での喫煙や、許可を得ないままの飲酒は礼儀違反とされている。親戚同士の結束は強く、6親等以内の親戚は助け合うべきだとされる。これをユックチョン(六寸)というが、現実に親戚づきあいは非常に多く、初対面の親戚でも就職や進学時の世話をすることは普通である。学校の同窓生等の結束も強いが、見知らぬ他人と広くつきあうことはあまり好まず、人間関係は日本と比べてもやや閉鎖的である。

植民地統治により、韓国という国は一度消滅した歴史があり、二度とそのようなことがないよう、韓国人にとって国の誇りや愛国心は非常に重要なものと教育されている。社交の場において遠慮はあまり歓迎されず、明確な主張を好む。また、お互いに迷惑をかけあい他人を思いやることが良しとされ、食事の際も割り勘という習慣はなく、目上の者や気分が良い者がすべて払うことがごく普通である。


大衆文化
大衆文化については、韓国の歌やドラマ・映画などが、東アジアや東南アジアで広く受け入れられる韓流と呼ばれる現象がブームとなっている。また韓国のインターネットは早くからブロードバンド化が進み、2000年に高速回線利用者が1千万人を突破した。インターネットテレビのストリーミング放送やミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど特色あるインターネット文化を構築している。

ブロードバンドを各家庭に引く形態に加え、街中にPC房(PCバン)と呼ばれるネットに接続されたパーソナルコンピュータを安価に利用できる店が至る所で見られ、ブロードバンドの恩恵を手軽に享受することが出来る。

また、国内映画の上映割合を義務付けるスクリーンクウォーター(割当)制や国・地方自治体レベルでアニメーション産業を育成するなど様々な大衆文化保護育成策を実施している。


世界遺産
韓国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件ある。詳細は、大韓民国の世界遺産を参照。


表現の規制撤廃の動き
南北和解が進展するにともない、共産主義的な書籍の発行、共産主義的な言論を規制の対象としてきた「国家保安法」の改正が論議されているが、まだ同法は実行力をもっており、さまざまな規制と自主規制をもたらしている。 親日的な言論に対する法的な規制はないが、国内の反日感情により親日的な発言をした(と見なされる)人物は、自粛や弁解をする傾向にある。

また、国境なき記者団による世界報道自由ランキング2006において、168カ国中31位であった。(フランス35位、日本51位)

民主化運動に関わってきた人権派弁護士出身の盧武鉉政権が発足し、司法改革が行われている。国家保安法廃止案が国会に上程され、軍事政権時代の冤罪などの再調査が行われ、言論の自由、表現の自由は拡大された。一方で、朴正煕元大統領が親日派であったとしてその歴史的評価が揺れている。


祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新正 신정 「新暦(太陽暦)の元日」という意味
12月30日 (旧暦)
1月1日 (旧暦)
1月2日 (旧暦) 旧正月(ソルラル) 구정(설날) 旧正月、こちらの方が韓国で言う正月
3月1日 三一節 삼일절 三・一独立運動が起こった日(1919年)
5月5日 子供の日 어린이 날 日本のこどもの日と同じ日
4月8日 (旧暦) 釈迦誕生日 석가탄신일 日本の「花まつり」に相当
6月6日 顕忠日 현충일 殉国者に敬意を払う日
7月17日 制憲節 제헌절 憲法記念日
8月15日 光復節 광복절 日本統治からの解放を祝う日
8月14日 (旧暦)
8月15日 (旧暦)
8月16日 (旧暦) 秋夕(チュソク) 추석 韓国のお盆
10月3日 開天節 개천절 開国記念日(檀君説話に基づく)
12月25日 聖誕節 성탄절 クリスマス

休日が集中していた10月初旬の「国軍の日(국군의 날)」(10月1日)と「ハングルの日(한글날)」(10月9日)は、休日の多さが経済発展に悪影響を及ぼす懸念から1991年より公休日でなくなった。
「植木日(식목일)」(4月5日)は2006年より公休日でなくなった。
「三一節」「制憲節」「光復節」「開天節」「ハングルの日」の5つを「国慶日(국경일)」と呼ぶ。「ハングルの日」は2006年より国慶日となったが、他の4つの国慶日とは異なり公休日ではない。また、「制憲節」は2008年より公休日でなくなることが決まっている。

文化の日韓関係

ソウル・ワールドカップスタジアム韓国では、長い間「国民感情を害する」との名目により、日本の大衆文化が流入することを事実上禁止してきた(関連項;倭色)。過去には日本映画、ドラマ、音楽などは公には禁止で、日本人アーティストが訪韓しても日本語で歌うことは許されなかった。例外として、ソウルオリンピックや大田エキスポなどの時には日本語の歌が公の場で披露されたことはあった。かつて、日本の楽曲が禁止されていることを逆手にとって、日本の歌を盗作していたアイドル・グループが、盗作していることを暴露されて自殺に追い込まれるという事件もあった。

実際には、韓国民は限定的ながら日本の大衆文化に接してきた。釜山や日本海側沿岸部の一部では日本の地上波放送の電波が届くため、日本のテレビ放送の視聴が可能でありこれらを鑑賞する、あるいは書籍は規制の対象外であるため輸入書籍を購読する、大使館施設という治外法権により70年代から公に日本文化に触れることができた在韓日本大使館公報文化院を利用する、台湾からの輸入CDや海賊版を購入することなどがあった。また、韓国のドラマ、アニメ、音楽、漫画、ゲームなどで日本の作品が盗作されるケースがかなり多くみられた。司法判断も不適切な例がいくつかみられた。例えば、角川歴彦によれば、ガンダムの商標権をめぐる争いでは、「『ガンダム』はロボットの一般的な名称であるから問題ない」とする韓国側の主張が認められ、一審で勝訴したとされる(詳細は韓国の知的財産権問題を参照のこと)。その反面で、日本の出版社が韓流スターの肖像権を侵して提訴されるなどの現象も起きている。

韓国には大衆文化に限らず『日本で成功したものは必ず韓国でも成功する』という神話(ジンクス)があり[4]、そのことから、特に大衆文化の分野において、実に様々な日本の事物が直輸入され『韓国風』への改装を経て韓国の市場に放たれてきた。金大中政権によって『日本文化開放』が提案された折には、支持の理由として『実現されれば韓国の根深い日本剽窃問題がなくなるから好ましい』との意見を表明する韓国人も多かった[5]。

1998年に発足した金大中政権以降、日本の大衆文化開放が段階的に4回実施されている。現在では、インターネットの普及に伴い、韓国民は直に日本の大衆文化に触れられるようになった。韓国デジタル衛星放送・スカイライフや多くのケーブルテレビ局が、韓国の総代理店(スバルコリア)を通じてNHKに使用料を支払い、NHKワールドプレミアムの再送信を行っている。しかし、未だ著作権侵害と疑われる事例が後を絶たない。

また、歴史教科書問題に関連しての開放の延期、国内業界の保護のためと称する劇場用アニメーションの開放の延期、日本のバラエティ番組の地上波放送に対する規制、日本映画のCMですら地上波のCMで日本語を流せない、日本語歌謡をフルコーラス流せないなどのテレビ局側の自主規制などの、いくつかの制限は残っている。

日本においてはBoAなどが歌謡界で活躍するほか、韓国TVドラマ「冬のソナタ」がNHKで放送され、40〜50歳台の女性を中心としていわゆる「韓流ブーム」が起きた。多くの韓国製のドラマや映画が放送、上映され、韓国芸能人がワイドショーや女性週刊誌などでたびたび取り上げられるなど、話題になった。

2001年1月、駅のホームから転落した日本人男性を助けようとした2名が共に列車に轢かれて死亡した(新大久保駅乗客転落事故)。この2名のうち1名が韓国人留学生であったことから多くの日本人は感激し、ネットの掲示板には追悼のメッセージが寄せられた。

2002年には日韓ワールドカップ=サッカーワールドカップが日本と韓国により共同開催され、日韓国民交流年として850件を超える交流行事が行われた。

近年は日本のアーティストのCDも正式に発売されるようになり、2005年8月には、日本のロックバンドのL'Arc〜en〜Cielが、公式に大規模なライブを行い成功している。

国交正常化40周年にあたる2005年には、盧武鉉大統領と小泉純一郎首相の合意の下に「日韓友情年2005」と題し、様々な文化交流行事が行われる予定であったが、韓国の一部の地方自治体が日韓交流行事を中止もしくは延期するケースが出ている。しかし、韓国政府は政治は政治、文化交流は文化交流という方針を打ち出しているが、韓国側の行事は自主的に中止され、日本で行われる行事については、それほど影響を受けていない。


文化の関連項目
韓国料理
テコンドー
アリラン
コムド
韓国のインターネット
ポシンタン
韓国起源説
嘗糞
チマチョゴリ
倭色

脚注
^ 韓国兵による戦闘は勇猛とも残虐とも言われ、多くのベトナム人から憎まれる要因となった。近年では韓国兵による混血児問題に焦点が当たっている。
^ 冨山泰「「韓国への戦後賠償はまだ済んでいない」と言われたら」『諸君』2006年4月号、117頁。
^ 『我が国のアジア支援について』 - 財務省
^ 文献資料;『私は韓国人。でも日本文化がスキだ!』 P.209 - 金智龍 〔ISBN 4915977706〕
^ 文献資料;『私は韓国人。でも日本文化がスキだ!』 P.176 - 金智龍 〔ISBN 4915977706〕

関連項目
韓国関係記事の一覧
韓国の著名人一覧
韓国の政党一覧
韓国の都市の人口順位
韓国のスポーツチーム一覧
韓国の軍事
韓国の警察
韓国の知的財産権問題
大韓民国の鉄道
日韓問題
李承晩ライン
開発独裁
北朝鮮核問題 - 軽水炉供与問題
AKIA
KCIA
KTX
OINK
シュリ
JSA
シルミド
スマトラ島沖地震
韓流

参考書籍
有田伸.2006.『韓国の教育と社会階層』東京大学出版会.
服部民夫.2005.『韓国社会と日本社会の変容 ―市民・市民運動・環境』慶應義塾大学出版会.
深川由紀子.2002.『図解韓国のしくみ version2』中経出版.
小針進.1999.『韓国と韓国人』平凡社新書.
重村智計.1998.『韓国ほど大切な国はない』.
重村智計.1987.『韓国人は本当に日本人が嫌いか』.
佐藤早苗.1974.『誰も書かなかった韓国』.

外部リンク

公式サイト
ダイナミック・コリア(駐日大韓民国大使館)(日本語)
青瓦台(大統領府)(朝鮮語)
青瓦台(大統領府)(英語)

その他
韓国 - ウィキトラベル
外務省 大韓民国の情報
大韓民国憲法(朝鮮語原文)(ウィキソース)
韓国Web六法
検索できる韓国の大地図
在日本大韓民国民団(日本語・朝鮮語)
韓国在线(中国語)

--------------------------------------------------------------------------------
世界の国々 > アジア
東アジア: 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 中華民国* | 中華人民共和国 | 日本 | モンゴル国
東南アジア: インドネシア | カンボジア | シンガポール | タイ | 東ティモール | フィリピン | ブルネイ | ベトナム | マレーシア | ミャンマー | ラオス
南アジア: インド | スリランカ | ネパール | パキスタン | バングラデシュ | ブータン | モルディブ
中央アジア: ウズベキスタン | カザフスタン | キルギス | タジキスタン | トルクメニスタン
西アジア: アゼルバイジャン | アフガニスタン | アラブ首長国連邦 | アルメニア | イエメン | イスラエル | イラク | イラン | オマーン | カタール | 北キプロス* | キプロス | クウェート | グルジア | サウジアラビア | シリア | トルコ | バーレーン | パレスチナ* | ヨルダン | レバノン

* は国際連合非加盟。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

           
↓優良メル友なら、ココ↓
              
優良出会いサイトならココ!
◆あなたの好みの子に出会える!!
Link1
◆「ASP.NET + SQL Server」搭載!Windowsレンタルサーバ
Link2
あなたの、おなかポッコリがスッキリ!
おなかと姿勢をスッキリ見せる。姿勢ウォーカー
links
selected entries
             
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
 
sponsored links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM