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  • 2011.05.14 Saturday
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バルセロナ 横浜F・マリノス戦に向け練習

【8月6日 AFP】サッカー、スペイン・リーガエスパニョーラ1部のFCバルセロナ(FC Barcelona)が翌7日に控えた横浜F・マリノス(Yokohama F Marinos)との親善試合に向けてチーム練習を行った。(c)AFP
(写真)練習に臨むティエリ・アンリ(Thierry Henry)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI

↓バルセロナ関連情報↓

アンリの加入により再活性化するバルセロナ



【7月31日 AFP】2006-2007シーズンのスペイン・リーガエスパニョーラ1部の最終節でレアル・マドリード(Real Madrid)にリーグ3連覇を阻止されるなど無冠に終わったFCバルセロナ(FC Barcelona)は、イングランド・プレミアリーグのアーセナル(Arsenal)からフランス代表のFWティエリ・アンリ(Thierry Henry)を獲得し、アンリの加入がチームを再活性化させている。

 チームの副キャプテンを務めるシャビ・エルナンデス(Xavi Hernandez)は「アンリの到着は重要な瞬間だった。アンリの加入によって全てが洗い流されたような雰囲気で、チームもサポーターも新たなスタートを切ることができた。通りで熱気に満ちたサポーターを見かけたが、彼らを熱狂させるのはそれほど簡単なことではない。限られた選手にしかチームの停滞したムードを打開することはできない」と語り、アンリの加入がチームの士気に好影響をもたらしていることを明かしている。

 26日に行われたスコットランド・プレミアリーグのダンディー・ユナイテッド(Dundee United)との親善試合にサミュエル・エトー(Samuel Eto’o)に代わって後半から出場したアンリは、試合終了間際にPKのリバウンドをつめて決勝点を奪い、試合後には「このゴールがこれから記録する多くのゴールの始まりになるといいね」と語っている。またバルセロナは、28日にはハーツ・オブ・ミドロシアン(Hearts of Midlothian)と親善試合を行い、ロナウジーニョ(Ronaldinho)の2得点とアンリのアシストから生まれたジオバンニ・ドスサントス(Giovanni Dos Santos)のゴールで3-1で勝利を収めている。

 FCバルセロナは、合計で推定6500万ユーロ(約106億円)を費やしアンリをはじめアルゼンチン代表のDFガブリエル・ミリート(Gabriel Milito)やコートジボワール代表のMFヤヤ・トゥーレ(Yaya Toure)、フランス代表のDFエリック・アビダル(Eric Abidal)を獲得している。

 アンリの入団発表にはロナウジーニョの入団発表を上回る約3万人のサポーターがカンプ・ノウ・スタジアム(Camp Nou stadium)に駆けつけており、その期待の大きさを窺わせた。

 2006-2007シーズンのFCバルセロナは、ロナウジーニョとエトーの舌禍が取り沙汰されるなど、チーム内での軋轢が報じられていたが、フランク・ライカールト(Frank Rijkaard)監督は、29日にマルカ(Marca)紙に対し「新加入選手はチームに新たな希望をもたらし、チームの力学に変化を促している。机上では偉大なチームとなったが、我々はそれをピッチの上で証明しなければならない」と語っている。

 8月3日から11日までアジアツアーを行うFCバルセロナは、5日に中国で北京国安(Beijing Guoan)と、また7日には日本で横浜F・マリノス(Yokohama F Marinos)と、さらに10日には香港でキッチーFC(Kitchee FC)とハッピーバレーFC(Happy Valley FC)の混合チームであるミッション・ヒルズ・インビテーション11(Mission Hills Invitation XI)と親善試合を行う。(c)AFP/Sebastien Guine

2007年7月30日、本拠地カンプ・ノウ・スタジアム(Camp Nou stadium)で練習に臨むアンリ(右)とロナウジーニョ。(c)AFP/CESAR RANGEL
(写真) 2007年7月30日、本拠地カンプ・ノウ・スタジアム(Camp Nou stadium)で練習に臨むアンリ(右)とロナウジーニョ。(c)AFP/CESAR RANGEL



横浜F・マリノスとは



横浜F・マリノスの基本情報

原語表記 横浜F・マリノス
愛称 マリノス、トリコロール
クラブカラー ブルー、ホワイト、レッド(トリコロール)
創設年 1972年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン1
ホームタウン 神奈川県横浜市・横須賀市
ホームスタジアム 日産スタジアム、三ツ沢公園球技場
収容人数 日産ス=72,370
三ツ沢=15,046
代表者 斉藤正治
監督 早野宏史

横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、Yokohama F. Marinos)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。旧名称は横浜マリノス。

目 次

1 クラブの概要
2 エピソード・アラカルト
3 クラブの歴史
3.1 前身
3.2 1991年〜1998年(横浜マリノス時代)
3.3 1999年〜現在(横浜F・マリノス時代)
4 ユニフォームについて
4.1 配色について
4.2 現在のユニフォームスポンサー
4.3 過去のユニフォームスポンサー
4.4 ユニフォームサプライの遍歴
5 補足
5.1 スポンサー契約について
5.2 表記略称について
5.3 下部組織
5.4 その他
6 Jリーグ年度別成績
7 タイトル
7.1 国内タイトル
7.2 国際タイトル
7.3 個人別タイトル
8 チームカラー
9 歴代監督
10 サポーター・応援スタンスについて
10.1 「トリパラ」
10.2 hamatra
10.3 トリコロール・ランサーズ
10.4 チャントについて
10.5 トラブル
11 チーム名変遷
12 関連項目
13 外部リンク



[編集] クラブの概要
1991年、Jリーグ加盟。Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつである。
ホームタウンは神奈川県横浜市と横須賀市(2005年より)。横須賀市は2005年以前より、下部組織の練習会場として長年利用されていた。
ホームスタジアムは日産スタジアムと三ツ沢公園球技場。近年は、メインとして日産スタジアムをJ1リーグ戦の大部分及びカップ戦等(AFCチャンピオンズリーグ含む)の一部に使用し、残るJ1リーグ戦の数試合(主に平日開催の試合)及びカップ戦等の大部分は三ツ沢球技場を利用している。また、国立霞ヶ丘競技場を使用する場合もある(2006年は使用なし)。
クラブの法人事務所は横浜市西区みなとみらいにある。後述の練習場との併設である。神奈川区新子安から移転した。
練習場は、みなとみらい21地区にあるマリノスタウンである。2007年1月、クラブハウスなどと共に、クラブの全機能を移転した。
Jリーグ発足時から横浜フリューゲルスとの合併までは横浜市鶴見区の獅子ヶ谷グラウンドを用いており、合併後はフリューゲルスの練習場であった戸塚区の戸塚トレーニングセンターに移転した。横浜国際競技場完成後は、日産フィールド小机(小机陸上競技場。横浜国際の補助トラック)でも練習を行っていた。
この移転に際し、借地料がかさみ、さらに成績の低迷に伴う観客動員減などが重なった事で、2007年シーズンにおいてはクラブは緊縮財政を敷かざるを得ない状況になっている。監督を後述の早野にした理由の1つが「安く雇える」からであり、また戦力補強においても緊縮財政の煽りを受け、以前の戦力補強は金銭面に関係なく他チームより即戦力選手を中心に獲得していたが、2007年シーズンより移籍金が発生しない30歳以上の選手や高卒・大卒・ユース出身選手を中心に獲得し、世代交代と若手育成を同時に行いながら戦っていく方針に切り替えている。また、2006年シーズンまではホームゲーム入場者全員に配っていた「ハーフタイムプレゼント抽選券」を、「マッチデイプログラム購入者に限定のみに配布」する形式に変更しているなど、クラブのサービスの細かい部分にも影響が出ている。
チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する。「F」はフリューゲルス (Flügels) の頭文字(詳細は後述)。
チームカラーは「青・白・赤」のトリコロール(三色)。これは元々日産自動車のコーポレートカラーであったものである。
チームキャラクターは「マリノス君」と「マリノスケ」。ともにカモメをモチーフとしたキャラクターである。
クラブの社長は斉藤正治(さいとう まさはる)。日産自動車で商品開発を担当していたが、2007年4月よりチーム顧問を務め、同年6月に社長に就任した。6月9日の就任会見では、挑戦者としてのリスタート・更なる地域密着・風通しの良いクラブの3本柱、2010年にはホームゲームの年間総入場者数100万人を目標とする、などの方針を発表した。
前社長は左伴繁雄(ひだりとも しげお 1955年10月26日- 、2001年より2007年5月末)。慶應義塾大学卒で、1979年に日産自動車に入社し、厚木研究所の人事部門など担当、事業部門にチケット販売のプロを、地元の広告スポンサーを招き、補強の原資を支え、2003・2004両年の横浜の連覇に貢献した。また、ユースやスクールを増強して生徒を就任当時のスクール生900人を、2004年12月現在3000人に増やすなど努力した。また事あるごとにオフィシャルホームページに決意文やエッセイを掲載したりもしていた。これは一部サポーターから「社長の作文」として親しまれた。
しかし近年は、左伴の行動が地域密着やサッカー文化の熟成とは関係しないただの営利目的と受け止められる事が多い事から、サポーターとの信頼関係を損ね、上述の「社長の作文」も、2005年を最後に一度も掲載されなかった。2005年は『Colored Blue 宣言』(サポーターに青いシャツを着る事を推奨したもの。ただし、本来チームカラーは「トリコロール」=青・白・赤の三色)を発表した事、2006年3月25日の浦和レッズ戦(日産スタジアム)で本来横浜F・マリノスのサポーターにのみ許された横断幕の掲出場所を運営の都合としてサポーターの了承も無く勝手に浦和レッズに提供した事、更に同年9月9日の川崎フロンターレ戦(日産スタジアム)で自民党横浜市連に2000人分のチケット購入と引き換えにスタジアム内での政治活動を容認(一時政治家名ののぼりが立てられたがサポーターの抗議により撤去された)した事等、ピッチ外でのトラブルの原因を産み出した。これらの事を含め多くのサポーターに反感を向けられていた。なお、チーム不振の責任を取る形で2007年5月末をもって左伴は辞任した。
現在の監督は早野宏史。
2006年12月28日に早野の監督就任が正式発表されたが、早野の就任に反対しているサポーターがフロントに宛てて送った抗議のメールが700通となり、更に抗議活動として年間チケットの不買運動が行われていたとの事である。また、同時に発表となった来季のスローガン「Scramble Attack(緊急攻撃)」に関してチーム自体が緊急事態であるという解釈がされている。チーム成績が振るわないこともあり、まさにチームはスローガン通りの「スクランブル」状態となっている。
伝統的に優秀なディフェンダーが多く、日本代表の守備陣を多く輩出している。また、過去数年、リーグ戦での失点数の少なさにおいても上位に入っている。J2降格争いに巻き込まれた2001年シーズンにおいても、失点数はリーグ3番目の少なさだった。

[編集] エピソード・アラカルト
新規スタジアムの柿落とし試合をアウェイチームとして迎えることが多い。1993年のJリーグ開幕戦(対ヴェルディ川崎・国立霞ヶ丘競技場)、2001年の埼玉スタジアム2002オープニングゲーム(対浦和レッズ)、同年の札幌ドームのサッカー競技場としてのオープニングゲーム(対コンサドーレ札幌)、これまた同年の神戸ウイングスタジアムのオープニングゲーム(対ヴィッセル神戸)、2005年のフクダ電子アリーナオープニングゲーム(対ジェフ千葉)などを戦っている。しかも、これらの試合では一度も負けたことがなく、「柿落とし無敗神話」とも言われる。また、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)においては、1998年のダイナスティカップの日本-韓国戦が柿落としであったが、Jリーグの初開催となったこの年の開幕戦・横浜マリノス-横浜フリューゲルスの「横浜ダービー」では、延長戦の末佐藤一樹(のちに吸収合併によりF・マリノスに入団)のVゴールで敗れている。命名権により「日産スタジアム」となった初戦の横浜F・マリノス-ジュビロ磐田でも、ロスタイムに福西崇史(現FC東京)のヘディングでのゴールを喫し、敗れている。尚、このゴールは福西がジャンプをした時に伸ばしていた手に当たって決まったゴールではないのかとの疑惑が挙がった。また福西本人も手に当たった感触が有った。ラッキーなゴールだね(後日談)と語っている。(その試合で主審を務めていた岡田正義の記事も参照されたい)
神奈川県内の4チームで唯一J2を経験していない。

[編集] クラブの歴史

[編集] 前身
1972年、神奈川県横浜市で「日産自動車FC」を設立した。読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)を参考にユース(高校生)などの下部育成組織を早くから整備。JSL1部は、79-80年に昇格。 日本初のプロ監督・加茂周のもとチームは上位を必ずキープし、1988〜89年度のJSL、JSL杯、天皇杯の当時の日本サッカー主要大会三冠を達成した。 金田喜稔や水沼貴史、木村和司、井原正巳など数々の日本代表を輩出してきた。名門である読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ1969)との対決は、「黄金カード」として、Jリーグでも、人気カードとして愛されていた。しかし、2006年はヴェルディがJ2に降格、天皇杯でもヴェルディが早期敗退した為、伝統の一戦が27年ぶりに行われなかった。


[編集] 1991年〜1998年(横浜マリノス時代)
1991年に、Jリーグ加盟。1993年5月15日のJリーグの開幕試合(対・ヴェルディ戦)を2-1で制した。1995年には、リーグ初優勝を果たした。

1999年に横浜フリューゲルスを吸収合併し、現在の名称となった。「F・マリノス」の「F」は、横浜フリューゲルス(FLUGELS)の頭文字から取ったものである。なお、フリューゲルスはマリノスのチーム史では傍系(別チーム)として扱われるので、フリューゲルスの優勝回数や個人賞などの記録はマリノスに通算されない。


[編集] 1999年〜現在(横浜F・マリノス時代)
2000年に5年ぶりとなる1stステージでの優勝を果たしたが、2ndステージ優勝の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに敗れ、年間チャンピオンにはならなかった。 2001年シーズンは、主軸の三浦淳宏、柳想鉄の移籍もあって、1stステージでは15位という不本意な成績に陥り、以後、まさかの残留争いに巻き込まれてしまう。この戦績に日産の社長のゴーンが激怒。翌年、ステージ優勝または年間3位以内でなければチームを解散させる、と発言したという報道も一部あり、サッカー好きが行き過ぎた冗談とも取れたが、チーム存続の危機に立った。 しかし、その翌2002年、東京ヴェルディ1969から中澤佑二(レンタル)、ジュビロ磐田からは奥大介(レンタル)、清水範久、コンサドーレ札幌からは、ウィルなど各チームの主力選手を補強し、2002年シーズンの1stステージは2位と好発進した。この年はジュビロ磐田がJリーグ史上初の両ステージ制覇を達成したため、チャンピオンシップに出場せずに年間総合順位が2位となり、ステージ優勝こそならなかったもののゴーン社長の気まぐれ解散の可能性は消滅した。 そして2003年に岡田武史監督が就任、この年J2へと降格したサンフレッチェ広島から久保竜彦、そして翌年韓国のエースFW安貞桓などを補強し、2003年から翌2004年第1ステージにかけて、3ステージ連続優勝を達成。2004年第2ステージは浦和レッズが優勝したため、年間王者はサントリーチャンピオンシップで決める事に。浦和の圧倒的優位と予想されていたが、第1戦横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)での対戦は河合竜二がコーナーキックから先制ゴールを決め、1-0で勝利。第2戦埼玉スタジアムでの対戦は、三都主にFKを直接決められ0-1。延長戦では決着が着かず、PK戦で勝利し2年連続王者となった。しかし2005年は、期待されたACLでのグループステージ敗退、主力選手の怪我などがリーグでの成績にも影響したのか年間9位と不振であった。2006年は、元名古屋グランパスエイトのFW、マルケスを補強。またみなとみらいへのクラブ移転(『マリノスタウン』)など、名門も節目を迎えることになった矢先に、成績不振で、シーズン途中の8月に岡田監督が辞任、後任に水沼貴史コーチが監督に昇格した。それでもJ2降格を逃れるのが精一杯で、前年と同じ9位で終了した。シーズン途中で辞任した岡田監督の後任監督として就任した水沼貴史監督は天皇杯をもって辞任し、2007年シーズンより1995年〜1996年シーズンを指揮した早野宏史氏が11年振りにチーム監督に就任する事が12月28日に正式発表された(奇しくも、早野は水沼が現役引退した年に、(シーズン途中からの指揮ではあるが)マリノスを優勝に導いている)。


[編集] ユニフォームについて
ユニフォームの色 カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青 白 赤
FP(2nd) 白 青 白
GK(1st) 黄 黄 黄
GK(2nd) 灰 灰 灰
GK(3rd) 黒 黒 黒




 
FP 1st



 
FP 2nd





 
GK 1st



 
GK 2nd



 
GK 3rd



[編集] 配色について
ユニフォームのデザインは基本的に上:青、下:白、靴下:赤のトリコロールである。これは日産FC時代から続いた伝統である。
副は長らく上:白、下:青、靴下:白でメインとの色違いであるデザインを採用していたが、2003年以降はこの配色を取り止めた。
2001年は黒の第3ユニフォームが誕生した。これは海外クラブに倣いチームカラーと関係無い色調のユニフォームを取り入れたものである。尚、2003年は第3ユニフォームの採用を取り止めた。
2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これはYC&AC(横浜カントリー・アスレチッククラブ)で使われた紺と白の概念を取り入れたものである。
2003年は上下靴下全て紺のユニフォームで戦った。尚、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバーであった。トリコロールの封印は「名門復活なるまでは」という左伴繁雄社長(当時)の大号令に基づくものであった。この年はJリーグ始まって以来のクラブ史上最高位となる完全優勝を納めた。名門復活を果たし、翌2004年には再び伝統のトリコロールのユニフォームに戻した。
2007年には、前年度まで着用していたアウェイのスパルタングレー色のユニフォームを廃止し、白のユニフォーム、青のパンツに白ソックスという伝統的な配色へ戻した。
2008年シーズンより、ナイキとユニフォームサプライ契約を結ぶことが内定した、と報知新聞で報道された。史上最長となる契約期間など、破格のオファーであるという。長年親しまれてきたトリコロールのユニフォームから一新して、新しいデザインのユニフォームとなる、とされる[要出典]。

[編集] 現在のユニフォームスポンサー
胸 日産自動車
袖 MLJ
背 全日本空輸(ANA)

[編集] 過去のユニフォームスポンサー
日本コダック(1993-98 背番号上部)
ブリティッシュ・ペトロルフ(潤滑油)(1993-95 袖)
ザナヴィ(1996-98 袖)
Fuji ten (2000-2001 袖)
Naturally Plus (2003・2ndステージ パンツ)
GE(2003-2004 袖)

[編集] ユニフォームサプライの遍歴
1992年〜1996年 リーグ戦はミズノ、カップ戦はアディダス(デサント)
1997年〜2007年 リーグ戦・カップ戦ともにアディダスに統一 (厳密には1998年まではデサント社、1999年以降はアディダス・ジャパン社)
2008年〜 ナイキと8年総額30億円というJリーグ史上最高のユニフォームサプライ契約を結ぶ事で内定している。

[編集] 補足

[編集] スポンサー契約について
フリューゲルスとの合併で日産自動車と全日本空輸の共同経営を行った後、2002年2月1日付で全日空が同社からの資本を引き揚げ(ユニフォームスポンサーについては継続)日産の完全出資となったが、2005年2月1日付を持って第3者割当増資を行い、日産のほか以下の企業からの出資を受けた。
相模鉄道
崎陽軒
タカナシ乳業
神奈川新聞
テレビ神奈川(tvk)
横浜信用金庫
サカタのタネ

[編集] 表記略称について
Jリーグ公式サイトでは「横浜FM」、totoでは「横浜M」である。新聞・雑誌等でも、これらに倣い「横浜FM」もしくは「横浜M」とすることが多い。「横浜F」と略した場合、基本的には横浜フリューゲルスのことを指す場合が多く、しかも横浜FCと区別が付かないため、前者は区別が付く2文字目(「横浜FM」「横浜FC」)までを表記している。後者は、前者の表記において重複する「F」の省略か、(マリノスの場合においては)以前の表記(後述)をそのまま使っているものである。
一部の媒体、例えば日刊スポーツ、スポーツニッポン、サッカーダイジェストなどでは、単に「横浜」と表記する。これは、横浜FCがJ2リーグに昇格するまでの2年間(1999〜2000年)、横浜市をホームタウンとするJリーグのクラブがマリノスのみであったため、マリノスを「横浜」と表記していたことの名残である。
なお、2006年まで横浜FCとは別カテゴリ(マリノスはJ1、横浜FCはJ2)に所属していたので、J1のみについて扱うなど、特に紛らわしくない場合は単に「横浜」とすることも多かった(これは横浜FCについても同様である)。
横浜FCが昇格し、2007年度より同じJ1に所属することになるため、一部媒体が使用する略称を変更している。例えば、スポーツニッポンは、横浜FCと同時に名前が出る記事においては「横浜M」と表記している。
Jリーグ発足当時は「横浜M」「横浜マ」と表記するマスコミが多かった。ただし、読売新聞とフジテレビ「プロ野球ニュース」では、横浜フリューゲルスの本拠地が横浜市(ホームタウン)と九州地方(特別活動地域。長崎県、熊本県、鹿児島県)にまたがる特殊な扱いであったこと、またプロ野球ニュースでは全日空が番組スポンサーだったこともあり、やはり略称を「横浜」のみで出したことがあった(同時期読売系のスポーツ報知、日本テレビは「日産横浜(マリノス)」と表記)。

[編集] 下部組織
下部組織が非常に充実しており、横浜F・マリノスプライマリーが2006年全日本少年サッカー大会で前人未到の大会3連覇を達成。同年の大会においては横浜F・マリノスプライマリー追浜も3位入賞を果たしている。 また、横浜F・マリノスジュニアユース追浜も全国制覇を成し遂げており、ユースもプリンスリーグで優勝を成し遂げている。ユースからは能力の高い選手が多く輩出されている。

主なユース出身者は以下の通り

天野貴史、坂田大輔、栗原勇蔵、榎本哲也、田中隼磨、山瀬幸宏、飯倉大樹、ハーフナー・マイク、秋元陽太、斎藤陽介、田代真一、長谷川アーリアジャスール(以上横浜F・マリノス)、石川直宏(FC東京)、谷口博之(川崎フロンターレ)、丹羽竜平(セレッソ大阪)、鈴木健太、木村勝太(以上ヴァンフォーレ甲府)、大久保翔(ヴィッセル神戸)、鈴木達也(柏レイソル)


[編集] その他
Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていたマリノスとフリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、マリノスが三ツ沢(球)、フリューゲルスは九州地方(特別活動地域の長崎県・熊本県・鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。なお1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日にマリノスとフリューゲルスの主催試合を重複開催することは皆無となった。

マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がおり、その独特な容姿から一部ファンの熱い支持を集めている。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。


[編集] Jリーグ年度別成績
年度 リーグ J1/J2 順位 成績
1993年 サントリー J1 3位 11勝7敗
1993年 ニコス J1 3位 10勝8敗
1994年 サントリー J1 9位 8勝14敗
1994年 ニコス J1 3位 14勝8敗
1995年 サントリー J1 1位 17勝9敗
1995年 ニコス J1 3位 15勝11敗
1996年 年間 J1 8位 14勝16敗
1997年 1st J1 5位 11勝5敗
1997年 2nd J1 3位 12勝4敗
1998年 1st J1 4位 11勝6敗
1998年 2nd J1 4位 11勝6敗
1999年 1st J1 7位 8勝6敗1分
1999年 2nd J1 3位 10勝3敗2分
2000年 1st J1 1位 10勝5敗0分
2000年 2nd J1 5位 8勝6敗1分
2001年 1st J1 15位 3勝10敗2分
2001年 2nd J1 10位 6勝6敗3分
2002年 1st J1 2位 11勝1敗3分
2002年 2nd J1 6位 8勝6敗1分
2003年 1st J1 1位 10勝3敗2分
2003年 2nd J1 1位 7勝3敗5分
2004年 1st J1 1位 11勝1敗3分
2004年 2nd J1 6位 6勝4敗5分
2005年 年間 J1 9位 12勝10敗12分
2006年 年間 J1 9位 13勝15敗6分
合計 - J1 - 257勝173敗46分


[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル
Jリーグ年間:3回
1995年、2003年、2004年
1stステージ:4回 - 1995年、2000年、2003年、2004年
2ndステージ:1回 - 2003年
天皇杯:1回
1992年
リーグカップ:1回
2001年

[編集] 国際タイトル
アジアカップウィナーズカップ:1回
1993年

[編集] 個人別タイトル
Jリーグ
2000年 中村俊輔 最優秀選手(MVP)
2004年 中澤佑二 最優秀選手(MVP)
ベストイレブン
1993年 松永成立、井原正巳、ディアス
1994年 井原正巳
1995年 井原正巳、鈴木正治
1996年 井原正巳
1997年 井原正巳
1999年 中村俊輔
2000年 松田直樹、中村俊輔
2002年 松田直樹
2003年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介、久保竜彦
2004年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介
2005年 中澤佑二
得点王
1993年 ディアス
新人王
1995年 川口能活
2003年 那須大亮
ナビスコ杯
2001年 榎本達也 最優秀選手

なお日産自動車時代のタイトルについてはその項参照


[編集] チームカラー
チームカラーは青色、白色、赤色のトリコロールカラー。フランス代表のユニフォームにも似ている。

[編集] 歴代監督
1993年〜1994年:清水秀彦(日本)
1995年:ホルヘ・ソラリ(アルゼンチン)
1995年〜1996年:早野宏史(日本)
1997年〜1998年:ハビエル・アスカルゴルタ(スペイン)
1999年:アントニオ・デラクルス(スペイン)
2000年〜2001年:オズワルド・アルディレス(アルゼンチン)
2001年:下條佳明(日本)
2001年〜2002年:ラザロニ(ブラジル)
2002年:下條佳明(日本)
2003年〜2006年:岡田武史(日本)
2006年:水沼貴史(日本)
2007年〜:早野宏史

[編集] サポーター・応援スタンスについて

[編集] 「トリパラ」
応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」がある。元々は2004年度Jリーグチャンピオンシップ対浦和レッズ戦用に作られたものと見られている。

当初はサポーター有志により作られていたもので、その作業には多くの時間を要したという。現在では、サポーターがグッズショップ「トリコポイント」[1]と連携して生産・販売を行ったり、チームもオフィシャルグッズの一つとして販売するなど、その認知度は高くなっている。


[編集] hamatra
サポーター有志により、hamatra(ハマトラ。Yokohama Traditionalが由来)というフリーペーパーがホームゲーム時に配布されていた。サポートソングの歌詞カードをフリーペーパーとして発展させたものであり、歌詞とともにサポーター有志によるコラムなどが掲載されていた。現在は休刊しており、その名は同名を冠したマリノス・サポーター用のSNS、「ハマトラSNS」[2]を指すことが多い。

なお、hamatraをマッチデープログラムと見る者もいるが(例: サッカーJ+ Vol.1でのホームスタジアム・日産スタジアムの紹介において、「マッチデープログラムはサポーター有志が配布」と記載)、マッチデープログラムはhamatraとは別に販売されており、その捉え方は間違いである。


[編集] トリコロール・ランサーズ
2007年、公式チアリーディングチームとしてトリコロール・ランサーズが結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。


[編集] チャントについて
「俺達が横浜!もう誰にも止められない!」 このチャントは1点、2点と勢いが出てきたときに、更に勢いを加速させる時に使用する。このチャントが出てきたら、相手チームは試合を諦めると言われている[要出典]。ここ最近では大分戦の5-0、新潟戦の6-0が記憶に新しい。


[編集] トラブル
2007年Jリーグ第8節(4月28日)のアウェイで行われたアルビレックス新潟戦の試合終了後、スタジアム付近の交差点にて、マリノスサポーターによる発煙筒および爆竹の使用があった。浦和レッズやFC東京などと同じく、サポーターの数が多いだけに乱闘騒ぎなどのトラブルもやや見受けられがちである。


[編集] チーム名変遷
1972年~ 日産自動車サッカー部
1991年~ 横浜マリノス
1999年~ 横浜F・マリノス

[編集] 関連項目
横浜F・マリノスの選手一覧
マリノスタウン
横浜熱闘倶楽部
TBWA/JAPAN(担当広告代理店)
キックオフ!!F・マリノス(テレビ神奈川)
2003年J1・2ndステージ最終節
日本プロサッカーリーグ

[編集] 外部リンク
横浜F゠マリノス Official Web Site
横浜F・マリノス - 2007
1 榎本哲也 | 2 エウチーニョ | 3 松田直樹 | 4 那須大亮 | 6 上野良治 | 7 田中隼磨 | 8 マルケス | 9 鈴木隆行 | 10 山瀬功治 | 11 坂田大輔 | 13 小宮山尊信 | 14 狩野健太 | 15 大島秀夫 | 16 吉村光示 | 17 吉田孝行 | 18 清水範久 | 19 乾貴士 | 20 ハーフナー・マイク | 21 高桑大二朗 | 22 中澤佑二 | 23 田代真一 | 25 山本郁弥 | 26 田中裕介 | 27 斎藤陽介 | 28 天野貴史 | 29 長谷川アーリアジャスール | 30 栗原勇蔵 | 31 飯倉大樹 | 32 山瀬幸宏 | 34 石原卓 | 35 河合竜二 | 36 秋元陽太 | 37 富永康博 |
監督 早野宏史 | クラブ | 編集

Jリーグ 2007
J1
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ

J2
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖

過去に存在したクラブ
横浜フリューゲルス
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



水沼貴史とは




水沼貴史の基本情報
名前
愛称 タカシ 
カタカナ ミズヌマ タカシ
ラテン文字表記 MIZUNUMA Takashi
基本情報
国籍 日本
誕生日 1960年5月28日
出身地 埼玉県さいたま市
身長 176cm
体重 54kg
選手情報
ポジション FW/MF
代表歴
出場 32
得点 7

水沼貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日-)は、埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。現在は横浜F・マリノストップチームのコーチ。

長男の水沼宏太も横浜F・マリノスユース所属のサッカー選手。

目 次

1 プロフィール
2 選手時代の実績
3 経歴
3.1 現役時代
3.2 指導者時代
4 個人成績
5 代表歴
5.1 試合数
6 獲得タイトル
6.1 学生時代
6.2 日産自動車〜マリノス
6.3 個人タイトル
7 外部リンク



[編集] プロフィール
浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)から法政大学を経て、日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)へ入団。1979年に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権の日本代表として選出され、チーム唯一の得点を記録する。テクニック溢れるドリブラーとして3トップのウィングやMFとして活躍し、金田喜稔、木村和司らと共に日産の黄金期を築いた。また日本代表チームでも活躍。1987年ソウルオリンピック予選・アウェー中国戦で、高さを誇る中国DFを翻弄した、原博実の決勝ヘディングゴールを演出したピンポイントCK、'90W杯予選・ホーム北朝鮮戦の同点ゴールは語り草となっている。Jリーグ発足前の人気低迷時代の日本サッカー界を支えた人物の1人でもある。

1995年、鹿島スタジアムでの1stステージ開幕戦での途中出場を最後に現役を退く。奇しくも、この年の横浜マリノスは早野宏史監督のもと、1stステージで初のステージ優勝を果たすと、Jリーグチャンピオンシップで宿敵ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)と争い、Jリーグ発足後初めて年間チャンピオンになった。引退時は、血尿が出るほど体調が悪く、到底プレイに耐えうる状態ではなかったと引退後に回想している。

1996年から2006年1月までTBS「スーパーサッカー」(実は第2回放送にゲストとして出演していたりする)のご意見番役として出演。「ニュースの森」毎週月曜日に、ワールドサッカーパラダイスのコーナーも担当した。テレビ神奈川、ニッポン放送サッカー解説者で、2006年1月までテレビ神奈川ではキックオフ!!F・マリノスのパーソナリティーも務めていた。また2002年10月〜2003年3月にはTBSラジオ「水沼貴史のスポーツボンバー!」等も担当した。2003年〜2005年は、法政大学コーチとして、出身校の学生を指導した。2004年にS級ライセンスを取得した。

2006年2月1日〜2007年1月31日の1年契約で、横浜F・マリノストップチームのコーチに就任。それに伴い、スーパーサッカー、キックオフ!!F・マリノスの両番組は降板(卒業)となった。さらに2006年8月24日には成績不振で辞任した岡田武史の後を受け、監督に就任。しかし具体的な戦略がない状態でチームの不振は続き、天皇杯終了後に辞任する事が決定した。2007年は再び横浜F・マリノストップチームのコーチに就任。

なお、マリノス出身の元選手が横浜F・マリノストップチームの監督になったのは、水沼が初めてであった。(早野現監督はマリノス前身の日産自動車サッカー部出身である)

テレビゲーム「プロサッカークラブをつくろう!」シリーズに架空日本人選手として登場する氷沼貴之(FW)は、水沼がモデルであると思われる。解説者として木村和司とともに実名出演をしている。


[編集] 選手時代の実績
本太少年団で全国少年団サッカー大会を優勝し、浦和市立本太中学校(現:さいたま市立本太中学校)では3年生の時に全国制覇、その後進学した浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)では熱血の誉れ高き名将松本暁司監督の指導のもと、1年生のときからレギュラーに定着。全国高校サッカー選手権では、歴史的な名勝負と言われた静岡学園との死闘を制して優勝。16歳にして、小中高と全てのカテゴリーで日本一を経験した。法政大学では、総理大臣杯全日本サッカートーナメントを2度制し、また、4年生の時に自らのゴールで1部復帰を果たすという重責を成し遂げた。その後、日産自動車サッカー部に入団し、チームのタイトル獲得に貢献した。90年代になると、木村和司と2枚看板を組み、日産の主軸として活躍した。なお、水沼は、Jリーグ以外の各カテゴリー(小中高大、社会人)の大会で優勝を経験した。

現役時代はボレーシュートの巧さに定評があり、切れ味鋭いフェイントを交えたドリブル、創造性溢れるパスセンス、トラップから素早いシュートなどテクニックにおいて多彩な才能を発揮。特に日産、マリノスにおいてチームメイトの木村和司とのコンビネーションは最高だった。後の日本における技巧派MFのさきがけ的存在である。また、持ち前の冷静な判断力とサッカーへの情熱は選手引退後も解説者、指導者として生かされている。


[編集] 経歴

[編集] 現役時代
1976年-1979年 浦和市立南高等学校
1979年-1983年 法政大学
1983年-1992年 日産自動車サッカー部
1993年-1995年 横浜マリノス
1995年引退

[編集] 指導者時代
2003年-2005年 法政大学サッカー部:コーチ
2006年- 現 在 横浜F・マリノス
2月1日-8月24日:コーチ
8月25日-12月末:監督
2007年-:コーチ

[編集] 個人成績
国内大会個人成績 リーグ戦 リーグカップ オープンカップ 期間通算
シーズン クラブ 背番号 カテゴリー 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1983年 日産 JSL1部 12 3
1984年 日産 JSL1部 17 8
1985年 日産 JSL1部 22 3
1986年-1987年 日産 JSL1部 22 3
1987年-1988年 日産 JSL1部 22 7
1988年-1989年 日産 JSL1部 20 4
1989年-1990年 日産 JSL1部 16 2
1990年-1991年 日産 JSL1部 10 1
1991年-1992年 日産 JSL1部 20 2
1992年 横浜M - J -
1993年 横浜M - J 26 3
1994年 横浜M - J 15 2
1995年 横浜M - J 1 0 -
通算 日本 J 42 5
日本 JSL1部 161 33
総通算 203 38


[編集] 代表歴

[編集] 試合数
国際Aマッチ 32試合 7得点(1984-1989)



日本代表個人成績 国際Aマッチ その他 期間通算
年 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1984年 5 1 2 1 7 2
1985年 8 3 5 1 13 4
1986年 0 0 1 0 1 0
1987年 8 2 9 3 17 5
1988年 3 0 14 3 17 3
1989年 8 1 5 1 13 2
通算 32 7 36 9 68 16


[編集] 獲得タイトル

[編集] 学生時代
全日本小学生サッカー大会優勝- 本太少年団
第6回全国中学校サッカー大会優勝(1975年) -浦和市立本太中学校(現:さいたま市立本太中学校)
第55回全国高等学校サッカー選手権優勝(1976年)- 浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)
第4回、第6回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝(1980年、1982年)- 法政大学

[編集] 日産自動車〜マリノス
天皇杯(1983年、1985年、1988年、1989年、1991年)
日本サッカーリーグ(1988‐99年、1989‐90年)
JSLカップ(1988年、1989年、1990年)
アジアカップウィナーズカップ(1991‐92年)

[編集] 個人タイトル
アシスト王(1986-87年、17アシスト)

[編集] 外部リンク
パスインターナショナル(所属事務所)
J1記念ゴール
前回:
初ゴール
マイヤー 500ゴール
水沼貴史
1993.12.1 次回:
1000ゴール
メディナベージョ
先代:
岡田武史 横浜F・マリノス監督
2006途中-終了 次代:
早野宏史

カテゴリ: 日本のサッカー選手 | サッカー日本代表選手 | 日産自動車サッカー部の選手 | 横浜マリノスの選手 | 日本のサッカー指導者 | 1960年生 | 埼玉県出身の人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
JUGEMテーマ:欧州サッカー



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