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  • 2011.05.14 Saturday
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斉藤隆 マーリンズ戦で、破れ、ドジャース3連敗・・

斉藤隆投手、 マーリンズ戦に登板し、救援に失敗



ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)斉藤 隆ピッチャーっていや〜〜
36歳で、米メジャー挑戦し、活躍、オール・スターにまで選ばれ、中年の星なのに

頑張って、欲しいもんじゃいな!!

●ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)vsフロリダ・マーリンズ(Florida Marlins)で、

●9回から登板したドジャースの6番手・斉藤隆(Takashi Saito)は、1安打1失点を喫し救援に失敗。
●試合はドジャースが延長10回の末に5-6で敗れ、3連敗。

残念、、イチローは、相変わらず、絶好調だたんだろうか?

斎藤隆 (野球)とは



斎藤 隆の基本情報

国籍  日本 
出身地 宮城県仙台市
誕生日 1970年2月14日
身長・体重 188 cm 、
88 kg
守備位置 投手(リリーフ)
打席・投球 左・右
背番号 44
年俸 $1,000,000(2007年)
デビュー年  
経歴  

斎藤 隆(さいとう たかし 1970年2月14日 - )は、ロサンゼルス・ドジャーズに所属している投手。

目 次

1 来歴・人物

2 略歴

3 球歴

4 日本での通算成績

5 36歳でのメジャーリーグ挑戦

6 メジャーリーグでの通算成績
7 タイトル・表彰・記録

8 関連項目

9 脚注

10 外部リンク



[1] 来歴・人物

横浜時代のチームメイト・佐々木主浩は東北高校・東北福祉大学・横浜ベイスターズでの先輩にあたる(ちなみに斎藤の実兄は佐々木の同級生だった)。部屋も相部屋だったという。

斎藤の実家は出身の仙台市にて工務店を営んでおり、前出の実兄も同じく勤務中。プロゴルファーの宮里藍らが卒業した東北高校の新校舎建設も手掛けていた。

みずしな孝之の四コママンガ『ササキ様に願いを』では佐々木にアゴで使われるキャラクターとして描かれているが、実際のところは逆にまるで佐々木に気を使うことがなかったらしく、むしろ佐々木の方が朝起こしたり部屋の掃除をするなどしていたという(月刊ベイスターズより斎藤本人からの証言あり。『ササキ様に願いを』のコラムでも佐々木、斎藤、みずしなが対談したときに佐々木が語っていた)。

2007年6月頃、チームの負けが込んでいた時に、悪い雰囲気をぬぐい去るため、試合後にロサンゼルスの店で侍の衣装を購入し、次の試合前に、侍の格好でロッカールームを歩き回り、ナインを笑わせた[1](その日だけでなく、その次の試合前にも侍姿で登場した。また、その侍姿には普段は滅多に笑わないジェフ・ケントさえもウケていた)。また本人のブログによると、この姿でトレーナー室に行って肩のトレーニングを始めると、相手チーム(ニューヨーク・メッツ)の選手たちが入ってきて、メッツの選手にも大ウケで和ませてしまった、と書いていた。[2]

彼の正確な苗字の表記は「斎藤」だが、本人は自身のブログで「斉藤」と書くことも多く、特に気を使ってはいないようである。
晴れてオールスターゲームに出場できるほどの実力・知名度を備えるまでになった彼だが、球団ホームページのプロフィールに載っている出身大学名はデビュー以来「Tottoku Fukushi(とっとくふくし)」のままで全く更新されていない。[1]


[2] 略歴

大学は東北福祉大学に在学。当時は野手で、大学2年に投手転向。

1991年 - ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。
1994年 - オールスターゲームに初出場。
1996年 - プロ入り初の2桁勝利。奪三振206個で最多奪三振のタイトル獲得。
1997年 - 春季キャンプ中、右ひじに遊離軟骨を発見し、手術。このシーズンを棒に振る。
1998年 - 4月5日、復活を遂げ、4月29日には583日ぶりの勝利を味わう。そして38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。日本シリーズでは優秀選手に選ばれた。
2001年 - 佐々木主浩がFAでシアトル・マリナーズに移籍したため、当時の森祇晶監督の「俺はお前と心中する」という名台詞によりストッパーに転向。この年7勝1敗27S、防御率1.67の成績を挙げ、この時に経験が後の先発、そしてメジャーでの生活に活きたと本人が述べている。
2005年 - オフに大リーグ挑戦のために自由契約に。
2006年 - ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。4月にメジャー昇格。4月18日、シカゴ・カブス戦でメジャー初勝利を挙げる。ドジャースでは当初セットアッパーとして登板していたがエリック・ガニエの故障、他投手の不調によりクローザーに昇格した。奪三振107個は、メジャー全リリーフ陣の中で最多奪三振。
2007年 - 6月26日(日本時間27日)のダイヤモンドバックス戦で日本人メジャー最高球速となる99マイル(約159キロ)をマーク。ちなみに日本での自己最速は(本人曰く)153キロである。また、同日に記録したセーブにより、デビュー以来、48救援登板で45の成功を収め、初救援機会からの救援成功率で44/48セーブのガニエを抜きメジャー新記録を樹立した。7月1日にはMLBオールスターゲームに初出場することが決定。


[3] 球歴

出身地 - 宮城県仙台市
身長/体重 - 188cm/88kg
血液型 - B型
投打 - 右投左打。但し、左投手と対戦するときに右打席に立ったこともある。
出身 - 東北高校−東北福祉大学−横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(1992年-2005年)−ロサンゼルス・ドジャーズ(2006年-)


[4] 日本での通算成績

339試合 1,514 2/3投球回 87勝80敗48S 1,284奪三振 495与四死球 175被本塁打 639自責点 防御率3.80
年度 試合数 勝数 敗数 セーブ 投球回数 被本塁打 与四球 奪三振 自責点 防御率
1992年 6 0 2 0 16 2 10 21 15 8.44
1993年 29 8 10 0 149 15 61 125 63 3.81
1994年 28 9 12 0 181 5 69 169 63 3.13
1995年 26 8 9 0 162 13 45 132 71 3.94
1996年 28 10 10 0 196 2/3 31 63 206 72 3.29
1997年 - - - - - - - - - -
1998年 34 13 5 1 143 2/3 9 23 101 47 2.94
1999年 26 14 3 0 184 2/3 32 31 125 81 3.95
2000年 19 6 10 0 115 2/3 17 36 97 71 5.52
2001年 50 7 1 27 64 2/3 6 14 60 12 1.67
2002年 39 1 2 20 47 2/3 5 15 46 13 2.45
2003年 17 6 7 0 103 1/3 16 22 72 48 4.18
2004年 16 2 5 0 44 1/3 12 13 37 38 7.71
2005年 21 3 4 0 106 12 29 93 45 3.82
通算 339 87 80 48 1,514 2/3 175 431 1,284 639 3.80



[5] 36歳でのメジャーリーグ挑戦

2002年のオフシーズンにFA宣言をしてメジャーリーグへの移籍を模索したが、結局横浜ベイスターズと3年で総額7億3,000万円の契約を結んだ。しかしその後の3年間で僅か11勝にとどまった。2005年のオフシーズン、再度メジャーリーグへの挑戦を決めた。だが36歳で選手としては高齢であった斎藤に興味を示す球団はなかなか見つからず、所属先が決まらぬまま2006年を迎えた。1月末にロサンゼルス・ドジャースがマイナー契約で春季キャンプ受け入れを表明した。斎藤は直ちに渡米し2月7日に契約、16日に即キャンプインした。

レギュラーがほぼ確約されており、調整が主であった日本でのキャンプと違い、アメリカではマイナー契約の新人であり、キャンプで登板予定が入っていても、メジャー契約の選手の都合で機会を奪われることもあった。オープン戦で力を発揮出来なかった斎藤は、メジャーリーグへ昇格できなかった。

しかしシーズン開幕直後、ドジャースのクローザーを務めていたエリック・ガニエが故障者リスト入りし、「他に即戦力がいないから」との理由でメジャー昇格した。4月7日にチームへ合流し、9日にメジャーで初登板した。以後も厳しい場面での登板を告げられるが無失点で切り抜けた。

18日のシカゴ・カブス戦で初勝利を飾り、チームメイトから「ウェルカム・トゥ・ザ・ビッグリーグ!」と声をかけられ祝福された。

チーム監督であるクレイディ・リトルからの信頼が非常に厚い。また、ノマー・ガルシアパーラとは仲が良く、助けられる場面が多かった。ブログではよく「ノーマ」の愛称でガルシアパーラのことが書かれている。その他では、ブラッド・ペニーやSammyの名付け親であるアンドレ・イーシアーと仲が良い。

斎藤の外へ逃げるスライダーはメジャーリーグのストライクゾーンに適合していた。日本ではボールと判定されたコースもストライクになり、有利なカウントで試合を進めることができた。またリリーフとして起用されたため、投球回数が短く、鋭い球威で投げることも可能であったことや、持ち前の明るい性格によりチームへの順応が早かったことなどが繋がり、好成績をあげることができた。その結果、奪三振数(107)と被打率(.177)はリリーフ陣の中でメジャートップに輝いた。シーズン途中にはクローザーに命ぜられ、9月22日にはドジャースの新人球団記録に並ぶ21セーブ目を挙げた。9月30日対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦において自身シーズン24セーブ目を挙げチームのプレーオフ進出に貢献した。

2007年シーズンから、本拠地ドジャースタジアムでマウンドに上がる際にかけられる曲は当初一世風靡セピアの「前略、道の上より」であったが、本人が不評と感じたため数試合で止めた。現在のテーマソングは「バッド・トゥー・ザ・ボーン」で、米国では有名なロック歌手ジョージ・ソログッドのヒット曲を使っている。


[6] メジャーリーグでの通算成績

72試合 78 1/3投球回 6勝2敗24S 107奪三振 25与四死球 3被本塁打 19失点 18自責点 防御率2.07(2006年)


[7] タイトル・表彰・記録

最多奪三振 1996年
月間MVP 1996年4月
カムバック賞 1998年
オールスター戦出場 NPB4回(1994年、1996年、1999年、2001年)、MLB1回(2007年)
新人セーブ数・球団歴代1位(24セーブ・LAドジャース、2006年9月28日)
初セーブ機会からの救援成功率メジャー歴代1位(現地2007年6月26日)


[8] 関連項目

宮城県出身の有名人一覧
須藤豊
江尻亮
近藤昭仁
大矢明彦
権藤博
森祇晶
山下大輔
牛島和彦
ノマー・ガルシアパーラ
ササキ様に願いを


[9] 脚注

[ヘルプ]^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/06/13/KFullNormal20070613025_p.html
^ http://sports.yoshimoto.co.jp/t_saito/2007/06/post_a700.html


[10] 外部リンク

斎藤隆のChallenge Blog(公式)
JAPAN LITTLE LEAGUE公式サイト 僕のリトル時代
MLB.com Player Information

カテゴリ: 1970年生 | 日本の野球選手 | 東北福祉大学硬式野球部の選手 | 横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手 | ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 | 宮城県出身の人物 | MLBの日本人選手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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