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  • 2011.05.14 Saturday
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ベッカム食べ残しのフライドポテト、ネットオークションで300円の値

ベッカムの食べ残しが、インターネットオークションで300円って???

世の中、酔狂な人がいるもんやね〜〜〜

ベッカム様の食べ残しを、オークションに出そう・・・

って発想も、凄いというか、笑えるというか、、だし、ついたお値段が300円ちゅうのも、笑えるような、笑えないような、、ベッカム自身が聞いて、感想を求められたらなんて言うんでしょうね?
デビッド・ベッカムベッカム。


第一、デビッド・ベッカム食べ残しのフライドポテトだって、どうやって分かるんじゃろか?

まさか、ベッカム食べ残しのポテトに「ベッカム」ってサインしてある訳じゃないだろうし、

「ベッカム食べ残し鑑定書」がついてるわきゃなかろうし・・・

でも、このベッカム食べ残しを、オークションに出した人、内心

「数百万円の高値がつかんかな・・・俺の食べ残しなのに!!!」

なんて、思ってたりして・・・

なんだかね〜〜〜

やっぱ、ベッカムは、サッカーやって、いいプレーして、なんぼでしょ。。


デビッド・ベッカムとは




デビッド・ベッカムの基本情報

名前
本名 デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
愛称 Becks、貴公子
ラテン文字 David Robert Joseph BECKHAM
国籍 イングランド
生年月日 1975年5月2日(32歳)
出身地 ロンドン
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム ロサンゼルス・ギャラクシー
ポジション MF
背番号 23
利き足 右足

代表歴
出場 99
得点 17

デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)出身

のサッカー選手。ポジションはMF(主に右サイドハーフ)。愛称は「貴公子」「Becks」。


日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。

2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。


多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在は世界第一位のお金持ちサッカー選手である。

ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。


イングランド代表として100試合出場を目標。一度マクラーレン監督に電話で「もう扉は閉ざされた」と言われ、構想外を告げられるが、

所属チームでの活躍を認められ代表に復帰。

目 次

1 プレイスタイル

2 クラブでの活躍

3 代表での活躍

4 「ベッカム様」

5 余談

6 所属チーム

7 関連項目

8 外部リンク



[1] プレイスタイル

右足の正確なクロスボールとロングパスを得意とする右サイドの典型的なクロッサー、またFKの精度も非常に高く、特に鋭く曲がったFKを

得意としている。世界屈指のプレースキッカーとしても知られる。サイドからの組み立てだけでなく運動量も豊富で守備の貢献度も高い。


また、周りの選手と連携することにも優れ、パス交換などからフリーになり、ピンポイントの正確なクロスを上げる。

正確なクロスは確実に味方のアシストにつながることが多い。寸分の狂いもないサイドチェンジも彼の武器である。


欠点としてはサイドアタッカーとしてのスピード、ボールコントロール、そして左足でのプレーに難があるため、イングランド代表が

そうであるように、どのチームでも活躍できるというわけではない。


ボールコントロールに関して、トラップ自体は正確なのだがその後のプレーが安定しないことが難点である。

しかし逆に言えば、彼がボールをトラップし、中を見て、クロスを上げるという一連のプレーをするための約1.5秒程度の時間があれば、

世界最高のボールをエリア内の選手に供給することができる。


華麗な容姿とメディアイメージとは裏腹に泥臭いプレーも厭わず、どのような試合でも手を抜かずにフォア・ザ・チームに徹するために

そのメンタリティーでチームにとっては非常に重宝される。


[2] クラブでの活躍

マンチェスター・ユナイテッド下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の目に止まったことを機に、若くしてアタッカー的役割を

任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。

中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。


レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、

このマドリーの中盤前線で明らかにボールキープのテクニックが劣るベッカムは機能せず(またチーム自体がハイクロスを必要としていなかったため)

余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。


これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては

機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。


しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。

2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、

ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。


するとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う

彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。


そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後、沈みかけていたチームは再浮上することに成功、

4年振り30度目のリーガ制覇を成し遂げた。


この成果に復帰後のベッカムの多大な貢献があったことは確実視され、マドリーファンの多くやメディアを中心に彼を冷遇した監督ないし

クラブ上層に対する批判が少なからず行われた。

後にカペッロは「賢者は過ちを繰り返さない。」と自分のミスを認める発言を行っている。


その後一部報道ではレアル・マドリードが残留交渉を行っているとも報じられたが、当初の予定通りロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。

7月13日に入団会見を行った。


[3] 代表での活躍

1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では決勝トーナメント一回戦のアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え

退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。


W杯での屈辱の後、ファンからの執拗なブーイングや最愛の息子の誘拐など数々の苦難が待ち受けており、もはやサッカー選手として

国内ではプレイできないのでは?との声もあがっていた。


だが日韓W杯欧州予選最終戦の対ギリシャ戦、この試合に勝てなければ本大会に出場出来ないかもしれないという試合で、

同点でロスタイム残り1分という土壇場で素晴らしいフリーキックを決めイングランドを本大会へと導いた。

(余談だが、後にこのフリーキックは物理学者によって研究されている。)


それ以来、ベッカムが戦犯扱いを受ける事などなくなった。それどころか今では「救世主」とまで呼ばれている。

4年後のドイツW杯までキャプテンとしてイングランドを引っ張ってきたベッカムだったが、ドイツW杯の後に会見で

「代表主将の座を退く」と発言した。

そして新しく就任したスティーブ・マクラーレン監督の下、新体制のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。

しかし、その後イングランド代表は不振が続いた反面、レアル・マドリードで再び出場機会を得た後のベッカムは好調な状態を見せていた

ことなどから、2007年6月1日に行われたブラジルとの親善試合のメンバーとして約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。


そしてその試合で、新主将であるジョン・テリーの頭上に見事なクロスを上げアシスト。

ユーロ2008予選エストニア戦では、クラウチ、オーウェンに見事なアシストを決めた。

マクラーレンも彼に対して「今の彼以上の右サイドの選手は、世界中探してもいないだろう」と評価を改めている。

なお、本人は代表キャップ100を目指しているようだ。

ロサンゼルス・ギャラクシーに移籍後も代表には召集されているが、召集する際の移動距離の長さが懸念されている。


[4] 「ベッカム様」

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、電通が付けたアダ名が「ベッカム様」。

ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、

リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。


彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。

プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に

(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。

しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。

ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。

ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。

この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。

この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。

しかし、本人はインタビューにて

「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも

尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。



なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、

FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、2006-07シーズンにリーグ優勝するまで遠ざかっていた。

また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。


主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。

しかし、右サイドを自分が一番活きるポジションだとも言っており、右サイドの方がやりやすいという自覚も持っているようだ。


その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、

彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。


一方、チームは彼が加入して以来優勝から遠ざかってしまったことから、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを

伸ばしたことだけだ」と皮肉られた。


鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、2006年まで優勝を経験していなかった。

攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを

放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。

それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていない

ことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。2007年シーズンで念願の優勝を果たし批判を打ち消した。


レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、

その番号はなんと23番であった。驚きをもって迎えられたが、「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と報道されたが、

のちに本人が「空いている番号でどれでもよかった」と語った。


[5] 余談

大和田獏は、ベッカムの別居報道があったときワイドスクランブルにおいて、「ベッカムではなくベッキョムですね」と言った。

複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。

幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。

また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。


ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。

左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。

ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。

VHIはスペル間違いである。


2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。

明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。


「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。

また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。


2002年の日韓ワールドカップ中に、イングランド代表のキャンプ地として兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。

神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。


2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。

持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」と

ジョークにされた会見は有名である。ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。

日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある

(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)


ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。

そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある

(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。


少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。


2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。

内務省大臣は「取り戻したければマケドニアまで本人が取りに来ることが条件」と発言した。

大臣(女性)はベッカムの熱狂的なファンだったのである。


2006ドイツワールドカップの欧州予選 北アイルランド対イングランド戦で相手DFの執拗なマークにあい感情をむき出しにしている

チームメイトのルーニーを宥めているシーンもありイギリスの言葉で『サッカーは、子供を大人にして 大人を紳士にする』

という言葉のように精神的にもチームのキャプテンとして成長した様子が伺える。

[6] 所属チーム

マンチェスター・ユナイテッドFC 1991 - 2003
→プレストン・ノースエンドFC 1994 - 1995 (loan)

レアル・マドリード 2003 - 2007

ロサンゼルス・ギャラクシー 2007 -

[7] 関連項目

ヴィクトリア・ベッカム

ドバイ

セレブリティー

ベッカムに恋して

GOAL!


[8] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、デビッド・ベッカムに関連するマルチメディアがあります。写真及びビデオ David Beckham
先代:
ロナウド UEFAチャンピオンズリーグMVP
1998-1999 次代:
フェルナンド・レドンド




イングランド代表 - 1998 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 キャンベル | 3 ル・ソー | 4 インス | 5 アダムス | 6 サウスゲート | 7 ベッカム | 8 バッティ | 9 シアラー | 10 シェリンガム | 11 マクマナマン | 12 ネヴィル | 13 マーティン | 14 アンダートン | 15 マーソン | 16 スコールズ | 17 リー | 18 キーオン | 19 L.ファーディナンド | 20 オーウェン | 21 R.ファーディナンド | 22 フラワーズ | 監督: ホドル

イングランド代表 - 2002 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 ミルズ | 3 A.コール | 4 シンクレア | 5 ファーディナンド | 6 キャンベル | 7 ベッカム | 8 スコールズ | 9 ファウラー | 10 オーウェン | 11 ヘスキー | 12 ブラウン | 13 マーティン | 14 ブリッジ | 15 キーオン | 16 サウスゲート | 17 シェリンガム | 18 ハーグリーヴス | 19 J.コール | 20 ヴァッセル | 21 バット | 22 ジェームス | 23 ダイアー | 監督: エリクソン

イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0" より作成
カテゴリ: イングランドのサッカー選手 | マンチェスター・ユナイテッドの選手 | レアル・マドリードの選手 | ロサンゼルス・ギャラクシーの選手 | FIFA100 | 1975年生 | 大英帝国勲章 | 億万長者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ベッカムMLS、初のお目見え・



ベッカム 遂にMLSデビューを飾る



【8月10日 AFP】MLS、ロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)に所属するデビッド・ベッカム(David Beckham)は、現地9日に行われたD.C.ユナイテッド(D.C. United)戦、1点ビハインドで迎えた後半27分から途中出場し、MLSデビューを飾った。

 試合後にベッカムは、「敗戦には失望している。ただ我々は次の試合を楽しみにしている。我々はD.C.ユナイテッドが何を出来るかを知っていたし、前線が強力なことも分かっていた。D.C.ユナイテッドは先制点を奪い、守りを固めて試合を支配した。我々も終了間際に何度かチャンスを作ったが決めきれなかった」と険しい表情で語った。

 左足首の状態が100パーセントからほど遠いにも関わらず、ベッカムは前半終了10分前からウォーミングアップを開始。足首の状態に関してベッカムは、「今夜は足首の状態はだいぶ良く感じられた。また8週間の間ほとんど何も運動が出来ない状態だったので、プレーするのは難しかった。それでもピッチに戻ってくることが出来てとても嬉しい」と話した。
 
 ベッカムがサイドラインでウォーミングアップを始めると、カメラのフラッシュが一斉にたかれ、RFKスタジアム(RFK Stadium)に集まった4万6千686人の観衆は立ち上がり、スタジアムはベッカムのMLSデビューへの期待に包まれた。そして迎えた後半27分、観衆の望みは叶えられる事になった。

 7月のド派手な入団会見からベッカムがギャラクシーの一員として試合に出場したのは7月21日のチェルシー(Chelsea)との親善試合で後半33分から僅か12分間プレーしたのみだった。その時を除いてベッカムはピッチの外で試合を眺めるばかりで、治療の為にチームメイトと満足に練習さえしていなかった。

 しかしベッカムが怪我で苦しんでいる間もサッカー・ファンとセレブリティたちの間ではギャラクシーの試合のチケットは飛ぶように売れていて、ベッカムが遠征に帯同したものの結局出場しなかった5日のトロントFC(Toronto FC)戦のチケットは完売だった。

 ベッカムが出場したにも関わらず、この日の試合はD.C.ユナイテッドのルシアーノ・エミリオ(Luciano Emilio)の得点でギャラクシーが0-1と敗戦。ギャラクシーは2007シーズンは14試合を消化して3勝5引き分け6敗となっている。しかしチームの調子が今後上昇していくのかと尋ねられたベッカムは、「我々は次の試合を楽しみにしていて、練習に励まなければならない。我々は今までの過程を大切にしていかなければならないし、それを実践しなくてはいけない。チームには多くの才能溢れる選手が集まっているので、それが間もなくピッチの上で反映され、人々に証明されるだろう」と語りチームの上昇に自信を覗かせた。

 ギャラクシーは12日にニューイングランド・レボリューション(New England Revolution)との対戦を控えており、この試合は9月8日に控える欧州選手権2008(Euro 2008)・予選のイスラエル戦にベッカムを招集するか否かを判断する為にイングランド代表のスティーヴ・マクラーレン(Steve McClaren)監督が視察に訪れる予定。マクラーレン監督は同時にMLSのサッカーのクオリティーもその目で確かめる予定になっている。(c)AFP

(写真)主審に向かって大声をあげるベッカム。(c)AFP/TIM SLOAN


デビッド・ベッカム



デビッド・ベッカムの基本情報

名前
本名 デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
愛称 Becks、貴公子
カタカナ
ラテン文字表記 David Robert Joseph BECKHAM
基本情報
国籍 イングランド
誕生日 1975年5月2日(32歳)
出身地 ロンドン
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム ロサンゼルス・ギャラクシー
ポジション MF
背番号 23
利き足 右足
代表歴
出場 96
得点 17
2007年6月7日現在


デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。

レアル・マドリード移籍後はセンターハーフでもプレイ、この経験から守備の意識が高まり、華やかな外見や評判からは想像しがたい献身的な働きを見せている。愛称は「貴公子」「Becks」。

日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。

多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。

イングランド代表として100試合出場を目標。一度マクラーレン監督に構想外を告げられるが、所属チームでの活躍を認められ代表に復帰。

目 次

1 プレイスタイル

2 クラブでの活躍

3 代表での活躍

4 「ベッカム様」

5 余談

6 所属チーム

7 関連項目

8 外部リンク


[1] プレイスタイル
右足の正確なクロスボールとロングパスを得意とする右サイドの典型的なクロッサー、またFKの精度も非常に高く、特に鋭く曲がったFKを得意としている。世界屈指のプレースキッカーとしても知られる。サイドからの組み立てだけでなく運動量も豊富で守備の貢献度も高い。

また、周りの選手と連携することにも優れ、パス交換などからフリーになり、ピンポイントの正確なクロスを上げる。正確なクロスは確実に味方のアシストにつながることが多い。寸分の狂いもないサイドチェンジも彼の武器である。

華麗な容姿とメディアイメージとは裏腹に泥臭いプレーも厭わず、どのような試合でも手を抜かずにフォア・ザ・チームに徹するために技術もさることながら、そのメンタリティーでチームにとっては非常に重宝される。


[2] クラブでの活躍

マンチェスター・ユナイテッド下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の目に止まったことを機に、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。 中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。

レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、このマドリーの中盤前線で明らかにボールキープのテクニックが劣るベッカムは機能せず(またチーム自体がハイクロスを必要としていなかったため)余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。

これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。

2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。

するとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後、沈みかけていたチームは再浮上することに成功、4年振り30度目のリーガ制覇を成し遂げた。

この成果に復帰後のベッカムの多大な貢献があったことは確実視され、マドリーファンの多くやメディアを中心に彼を冷遇した監督ないしクラブ上層に対する批判が少なからず行われた。後にカペッロは「賢者は過ちを繰り返さない。」と自分のミスを認める発言を行っている。

その後一部報道ではレアル・マドリードが残留交渉を行っているとも報じられたが、当初の予定通りロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。7月13日に入団会見を行った。


[3] 代表での活躍

1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では準々決勝でアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。

2000年11月よりイングランド代表主将としてチームを引っ張り、日韓W杯、ドイツW杯をはじめとして多くの国際大会に出場した。アルゼンチン戦のPK、エクアドル戦のFKは素晴らしい場面であるが、欧州選手権では大事なPKをミスしたり、ドイツW杯ではケガで途中交代し敗退の憂き目に遭うと優勝することはおろか決勝進出も叶わなかった。

 ドイツW杯の後、会見で「代表主将の座を退く」と発言した。しかし新しく就任したスティーブ・マクラーレン監督の下、新体制のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。しかし、その後イングランド代表は不振が続いた反面、レアル・マドリードで再び出場機会を得た後のベッカムは好調な状態を見せていたことなどから、2007年6月1日に行われたブラジルとの親善試合のメンバーとして約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。

そしてその試合で、新主将であるジョン・テリーの頭上に見事なクロスを上げアシスト。ユーロ2008予選エストニア戦では、クラウチ、オーウェンに見事なアシストを決めた。この経緯から母国では、日韓W杯行きを決めたFKの時と同様に「救世主」と呼ばれ、マクラーレンも彼に対して「今の彼以上の右サイドの選手は、世界中探してもいないだろう」と評価を改めている。なお、本人は代表キャップ100を目指しているようだ。


[4] 「ベッカム様」

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、電通が付けたアダ名が「ベッカム様」。ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。

プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。

ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。

この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。

なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。

主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。しかし、右サイドを自分が一番活きるポジションだとも言っており、右サイドの方がやりやすいという自覚も持っているようだ。

その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。

一方、チームは彼が加入して以来優勝から遠ざかってしまったことから、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られた。

鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、2006年まで優勝を経験していなかった。攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。

それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。2007年シーズンで念願の優勝を果たし批判を打ち消した。

レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。

驚きをもって迎えられたが、本人曰く「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と報道されたが、のちに「空いている番号でどれでもよかった」と語った。


[5] 余談

大和田獏は、ベッカムの別居報道があったときワイドスクランブルにおいて、「ベッカムではなくベッキョムですね」と言った。

複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。

幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。
ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。

左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。

2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。

明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。

「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。

また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。

2002年の日韓ワールドカップ中に、イングランド代表のキャンプ地として兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。

神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。
2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。

持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。

日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)

ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。

少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。
2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。

その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。内務省大臣は「取り戻したければマケドニアまで本人が取りに来ることが条件」と発言した。

大臣(女性)はベッカムの熱狂的なファンだったのである。

[6] 所属チーム
マンチェスター・ユナイテッド 1991 - 2003
→プレストン・ノースエンド 1994 - 1995 (loan)
レアル・マドリード 2003 - 2007
ロサンゼルス・ギャラクシー 2007 -

[7] 関連項目
ヴィクトリア・ベッカム
ドバイ
セレブリティー
ベッカムに恋して
GOAL!

[8] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、デビッド・ベッカムに関連するマルチメディアがあります。写真及びビデオ David Beckham



先代:
ロナウド UEFAチャンピオンズリーグMVP
1998-1999 次代:
フェルナンド・レドンド


イングランド代表 - 1998 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 キャンベル | 3 ル・ソー | 4 インス | 5 アダムス | 6 サウスゲイト | 7 ベッカム | 8 バッティ | 9 シアラー | 10 シェリンガム | 11 マクマナマン | 12 ネヴィル | 13 マーティン | 14 アンダートン | 15 マーソン | 16 スコールズ | 17 リー | 18 キーオン | 19 L.ファーディナンド | 20 オーウェン | 21 R.ファーディナンド | 22 フラワーズ | 監督: ホドル

イングランド代表 - 2002 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 ミルズ | 3 A.コール | 4 シンクレア | 5 ファーディナンド | 6 キャンベル | 7 ベッカム | 8 スコールズ | 9 ファウラー | 10 オーウェン | 11 ヘスキー | 12 ブラウン | 13 マーティン | 14 ブリッジ | 15 キーオン | 16 サウスゲイト | 17 シェリンガム | 18 ハーグリーヴス | 19 J.コール | 20 ヴァッセル | 21 バット | 22 ジェームス | 23 ダイアー | 監督: エリクソン

イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン


カテゴリ: イングランドのサッカー選手 | マンチェスター・ユナイテッドの選手 | レアル・マドリードの選手 | ロサンゼルス・ギャラクシーの選手 | FIFA100 | 1975年生 | 大英帝国勲章
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ロサンゼルス・ギャラクシーとは



ロサンゼルス・ギャラクシー
原語表記 Los Angeles Galaxy
愛称 Gals、The G's
クラブカラー 金・緑
創設年 1995年
所属リーグ メジャーリーグサッカー
所属ディビジョン ウェスタン・カンファレンス
ホームタウン ロサンゼルス
ホームスタジアム ホーム・デポ・センター
収容人数 27,000
代表者
監督 フランク・ヤロップ
公式サイト 公式サイト

ロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)はカリフォルニア州、ロサンゼルスにホームを置くメジャーリーグサッカーのサッカークラブ。

目 次

1 概要

2 獲得タイトル

3 著名選手

4 過去の成績

5 平均観客動員(レギュラーシーズン/プレーオフ)

6 外部リンク

[1] 概要

1996年のメジャーリーグサッカー創設時から、籍を置くクラブのうちの一つ。チーム名の「ギャラクシー(銀河)」は、ロサンゼルスが多くのハリウッドの“スター”が集まる街であることに由来する。

1996年から2002年まではアメリカンフットボールのスタジアムであった、ローズボウルをホームスタジアムとしていたが、2003年から、サッカー専用スタジアムを併設するスポーツコンプレックス、ホーム・デポ・センターに移転した。

2005年に同じホーム・デポ・センターをホームスタジアムとするクラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAが誕生した。MLSではそれまでもローカルダービー的なものは存在したものの、同じスタジアムをホームにするクラブが誕生したのは、これが初めてであった。

また、同じ05年には、日本のJリーグクラブである横浜F・マリノスとPSMを行い、0-2で敗れている。

2007年1月12日、レアル・マドリードなどでプレーしたデビッド・ベッカムの加入が決定、7月よりチームに合流した。契約期間は5年と言われている。 5月14日には今季でイングランドのミドルスブラFCを退団した元ポルトガル代表DFアベル・シャヴィエルを自由移籍で獲得した。


[2] 獲得タイトル
MLSカップ
2002年、2005年
サポーターズ・シールド
1998年、2002年
USオープンカップ
2001年、2005年
CONCACAFチャンピオンズカップ
2001年

[3] 著名選手
デビッド・ベッカム(2007-)
アベル・シャヴィエル(2007-)
ランドン・ドノバン(2005-)
洪明甫(2003-2004)
ホルヘ・カンポス(1996-1997)
ダニエル・カリッチマン(1996-1998)
ルイス・エルナンデス(1999-2000、2000-2001)
アンドレアス・ヘルツォーク(2004)
アレクシー・ララス(2001-2003)

[4] 過去の成績
年 レギュラーシーズン プレーオフ オープンカップ
1996 西1位 準優勝 不参加
1997 西2位 ベスト8 不参加
1998 西1位 ベスト4 不参加
1999 西1位 準優勝 ベスト8
2000 西2位 ベスト4 ベスト4
2001 西1位 準優勝 優勝
2002 西1位 優勝 準優勝
2003 西4位 ベスト8 ベスト4
2004 西2位 ベスト4 ベスト16
2005 西4位 優勝 優勝
2006 西5位 -


[5] 平均観客動員(レギュラーシーズン/プレーオフ)
1996年: 28,916人
1997年: 20,626人
1998年: 21,784人
1999年: 17,632人
2000年: 20,400人
2001年: 17,387人
2002年: 19,047人
2003年: 21,983人/20,201人
2004年: 23,809人/20,206人
2005年: 24,204人/17,466人
総計: 21,287

[6] 外部リンク
公式サイト
メジャーリーグサッカー
イースタン・カンファレンス ウエスタン・カンファレンス
レッドブル・ニューヨーク | D.C. ユナイテッド | シカゴ・ファイアー | ニューイングランド・レボリューション | コロンバス・クルー | カンザスシティ・ウィザーズ | トロントFC
ヒューストン・ダイナモ | ロサンゼルス・ギャラクシー | FCダラス | コロラド・ラピッズ | クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USA | レアル・ソルトレーク


カテゴリ: アメリカ合衆国のサッカークラブ | ロサンゼルスのスポーツ
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ベッカム レアル・マドリード最後のシーズンでリーグ初制覇

ベッカム、歓喜! 「今夜の勝利がすべてを解決してくれた



 レアル・マドリーは現地時間17日、リーガ・エスパニョーラ最終節のマリョルカ戦を3対1と制して、4シーズンぶりとなるリーグ優勝を成し遂げた。今季限りで同クラブを去るイングランド代表MFデイヴィッド・ベッカム元ブラジル代表DFロベルト・カルロスの2選手にとっては、有終の美を飾る歓喜のタイトル。その興奮冷めやらぬ現在の心境を明かした。ロイター通信が報じている。

 ベッカムは試合終了後、イングランド旗をまとった姿で3人の息子とともにウィニングランを行ない、7万6000人のサポーターとともに喜びを分かち合った。とはいえ、これがレアルでの最終戦。ヴィクトリア夫人や俳優のトム・クルーズらの親しい人々がスタンドで見守るなか、ホームのサンティアゴ・ベルナベウの芝にキスをして、4年間プレーしたピッチに別れを告げた。

 「私はとても幸せだ。家族みんながここにいることはとてもすばらしいことだよ」と記者団に語ったベッカム

ここでは本当にいろいろな経験をした。でも、今思い出せるのは、すばらしいことやよかったことばかりだよ。だって、ほかのことはすべて、今夜の勝利が解決してくれたからね」と、同クラブでは自身初となるビッグタイトル獲得の喜びの大きさを表した。

 ベッカムは名門レアルに加入した2003年以来、同クラブで公式戦157試合に出場。しかし、これまでチャンピオンズリーグはおろか、国内リーグ、国内カップのタイトルからも見放されていた。今夏、ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ)に加入するため、マドリーの地を離れるベッカムにとって、最後の瞬間になってようやく手に入れたタイトルとなった。

 一方、11年間在籍したレアルに別れを告げ、来季からフェネルバフチェ(トルコ)に移るのはロベルト・カルロス。ここまでチームの主力として同クラブで500試合以上に出場し、4回の国内リーグ優勝のほか、チャンピオンズリーグを3度制覇した。

 ロベルト・カルロスは「このような瞬間を楽しまないと。でも、あとで家族と話したりしたら、泣いてしまうと思う」とコメント。「私はいつもベルナベウがこんな(歓喜に包まれている)状態にあるようにと願っているよ。この優勝は、クラブにとって本当に重要なタイトルだ」と続け、別れがたいビッグクラブにエールを送っていた。

[出典 : Yahoo スポーツ 6月18日 15時40分 更新 ]


ベッカム レアル・マドリード最後のシーズンでリーグ初制覇

ベッカム、タイトル土産にマドリーを去る



 今シーズン限りでレアル・マドリーを退団するイングランド代表MFデイヴィッド・ベッカムが、最後の試合となったリーガ・エスパニョーラ最終節のマリョルカ戦で念願のレアル加入後初タイトルを手中に収め、有終の美を飾った。ロイター通信が報じている。

 これでリーグタイトルを手土産にアメリカの地、ロサンゼルス・ギャラクシーへと旅立つことになるベッカムだが、レアルで過ごした日々は決して栄光に彩られたものではなかった。

 マンチェスターU(イングランド)で地位、名声、財産のすべてを築いたイングランドの大スターは、さらなる飛躍を求めて2003年にレアルへ移籍。ジネディーヌ・ジダン、ルイス・フィーゴら「ギャラクティコ(銀河系軍団)」の一員として迎えられることとなったが、入団時には世界中から注目を集め、その過熱ぶりはフットボールの範疇を越えるものだった。

 心無い者からは「ユニフォームを売るために来た」と揶揄されたが、事実、ベッカムが加入してからチームはタイトルに見放され、その一方でアジアマーケットの開拓を筆頭に資金面では飛躍的な成長を見せたことで、その見方には拍車がかかっていった。

 タイトルから遠ざかったことで、栄光の象徴だった「ギャラクティコ」の意味合いも、綺羅星のごとく輝く「銀河系軍団」から「わがままセレブの集団」という蔑みにかわり、ベッカムもその一員として批判の的にされてきた。ベッカムが描いてきた夢は現実から離れていく一方だった。

 07シーズン、新指揮官となったカペッロ監督の構想から外れ、クラブ側も放出を匂わす動きを見せると、「ここでキャリアを終えたい」と常々語っていたベッカムもついにマドリーの地を離れることを決意。カペッロ監督はこの決断を受けて「シーズン中に移籍を決めるような選手には忠誠心がない」と冷遇をさらに続け、カルデロン会長も「ハリウッドスターにでもなるのだろう」と揶揄するなど、ベッカムとクラブとの間には完全なる溝ができ上がっていった。

 しかし、それでもベッカムは不満を表に見せず、真摯な態度でトレーニングを続けた。すると、その姿についにはカペッロ監督も翻意を決める。再び活躍の場を取り戻したイングランド代表MFは、自慢のピンポイントクロスで次々と決定機を演出。低迷していたチーム復活の立役者となり、4年ぶりとなるリーグタイトルに導いた。

 ベッカムはどんなに不遇を囲っても、クラブ側を直接非難することはしなかった。だが、タイトル獲得の立役者となることで無言のメッセージを突き付け、スペインの地を離れて新たな挑戦の航海へと旅立つこととなった。

[出典 : Yahoo スポーツ 6月18日 12時4分 更新 ]

ベッカム レアル・マドリード最後のシーズンでリーグ初制覇

ベッカムおめでとう! レアル・マドリード最後のシーズンでリーグ初制覇



【6月18日 AFP】サッカー、スペイン・リーガエスパニョーラ1部・最終第38節、レアル・マドリード(Real Madrid)vsマジョルカ(Mallorca)。試合はレアル・マドリードが3-1でマジョルカを降し、今節勝利を収めたバルセロナ(Barcelona)と勝ち点76で並びながらも直接対決の結果(1勝1分け)で上回るレアル・マドリードが4季ぶり通算30度目の優勝を果たした。

 今季終了後に米国メジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)への移籍が決まっているデビッド・ベッカムDavid Beckham)は、勝利すればバルセロナの結果に関わらず優勝が決まる重要なリーグ最終戦で先発出場を果たしたが、1点ビハインドで迎えた後半21分にホセ・アントニオ・レイェス(Jose Antonio Reyes)と途中交代し、レアル・マドリードでの最後の試合をフル出場で飾ることはできなかった。

 試合はベッカムに代わってピッチに立ったレイェスが2得点(後半23分、同38)を挙げる活躍を見せたレアル・マドリードが逆転勝利を収めて優勝を果たし、

ベッカムのレアル・マドリードでの最後のシーズン初のリーガエスパニョーラ制覇で幕を閉じた。

スタンドで試合を観戦する俳優のトム・クルーズ(Tom Cruise)とケイティ・ホームズ(Katie Holmes)夫妻。(c)AFP/BRU GARCIA
2007年06月18日 08:45 発信地:マドリード/スペイン

ベッカム レアル・マドリードでの最後の会見に臨む

ベッカム レアル・マドリードでの最後の会見〜ベッカムの笑顔がカッコええな



サッカー、スペイン・リーガエスパニョーラ1部のレアル・マドリード(Real Madrid)に所属するデビッド・ベッカム(David Beckham)がこの日行われた記者会見に臨み、17日のリーグ最終節・マジョルカ(Mallorca)戦を最後に退団するチームへの思いを語った。

 今季終了後に米国メジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)への移籍が決まっているベッカムは、マドリードで最後となる会見で「契約満了を迎えチームとの契約更新がはかどらなかったので、退団する事を決めた。僕はこのチームであと2、3年はプレーしたかった。レアル・マドリードを去る事を考えただけで悲しくなるが、僕は自分の決断に後悔はしていない」と語り、「僕が在籍した4年間でチームは何も勝ち取ることはできなかった。しかし、17日の試合でその状況を変えられることを望んでいる」と4年ぶりのリーグ制覇が懸かるマジョルカ戦へ抱負を語った。

 また、チームのラモン・カルデロン(Ramon Calderon)会長がベッカムの引き留めへの道を探っているとコメントしたことに対して同選手は「会長から残留へ向けた説得をされたことはないし、僕と彼はこの話題について一度も話し合ったことはない」と語り、噂されていた同会長との会談を否定した。

 2003年にレアル・マドリードへの移籍を果たし、同チームに在籍した4年間でリーグ戦115試合出場、欧州チャンピオンズリーグ(Champions League)30試合出場を記録しているベッカムは、2007年1月に5年総額2億4800万ドル(当時約298億円)で米国メジャーリーグ・サッカーのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍することを発表し、世界中を驚かせた。

【6月15日 AFP】(c)AFP

会見に臨むベッカム。(c)AFP/PHILIPPE DESMAZES

レアル・マドリード会長 ベッカムの引き留めへ

ベッカムも、一時の屈辱感から、ちょっと気は晴れるかもしんないけど

裏を返せば、何をいまさら、お調子こきやがって、、、この現金オヤジ!!

って言いたいかも・・・

まして、ベッカムの奥様は、なんて言うのかしらん、きっと「条件次第よね!!」って・・・

元代表監督のホドル氏 ベッカムの今後について語る

ベッカムが、40歳までプレーできるって!!?

嬉しいような、マジかよ!ちゅうような。。

でも、一度いらねえよ、って言われて、も一度呼び戻されて

ちょいと活躍すりゃ、ベッカム様、さま、で、挙句にこのコメント(って、だいぶリップ・サービスじゃねえの??)

って、どこの世界でも、現金なもんだね、、、

まあ、スポーツは結果がすべて(って、仕事も同じか!!)だから、特にサッカーなんか、クラブの経営も掛ってるから

サッカー・ビジネス的にどうなのよ、、、って感じで、ビジネス=巨額のお金、に直結してるんだから

しょうがねえんだろうけど、ベッカムも、嬉しいような、素直に喜べないおような、苦笑いの心境じゃねえの・・・

奥さんは、どないに感じてるんざんしょ!!

誰か、この「ベッカムのフィットネスレベルは素晴らしく、本人が望むのなら38か39歳まで代表でプレー出来るだろう」

ちゅうう元代表監督のホドル氏のコメントに対する、「ベッカム夫妻」の、正直な(タテマイじゃない)感想コメントを

取ってきて欲しいもんじゃ!!


▽記事全文▽

元代表監督のホドル氏 ベッカムの今後について語る


【6月4日 AFP】元イングランド代表で引退後は同国代表監督を努めた経験を持つグレン・ホドル氏(Glenn Hoddle)は3日、レアル・マドリード(Real Madrid)のデビッド・ベッカム(David Beckham)がMLSのロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)移籍後も代表選手として十分にプレー出来るとの見解を示した。

 代表監督時代の1996年にベッカムを代表デビューをさせた経験を持つホドル氏は、1日に行われたブラジルとの親善試合でのベッカムの活躍を見た後、ベッカムの代表復帰を決めたスティーヴ・マクラーレン(Steve McClaren)監督の判断は正しいものだったと評価した。

 国営放送BBCのラジオ番組でホドル氏は「私が現役の頃は30歳を越えると代表選手としては終わりだと言われていたが、今の選手たちは優れたフィットネスレベル
にある。ベッカムのフィットネスレベルは素晴らしく、本人が望むのなら38か39歳まで代表でプレー出来るだろう」と語り、2日のブラジル戦で代表復帰を果たしたベッカムが少なくともあと6年は代表選手としてプレー出来るとの見解を示した。

 また、欧州選手権2008(Euro 2008)・予選グループEでグループ4位と低迷しているイングランド代表に関して「6日のエストニア戦に勝利すれば、ホームでの残り4試合に勢いが生まれる。引き分けに終わるならば、ホームでの試合はプレッシャーとなるだろう」と、マクラーレン監督の進退の掛かったアウェーでのエストニア戦の重要性を語った。

(c)AFP

2007年06月04日 05:45 発信地:ロンドン/英国
関連写真 1枚

ブラジル代表との親善試合でフリーキックを蹴るベッカム(2007年6月1日)。(c)AFP/CARL DE SOUZ


デビッド・ベッカムとは


デビッド・ベッカム

○名前

・本名 デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム

・愛称 Becks、貴公子

・ラテン文字表記 David Robert Joseph BECKHAM

○基本情報

・国籍 イングランド
・誕生日 1975年5月2日(32歳)
・出身地 ロンドン
・職業 サッカー選手

・身長 182cm
・体重 74kg


○選手情報

・在籍チーム レアル・マドリード
・ポジション MF
・背番号 23
・利き足 右足

○代表歴
・出場 94
・得点 17

2006年7月8日現在


(概要)

デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBEDavid Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)のサッカー選手。

ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。レアル・マドリード移籍後はセンターハーフでもプレイ、この経験から守備の意識が高まり、華やかな外見や評判からは想像しがたい献身的な働きを見せている。

愛称は「貴公子」「Becks」。日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。

多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。

イングランド代表として100試合出場を目標としているが、現在のマクラーレン監督からは代表の構想外であると告げられたため、ドイツW杯以降は代表メンバーから外れていたが復帰を果たしている。

2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。




目 次

【1】プレイスタイル

【2】 クラブでの活躍

【3】代表での活躍

【4】「ベッカム様

【5】余談

【6】所属チーム

【7】関連項目

【8】外部リンク



【1】プレイスタイル

イングランドが世界に誇るスター選手。 右足で蹴る「inch perfect」と称される正確なクロスボールとロングパスを得意とし、ゴールキーパーが触れることすら出来ないコースにカーブを描いて放たれるロングシュートは、時に「残忍なロングシュート」と形容される。

アーリークロスの精度は世界一との評判もある。また、世界屈指のプレースキッカーとしても知られ、「黄金の右足」と呼ばれる右足は正確無比。スタミナも十分にありサイドを何度も往復出来る、守備面でも積極的に相手にプレスしチームに貢献している。

2002年日韓ワールドカップ出場を決定づけたギリシャ戦のフリーキックでのゴールはイングランド代表の歴史に残る名場面である。また運動量も豊富で献身的なプレーも厭わずチームの状況によってはサイドバックでプレーさせられることもあった。


【2】 クラブでの活躍

下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の眼鏡にかなったこともあり、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。

中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。一番得意とするフリーキックやコーナーキックでは独特な姿勢から放たれ急激に曲がるボールは世界屈指である。

レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。

これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、ベッカムは、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。

2007年に入るとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。

そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後沈みかけていたチームは再浮上することに成功、それはベッカムの多大なる貢献なくしては有り得ないことに違いない。、


【3】 代表での活躍

 1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では準々決勝でアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。

2000年11月より、ベッカムは、イングランド代表主将としてチームを引っ張り、日韓W杯、ドイツW杯をはじめとして多くの国際大会に出場した。

ベッカムのアルゼンチン戦のPK、エクアドル戦のFKは素晴らしい場面であるが、欧州選手権では大事なPKをミスしたり、ドイツW杯ではケガで途中交代し敗退の憂き目に遭うと優勝することはおろか決勝進出も叶わなかった。

ドイツW杯の後、会見で、ベッカムは「代表主将の座を退く」と会見した。しかし新しく就任したスティーブ・マクラーレンの下、新体制初のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。

が、その後イングランド代表の不振が続いた事や、ベッカムのレアル・マドリードでのプレーの好調さなどから、6月1日に行われるブラジルとの親善試合のメンバーに選出され、約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。なお、ベッカム本人は代表キャップ100を目指しているようだ。


【4】「ベッカム様

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、付いたアダ名が「ベッカム様」。

ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのベッカムのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。

ベッカムは、プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝 8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。

しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。

ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因がベッカムの妻ヴィクトリアにあることをほのめかした。

この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。

しかし、ベッカムはインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。

なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。

主に右サイドのMFとしてプレーしているが、ベッカム本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。

その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードベッカムを獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、ベッカムのユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。

一方、チームはベッカムが加入して以来、優勝から遠ざかっているため、ファンからは「ベッカムがレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られている。

鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、いまだに優勝を経験していない。

攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。

それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。

レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。驚きをもって迎えられたが、ベッカム曰く「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と話していたが、のちに「空いている番号でどれでもよかった」と語った。


【5】余談

ベッカムは、複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。

ベッカムは、幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。

また、ベッカムは、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。


ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている

左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。

2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。


明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。

ベッカムは、「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。

ベッカムは、兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。

2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。持ち前のベッカムのキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。

トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。

ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。

日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある
(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲

ベッカムは、ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。

そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある。
(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。

ベッカムは、少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。

2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。
内務省大臣は「盗難車であれば、私がベッカムに車を返しに行く」と話している。




【6】所属チーム

・マンチェスター・ユナイテッド 1991 - 1994

・プレストン・ノースエンド 1994 - 1995

・マンチェスター・ユナイテッド 1995 - 2003

・レアル・マドリード 2003 - 2007

・ロサンゼルス・ギャラクシー(予定) 2007 -



【7】関連項目

・ヴィクトリア・ベッカム
・ドバイ

・セレブリティー

・ベッカムに恋して


【8】外部リンク

先代:
ロナウド UEFAチャンピオンズリーグMVP
1998-1999 次代:
フェルナンド・レドンド


レアル・マドリード - 2006-2007 1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ロベルト・カルロス | 4 セルヒオ・ラモス | 5 カンナヴァーロ | 6 ディアッラ | 7 ラウル | 8 エメルソン | 10 ロビーニョ | 11 シシーニョ | 12 マルセロ | 13 ロペス | 14 グティ | 15 ブラボ | 16 ガゴ | 17 ファン・ニステルローイ | 18 カッサーノ | 19 レジェス | 20 イグアイン | 21 エルゲラ | 22 パボン | 23 ベッカム | 24 メヒア | 25 ミニャンブレス | 26 ガルシア | 27 デ・ラ・レー | 28 アダン | 29 カシージャ | 30 ブエノ | 38 トーレス | 39 バレーロ |
監督 カペッロ | 編集





イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0" より作成
カテゴリ: イングランドのサッカー選手 | マンチェスター・ユナイテッドの選手 | レアル・マドリードの選手 | FIFA100 | 1975年生 | 大英帝国勲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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