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イングランド代表 ベッカム代表復帰戦はブラジルとドロー

ベッカム(イングランド代表)代表復帰戦はブラジルと引き分け



ベッカムイングランド代表復帰戦で活躍できてよかったね。

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ベッカム右足復活…FK6本、先制点アシスト

 イングランド−ブラジルの親善試合が1日、当地のウェンブリースタジアムで行われた。11カ月ぶりに代表復帰を果たした注目のベッカムが大活躍。FKから、主将テリーのゴールでイングランドが先制したが、終了間際の失点で1−1のドローに終わった。

 スタジアムにつめかけた8万8745人の注目は、背番号7のベッカム。試合開始早々の2分、イングランドはこの日最初のFKのチャンスを獲得すると、後半32分にベンチに下がるまで、6本のFKすべてをベッカムの右足に託した。

 前日、ベッカムは全体練習後、代表が宿泊するホテルの併設のピッチで黙々と1時間、FKの練習に取り組んでいる。

このブラジル戦が代表95キャップ目となり、史上5人目の記録となる100キャップ達成に近づいたが、マクリーン監督からの招集はとりあえず、この試合と来週のエストニア戦の2試合だけ。ここで結果を出すことが、記録達成への絶対条件だった。

 後半23分、右からのベッカムのピンポイントのFKに、一番外から走りこんできたテリーが、頭でドンピシャで合わせ待望の先制点。そのテリーは前日、「ベッカムの復帰は、チームが諸手をあげて歓迎というわけではなかった」ともらしていた。

 今回の代表復帰をマクリーン監督に進言したのもテリーだといい、「監督から意見を聞かれ、スペインリーグをいつも見ているが、ベッカムはずぬけている。プレミアにもいない選手だと呼び戻すことをすすめた」とも明かした。

 イングランドベッカムをベンチに下げた後、ロスタイムが終了する15秒前にジエゴに痛恨のゴールを許し、土壇場で引き分けに。マクリーン監督は「彼は完全にフィットしていた。今の彼以上の右サイドの選手は、世界中探してもいないだろう」と舌を巻いた。 【ロンドン=夕刊フジ特電】

(出典 : 夕刊フジ 2007年6月2日(土) 17時0分)





デビッド・ベッカムとは▼


デビッド・ベッカム

○名前

・本名 デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
・愛称 Becks、貴公子

・ラテン文字表記 David Robert Joseph BECKHAM

○基本情報

・国籍 イングランド
・誕生日 1975年5月2日(32歳)
・出身地 ロンドン
・職業 サッカー選手

・身長 182cm
・体重 74kg


○選手情報

・在籍チーム レアル・マドリード ・ポジション MF
・背番号 23
・利き足 右足

○代表歴
・出場 94
・得点 17

2006年7月8日現在


(概要)

デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)のサッカー選手。

ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。レアル・マドリード移籍後はセンターハーフでもプレイ、この経験から守備の意識が高まり、華やかな外見や評判からは想像しがたい献身的な働きを見せている。愛称は「貴公子」「Becks」。日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。

多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。

イングランド代表として100試合出場を目標としているが、現在のマクラーレン監督からは代表の構想外であると告げられたため、ドイツW杯以降は代表メンバーから外れていたが復帰を果たしている。

2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。




目 次

【1】プレイスタイル

【2】 クラブでの活躍

【3】代表での活躍

【4】「ベッカム様

【5】余談

【6】所属チーム

【7】関連項目

【8】外部リンク



【1】プレイスタイル

イングランドが世界に誇るスター選手。 右足で蹴る「inch perfect」と称される正確なクロスボールとロングパスを得意とし、ゴールキーパーが触れることすら出来ないコースにカーブを描いて放たれるロングシュートは、時に「残忍なロングシュート」と形容される。アーリークロスの精度は世界一との評判もある。

また、世界屈指のプレースキッカーとしても知られ、「黄金の右足」と呼ばれる右足は正確無比。スタミナも十分にありサイドを何度も往復出来る、守備面でも積極的に相手にプレスしチームに貢献している。

2002年日韓ワールドカップ出場を決定づけたギリシャ戦のフリーキックでのゴールはイングランド代表の歴史に残る名場面である。また運動量も豊富で献身的なプレーも厭わずチームの状況によってはサイドバックでプレーさせられることもあった。



【2】 クラブでの活躍

下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の眼鏡にかなったこともあり、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。

中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。一番得意とするフリーキックやコーナーキックでは独特な姿勢から放たれ急激に曲がるボールは世界屈指である。

レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。

これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。

2007年に入るとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。

そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後沈みかけていたチームは再浮上することに成功、それはベッカムの多大なる貢献なくしては有り得ないことに違いない。、


【3】 代表での活躍

1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では準々決勝でアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。

2000年11月よりイングランド代表主将としてチームを引っ張り、日韓W杯、ドイツW杯をはじめとして多くの国際大会に出場した。アルゼンチン戦のPK、エクアドル戦のFKは素晴らしい場面であるが、欧州選手権では大事なPKをミスしたり、ドイツW杯ではケガで途中交代し敗退の憂き目に遭うと優勝することはおろか決勝進出も叶わなかった。

ドイツW杯の後、会見で「代表主将の座を退く」と会見した。しかし新しく就任したスティーブ・マクラーレンの下、新体制初のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。が、

その後イングランド代表の不振が続いた事や、レアル・マドリードでのプレーの好調さなどから、6月1日に行われるブラジルとの親善試合のメンバーに選出され、約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。なお、本人は代表キャップ100を目指しているようだ。


【4】「ベッカム様

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、付いたアダ名が「ベッカム様」。

ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。

プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝 8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。

ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。

この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。

しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。

なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。

主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。

その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、ベッカムのユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。一方、チームは彼が加入して以来、優勝から遠ざかっているため、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られている。

ベッカムは、鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、いまだに優勝を経験していない。

攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。

それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。

レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。驚きをもって迎えられたが、本人曰く「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と話していたが、のちに「空いている番号でどれでもよかった」と語った。


【5】余談

ベッカムは、複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。

ベッカムは、幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。

また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。


ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。

左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。

2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。


明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。

「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。

兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。

2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。

持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。

トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。

ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。

日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある
(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)

ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。

そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある。
(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。

少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。

2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。
内務省大臣は「盗難車であれば、私がベッカムに車を返しに行く」と話している。




【6】所属チーム

・マンチェスター・ユナイテッド 1991 - 1994

・プレストン・ノースエンド 1994 - 1995

・マンチェスター・ユナイテッド 1995 - 2003

・レアル・マドリード 2003 - 2007

・ロサンゼルス・ギャラクシー(予定) 2007 -



【7】関連項目

ヴィクトリア・ベッカム

・ドバイ

・セレブリティー

ベッカムに恋して


【8】外部リンク

ウィキメディア・コモンズに、デビッド・ベッカムに関連するマルチメディアがあります。写真及びビデオ David Beckham



先代:
ロナウド UEFAチャンピオンズリーグMVP
1998-1999 次代:
フェルナンド・レドンド


レアル・マドリード - 2006-2007
1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ロベルト・カルロス | 4 セルヒオ・ラモス | 5 カンナヴァーロ | 6 ディアッラ | 7 ラウル | 8 エメルソン | 10 ロビーニョ | 11 シシーニョ | 12 マルセロ | 13 ロペス | 14 グティ | 15 ブラボ | 16 ガゴ | 17 ファン・ニステルローイ | 18 カッサーノ | 19 レジェス | 20 イグアイン | 21 エルゲラ | 22 パボン | 23 ベッカム | 24 メヒア | 25 ミニャンブレス | 26 ガルシア | 27 デ・ラ・レー | 28 アダン | 29 カシージャ | 30 ブエノ | 38 トーレス | 39 バレーロ |
監督 カペッロ | 編集


イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0" より作成
カテゴリ: イングランドのサッカー選手 | マンチェスター・ユナイテッドの選手 | レアル・マドリードの選手 | FIFA100 | 1975年生 | 大英帝国勲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(ベッカム から転送)

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