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  • 2011.05.14 Saturday
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スパイス・ガールズ、再結成か・・って

スパイス・ガールズって?ああ、ヴィクトリア・ベッカムの!!



【6月23日 AFP】うわさされているアイドルグループ、スパイス・ガールズ(Spice Girls)の再結成が、いよいよ現実味を帯びてきた。22日、同グループのマネージメント会社が、今後の予定を28日に発表すると明らかにしたためだ。

 「長くうわさとなっているスパイス・ガールズの今後については、6月28日に正式な発表を行います」

 「現時点では、それ以上のことは明らかにできませんが、スパイス・ガールズのこれまでを見ていただければ、予想できないことが起こると思っていただけるでしょう。発表に関する詳細は、後日公表いたします」

 1994年に結成したスパイス・ガールズは、『Wannabe』や『Spice Up Your Life』などのヒット曲と、“ガールズ・パワー”による積極的なプロモーションで、世界にその名を知らしめた。

 アルバムヒットチャートのトップに2度輝き、数々のシングル曲を発表し、映画進出も果たしたが、1998年にメンバーのジェリ・ハリウェル(Geri Halliwell)がソロ活動に専念するため脱退。グループも2001年に活動を休止していた。
 
 最近では、再結成に加え、ニューアルバムのレコーディングやツアーなど、様々な憶測が飛んでいた。(c)AFP

1998年4月15日、ウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)で行われたスパイス・ガールズのコンサート後に、バックステージに登場したメンバーたち。(左から)ヴィクトリア・ベッカム(Victoria Beckham、旧姓:アダムス)、メラニー・ブラウン(Melanie Brown)、メラニー・チズム(Melanie Chisholm)、エマ・バントン(Emma Bunton)、ジェリ・ハリウェル(Geri Halliwell)。(c)AFP/PRESS ASSOCIATION


スパイス・ガールズとは




スパイス・ガールズ(Spice Girls)は、1996年デビューしたイギリス出身女性5人で構成されたグループ。ガールパワーをスローガンに、世界中を席巻した女性アイドルグループである。

現在はグループでの活動はないが、再結成の話題も時折出てくる。公式にはグループとしての解散声明を出していない。

しかし、3作目のアルバム・タイトルが肩代わりしているとの評が固まっている。
再結成に関しては、2005年のライブ・8で噂されたが、実現せず。2006年が、デビュー10周年にあたる年のため、再結成が噂されたが、なにもおこらなかった。




目 次

1 メンバー

2 来歴
2.1 1994年
2.2 1995年
2.3 1996年
2.4 1997年
2.5 1998年
2.6 2000年
2.7 2001年

3 活動休止後

4 再結成へ

5 音楽シーンへの衝撃

6 記録と達成

7 発売CD
7.1 アルバム
7.2 シングル

8 ソロ活動

9 外部リンク



[1] メンバー

ヴィクトリア・ベッカム (Victoria Beckham、1974年4月17日 - ) - 愛称Posh Spice。
 イングランドのサッカー選手,デビッド・ベッカムの妻。旧姓はアダムス(Adams)。wannabeでは、ソロパートが唯一ない。

エマ・バントン (Emma Bunton、1976年1月21日 - ) - 愛称Baby Spice。
 ブロンドの髪が特徴。2002年、女王陛下の記念コンサートにもソロで出演し、シュープリームスの曲を歌った。

メラニー・チズム (Melanie Chisholm、1974年1月12日 - ) - 愛称Sporty Spice。通称メルC(Mel C)。
 メンバー一の歌唱力で、ソロパートを多く持っている。

メラニー・ブラウン (Melanie Brown、1975年5月29日 - ) - 愛称Scary Spice。通称メルB(Mel B)。
 縮れた髪、褐色の肌が特徴。一時は結婚したことでMel Gに改称していたが、離婚後Mel Bに戻している。

ジェリ・ハリウェル (Geri Halliwell、1972年8月6日 - ) - 愛称Ginger Spice。
 1998年に脱退。最年長でリーダーだった。


[2] 来歴


[2.1] 1994年

3月、The Stageという雑誌で「18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性募集」という記事が発行された。この広告に約100人の女性が応募、そして5人の女性が選ばれた。その5人は、メラニー・クリスホルム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソン。

このときのグループ名は「Touch」。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルがグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動をはじめ、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラー氏と出会う。


[2.2] 1995年

3月にはヴァージンとレコード契約を交わす。5人はイギリスのメイデンヘッドというところで一緒に暮らすようになり、そこではダンスレッスン、またデモ・テープの作製に励んだ。10月に、デビューから付き添っていたマネージャーを解雇(理由に支配されすぎたということがあった)。

また、同じ日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。また、このマネージャーが新しくグループ名を「Spice」と名づける。しかし、イギリスに同じ名前のバンド名があったことと、メディアが「Spice Girls」と表記するようになったことからグループ名は正式にSpice Girlsになった。

ここから1996年の夏まで、アメリカ西海岸でツアー中にスパイス・ガールズはデビュー・アルバムのために曲を書いていた。


[2.3] 1996年

1996年7月8日、デビュー曲Wannabeをついにイギリスでリリース。またこの曲のミュージック・ビデオが音楽チャンネルを支配するようになった。1週目はチャート3位だったが2週目には1位をマーク。7週間続いた。たちまち世界中で大ヒットとなる。

31カ国でチャート1位をマークした。これは女性グループの記録的な売り上げだけではなく、記録的なデビュー曲の売り上げといわれている。イギリスの歌手がアメリカ市場で人気を得るのは難しいが、この曲はビルボードチャートで1週目で11位をマーク。

それまではビートルズの12位という記録が最高だったがそれを塗り替えた。11月に人気急上昇でアルバムSpiceをヨーロッパでリリース。7週間でイギリスだけで100万8,000枚を売り上げ、それまで1番だったビートルズの売り上げ記録を抜いた。

トータルでは300万枚を売り上げ、15週間アルバム・チャート1位をマークした。10月には2ndシングル、Say You'll Be There、12月には2Become1をリリースした。この2曲は53カ国で1位を記録し、世界中に名声をもたらした。特に2Become1はクリスマス・ソングとして大人気であった。デビュー・アルバム、Spiceからの最後のシングルとして、Mama / Who Do You Think You Areをリリース。これもまた、チャート1位を記録した。


[2.4] 1997年

デビュー・アルバムはヨーロッパで1997年に最も売り上げたアルバムとなった。ヨーロッパで800万枚を売り上げたとして、プラチナ・レコード(×8)に認定された。アメリカでもアルバム・チャート1位をマークし、同国でも1997年最も売り上げたアルバムとして、プラチナ・レコード(×7)に認定された。

11月には2ndアルバム、Spiceworldをリリース。同アルバムからのシングル、Spice Up Your Lifeをリリース。アルバムはすぐに世界中で人気となり、2週間で700万枚を売り上げるという最速記録をマークした。ヨーロッパ、カナダ、アメリカではそれぞれ1,000万枚を売り上げた。また、それからはToo Much、Stop、Viva Foreverをリリース。このうちStopだけがイギリスチャート2位にとどまった。

また、Too Muchは1997年のクリスマス・ソングとしても人気があった。しかしながら、アメリカで「デビューしてから2枚目のアルバムをリリースするまでの期間が早すぎる」という批判があり、またメンバー自身、「家での生活があまりにもメディアに報じられすぎている」という苦難もあった。

また、約20もの企業とスポンサー契約を結んでいたこともプレッシャーであったと後にメンバーは語っている。そして、このあたりから母国イギリスを除く各国のチャートでの衰えをみるようになっていった。それでも1997年、1998年の両方の年で最も売り上げた歌手として認められた。この年の6月には映画、スパイス・ザ・ムービーの製作にとりかかった。

内容はスパイス・ガールズが初ライブ前夜にマネージャーと喧嘩をして失踪してしまうというコメディー。エルトン・ジョン、ロジャー・ムーアなど有名人もたくさん出演している。7千万ドルを世界中で売り上げた。

しかし、この映画はゴールデンラズベリー賞(その年のハリウッド映画のワーストを決める賞)にて幾つかの部門でノミネートされ、結果、最低主演女優賞を受賞した。11月にはマネージャーとサイモン・フラーを解雇。理由に、自由が制限されすぎたというものがあった(メンバーのジェリとメラニー・ブラウンが特に嫌っていたという説がある)。


[2.5] 1998年

この年の早い頃に、スパイス・ガールズは102日に及ぶヨーロッパ・北アメリカツアーをはじめる(2月24日にアイルランドのダブリンで始まった)。メンバーのジェリが胃腸炎で最後の2公演、オスロ、ノルウェー公演を休んだ。このころからジェリがメンバーに幻滅し、脱退しようとしているという噂がながれはじめた。

このツアーの後もいくつかのパフォーマンスをジェリは休んでいたので脱退は確実視されつつあった。5月31日にジェリの弁護士を通じて脱退が発表された。またジェリは次のようなコメントをのこしている。


「残念なことに、私はスパイス・ガールズから脱退したことをお伝えします。私達には違いがあったからです。これからもスパイス・ガールズは成功し続けていくと思います。追伸、また戻ってきます。」


ジェリは過度の疲れと自由な時間がないということを告白し、またメラニー・ブラウンとの不仲説がながれた。ジェリの脱退はファンにショックを与え、またこの年の大きなニュースにもなった。それでも残った4人のスパイス・ガールズは残っていた北アメリカのツアーを続けた。

ジェリの脱退はグループに混乱をもたらした。予定されていたライブ・アルバムのリリースもキャンセルされたほど。7月20日にシングル、Viva Foreverをリリース。ジェリの脱退後のリリースとなった。同曲のビデオはスパイス・ガールズはアニメとして出演している。理由に、世界ツアーで忙しかったことと、ジェリが脱退して撮影が不可能になってしまったということ。(結局ビデオでは5人のスパイス・ガールズがアニメとして出演した。)

また、この曲の次にNever Give Up On The Good Timesもリリース予定だったが、レコーディング、編集の時間がないということと、またしてもジェリの脱退が理由でビデオが作れないという理由でキャンセルされた。

クリスマスにはGoodbyeをリリース。この曲はジェリ脱退の前に作詞されており、ジェリへの感謝の意をこめてのリリースとなった。また、スパイス・ガールズ自身3度目の大ヒットクリスマス・ソングにもなった。またカナダでは16週間チャート1位をマークし、1990年代に最も成功を収めた曲となった。


[2.6] 2000年

11月にアルバム、Foreverをリリース。いままでとは違い、R&Bの制作陣を迎えたが、ファンの反応はいまいちであった。USチャートではアルバム・チャート39位と振るわず、またイギリスチャートでは同じ頃にウエストライフがデビューし、そのデビューアルバムに負けてしまった。

このアルバムからのリード・シングル、Holler / Let Love Lead The Wayをリリース。これはスパイス・ガールズにとって9度目のUKチャート1位をマークしたが、ビルボードチャート100にはランクインしなかった。(Hollerはダンス・ミュージックチャートで31位をマークした。)

また、アルバムのプロモーション活動として、グループを2つに分けて活動するようになった。エマとヴィクトリアがアメリカを、2人のメラニーがヨーロッパを主に活動していた。また、この頃から各メンバーはソロ活動をし始めた。


[2.7] 2001年

ついにスパイス・ガールズは活動休止を発表。ソロ活動に専念しはじめる。この発表以来、幾度となくメディアは再結成の噂があると報じるが実現されていない。





[3] 活動休止後

2006年9月、ジェリ・ハリウェル出演のヨガDVD『セレブ・ビューティ ヨガ』が日本で発売される。

2006年10月、自身の自叙伝のプロモーション活動のためラジオ番組に出演していたメンバーのヴィクトリアが再結成についてコメント。「スパイス・ガールズの再結成はありえないと思います。私達は今個人の活動をしていてそれに満足しています。それに子供もいます。私自身、ステージ上で踊りまわってるのを想像できません。なので、再結成はないでしょう。」

2007年3月、メラニーCが再結成が起こるとは信じていないと報じられた。

2007年5月、The Daily Mailが、クリスマスに再結成コンサートをするのではないかと報じた。メンバーのヴィクトリアの夫、デイビッド・ベッカムがロス・アンゼルスのサッカーチームへと移籍するにあたって、ヴィクトリアはロスを新しいスパイス・ガールズの"家"にしたがっている。
また、そのクリスマスのコンサートでアメリカでの名声を得たい模様。また、可能ならば、再結成に否定的なメラニーCを説得させるようだ、との内容。


2007年5月20日、ニュース・オブ・ザ・ワールドがスパイス・ガールズが戻ってきたと報じた。クリスマスに新曲を発表するようで、4度目のクリスマス・ナンバー1シングルを目指す。エマと脱退したジェリがスタジオ入りした写真が記事とともに報じられている。

2007年6月22日、『ピープル』誌が、メルBの代理人の話として、メルBが同年4月に出産した女児の父親がDNA検査でエディ・マーフィーと判明したと報道。元恋人のマーフィーは父親でないと否定していた。


[4] 再結成へ

再結成に否定的だったメラニーCは次のようにコメントした。

「いつも私ひとりが再結成に関しては拒否していました。しかし、今では賛成しています。明確ではありませんが、私たちにとってよい時期に再結成は行われるとおもいます。しかし、テイク・ザットがしたように、新しい曲を作る訳ではなく、いままでのヒットソングを歌うだけです。」

しかし、ヴィクトリアは、「最後に曲作りをしてからだいぶたちました。スタジオに戻ったことはまるで奇想天外です。私はいつも、"もうこれ以上絶対歌わない"と言ってきましたが、このようになるとは予想してませんでした。しかし、いざ戻ってみると楽しいものです。新しい曲はスパイス・ガールズ時代の曲をちょっと進化させたものです。」とコメント。

メラニーCは2007年6月15日にイギリスのトークショー、"Loose Women"に彼女のシングル、"Carolyna"のプロモーション活動のために出演した。そこで噂にもあったように、スパイス・ガールズの再結成の可能性はあるとコメント。「最近、メンバーに会ってジェリが脱退して10周年を記念してのアルバムを作ろうという話があったの。」

同月18日にはメラニーCは次のようにコメント。

「毎回毎回(再結成の)噂が持ち上がるたびにそれが実現する可能性はあった。そこで私はいつも言ってたの。"私はしたくない。昔は昔。ただ、(当時は)すごかっただけ。けどもうそれを繰り返すことはできない。"ってね。でも今年になって周りの人が再結成の話をし始めて、またメンバーの何人かも興味を持ち始めたの。なにかいい感じがして、私はこう思ったの。"私は再結成を止めたくないし、するなら5人でしたいの。"もし再結成したら、それはとても期間の短いもので、きっとそれがほんとに最後のGoodbye(さようなら)、世界中のファンのみんなにありがとうっていうことになるわ。」



[5] 音楽シーンへの衝撃

1990年代の初め、オアシス、ブラーなどのバンドがチャートを支配しており、イギリスの音楽シーンはポップ・ミュージックを必要としはじめた。そしてイギリスの雑誌、The Stageは若い女性をターゲットにオーディションを開催。

そして選ばれたこの5人は「個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる」ようなグループを目指した。Wannabeのリリース後、5人はイギリスの有名な音楽番組、Top Of The Popsに出演するようになる。

また同局の雑誌では各メンバーにニックネームがつけられた。ヴィクトリアにはポッシュ(上品な)・スパイス、メラニーCにはスポーティー・スパイス、メラニーBにはスケアリー(恐ろしい)・スパイス、エマにはベイビー・スパイス、脱退したジェリにはジンジャー・スパイス。



[6] 記録と達成

2000年2月までにスパイス・ガールズはトータルでアルバムを約3500万枚、シングルを約1800万枚を売り上げた(これには3枚目のアルバム、Foreverの売り上げは含まれていない)。

アルバムをヨーロッパで1300万枚、アメリカで1100万枚、カナダで200万枚を売り上げた。

UKチャートで9曲ナンバー1になっている。(ABBAと同数で上にはテイク・ザットの10曲、マドンナの12曲、ウエストライフとクリフ・リチャードの14曲、ビートルズの17曲、エルビス・プレスリーの21曲。)

3枚のUKクリスマス・ナンバー1シングル。(2Become1が1996年に、Too Muchが1997年に、Goodbyeが1998年に。)

Wannabeの売り上げは女性グループ史上最大である。

デビューから6曲連続でUKチャート1位を記録した女性グループはスパイス・ガールズだけ。

デビューアルバムのSpiceはイギリスで生涯アルバム売り上げランキング13位に認定。

ブリット・アワード、MTVアワードなど、多数受賞。ブリット・アワードでは特別功労賞を受賞した。本来デビューしてから数年でこの賞を受賞することは不可能とされている。

グループとしての来日経験はプロモーション活動による一回だけで、コンサート・ツアーなどは実現していない。

メラニーCのみファースト・アルバムを出した直後に緊急来日し、恵比寿ガーデンホールで一夜限りのライブを披露している。


[7] 発売CD

[7.1] アルバム

Spice (1996年・UKチャート初登場1位獲得)

Spiceworld (1997年・UKチャート初登場1位獲得)

Forever (2000年・UKチャート2位)


[7.2] シングル

Wannabe (1996年・UKチャート1位獲得)

Say You'll Be There (1996年・UKチャート初登場1位獲得)

2Become1 (1996年・UKチャート初登場1位獲得)

Mama / Who Do You Think You Are (1997年・UKチャート初登場1位獲得)

Spice Up Your Life (1997年・UKチャート初登場1位獲得)

Too Much (1997年・UKチャート初登場1位獲得)

Stop (1998年・UKチャート2位獲得)

Viva Forever (1998年・UKチャート初登場1位獲得)

Goodbye (1998年・UKチャート初登場1位獲得)

Holler / Let Love Lead The Way (2000年・UKチャート初登場1位獲得)


[7.3] ソロ活動

断りなきものはアルバムの題名

ヴィクトリア・ベッカム
Victoria Beckham (2001年・UKチャート最高10位)

翼をひろげて飛ぶために(2000年・著書)


エマ・バントン

Girl Like Me (2001年・UKチャート最高4位)
Free Me (2004年・UKチャート最高7位)
Life In Mono (2006年・UKチャート最高65位)


メラニーC

Northern Star (1999年・UKチャート最高4位)
今は亡きTLCのレフトアイをゲストに迎えていた。
Reason (2003年・UKチャート最高5位)
Beautiful Intentions (2005年・UKチャート最高24位)
This Time (2007年・UKチャート57位)


メラニーB

Hot (2000年・UKチャート最高28位)
L.A. State Of Mind (2005年)


ジェリ・ハリウェル

Schizophonic (1999年・UKチャート最高4位)
Scream If You Wanna Go Faster (2001年・UKチャート最高5位)
Passion (2005年・UKチャート最高41位)




[8] 外部リンク
Emma Bunton Official(英語)
Melanie C(英語)
The Official GERI HALLIWELL Website(英語)
SPICE GIRLS DISCOGRAPHY(英語)
Emma-Bunton.Org(スペイン語)
Fanpage Melanie-C.net.ms(英語)

カテゴリ: イギリスの歌手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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