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  • 2011.05.14 Saturday
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ベッカムMLS、初のお目見え・



ベッカム 遂にMLSデビューを飾る



【8月10日 AFP】MLS、ロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)に所属するデビッド・ベッカム(David Beckham)は、現地9日に行われたD.C.ユナイテッド(D.C. United)戦、1点ビハインドで迎えた後半27分から途中出場し、MLSデビューを飾った。

 試合後にベッカムは、「敗戦には失望している。ただ我々は次の試合を楽しみにしている。我々はD.C.ユナイテッドが何を出来るかを知っていたし、前線が強力なことも分かっていた。D.C.ユナイテッドは先制点を奪い、守りを固めて試合を支配した。我々も終了間際に何度かチャンスを作ったが決めきれなかった」と険しい表情で語った。

 左足首の状態が100パーセントからほど遠いにも関わらず、ベッカムは前半終了10分前からウォーミングアップを開始。足首の状態に関してベッカムは、「今夜は足首の状態はだいぶ良く感じられた。また8週間の間ほとんど何も運動が出来ない状態だったので、プレーするのは難しかった。それでもピッチに戻ってくることが出来てとても嬉しい」と話した。
 
 ベッカムがサイドラインでウォーミングアップを始めると、カメラのフラッシュが一斉にたかれ、RFKスタジアム(RFK Stadium)に集まった4万6千686人の観衆は立ち上がり、スタジアムはベッカムのMLSデビューへの期待に包まれた。そして迎えた後半27分、観衆の望みは叶えられる事になった。

 7月のド派手な入団会見からベッカムがギャラクシーの一員として試合に出場したのは7月21日のチェルシー(Chelsea)との親善試合で後半33分から僅か12分間プレーしたのみだった。その時を除いてベッカムはピッチの外で試合を眺めるばかりで、治療の為にチームメイトと満足に練習さえしていなかった。

 しかしベッカムが怪我で苦しんでいる間もサッカー・ファンとセレブリティたちの間ではギャラクシーの試合のチケットは飛ぶように売れていて、ベッカムが遠征に帯同したものの結局出場しなかった5日のトロントFC(Toronto FC)戦のチケットは完売だった。

 ベッカムが出場したにも関わらず、この日の試合はD.C.ユナイテッドのルシアーノ・エミリオ(Luciano Emilio)の得点でギャラクシーが0-1と敗戦。ギャラクシーは2007シーズンは14試合を消化して3勝5引き分け6敗となっている。しかしチームの調子が今後上昇していくのかと尋ねられたベッカムは、「我々は次の試合を楽しみにしていて、練習に励まなければならない。我々は今までの過程を大切にしていかなければならないし、それを実践しなくてはいけない。チームには多くの才能溢れる選手が集まっているので、それが間もなくピッチの上で反映され、人々に証明されるだろう」と語りチームの上昇に自信を覗かせた。

 ギャラクシーは12日にニューイングランド・レボリューション(New England Revolution)との対戦を控えており、この試合は9月8日に控える欧州選手権2008(Euro 2008)・予選のイスラエル戦にベッカムを招集するか否かを判断する為にイングランド代表のスティーヴ・マクラーレン(Steve McClaren)監督が視察に訪れる予定。マクラーレン監督は同時にMLSのサッカーのクオリティーもその目で確かめる予定になっている。(c)AFP

(写真)主審に向かって大声をあげるベッカム。(c)AFP/TIM SLOAN


デビッド・ベッカム



デビッド・ベッカムの基本情報

名前
本名 デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
愛称 Becks、貴公子
カタカナ
ラテン文字表記 David Robert Joseph BECKHAM
基本情報
国籍 イングランド
誕生日 1975年5月2日(32歳)
出身地 ロンドン
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム ロサンゼルス・ギャラクシー
ポジション MF
背番号 23
利き足 右足
代表歴
出場 96
得点 17
2007年6月7日現在


デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。

レアル・マドリード移籍後はセンターハーフでもプレイ、この経験から守備の意識が高まり、華やかな外見や評判からは想像しがたい献身的な働きを見せている。愛称は「貴公子」「Becks」。

日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。

多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。

イングランド代表として100試合出場を目標。一度マクラーレン監督に構想外を告げられるが、所属チームでの活躍を認められ代表に復帰。

目 次

1 プレイスタイル

2 クラブでの活躍

3 代表での活躍

4 「ベッカム様」

5 余談

6 所属チーム

7 関連項目

8 外部リンク


[1] プレイスタイル
右足の正確なクロスボールとロングパスを得意とする右サイドの典型的なクロッサー、またFKの精度も非常に高く、特に鋭く曲がったFKを得意としている。世界屈指のプレースキッカーとしても知られる。サイドからの組み立てだけでなく運動量も豊富で守備の貢献度も高い。

また、周りの選手と連携することにも優れ、パス交換などからフリーになり、ピンポイントの正確なクロスを上げる。正確なクロスは確実に味方のアシストにつながることが多い。寸分の狂いもないサイドチェンジも彼の武器である。

華麗な容姿とメディアイメージとは裏腹に泥臭いプレーも厭わず、どのような試合でも手を抜かずにフォア・ザ・チームに徹するために技術もさることながら、そのメンタリティーでチームにとっては非常に重宝される。


[2] クラブでの活躍

マンチェスター・ユナイテッド下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の目に止まったことを機に、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、マンチェスターU時代後期はクラブのエース・顔として君臨した。 中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。

レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、このマドリーの中盤前線で明らかにボールキープのテクニックが劣るベッカムは機能せず(またチーム自体がハイクロスを必要としていなかったため)余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。

これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。

2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー(アメリカ合衆国)所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。

するとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後、沈みかけていたチームは再浮上することに成功、4年振り30度目のリーガ制覇を成し遂げた。

この成果に復帰後のベッカムの多大な貢献があったことは確実視され、マドリーファンの多くやメディアを中心に彼を冷遇した監督ないしクラブ上層に対する批判が少なからず行われた。後にカペッロは「賢者は過ちを繰り返さない。」と自分のミスを認める発言を行っている。

その後一部報道ではレアル・マドリードが残留交渉を行っているとも報じられたが、当初の予定通りロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。7月13日に入団会見を行った。


[3] 代表での活躍

1996年の代表デビュー以来、代表に定着。1998年のフランスW杯では準々決勝でアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。

2000年11月よりイングランド代表主将としてチームを引っ張り、日韓W杯、ドイツW杯をはじめとして多くの国際大会に出場した。アルゼンチン戦のPK、エクアドル戦のFKは素晴らしい場面であるが、欧州選手権では大事なPKをミスしたり、ドイツW杯ではケガで途中交代し敗退の憂き目に遭うと優勝することはおろか決勝進出も叶わなかった。

 ドイツW杯の後、会見で「代表主将の座を退く」と発言した。しかし新しく就任したスティーブ・マクラーレン監督の下、新体制のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。しかし、その後イングランド代表は不振が続いた反面、レアル・マドリードで再び出場機会を得た後のベッカムは好調な状態を見せていたことなどから、2007年6月1日に行われたブラジルとの親善試合のメンバーとして約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。

そしてその試合で、新主将であるジョン・テリーの頭上に見事なクロスを上げアシスト。ユーロ2008予選エストニア戦では、クラウチ、オーウェンに見事なアシストを決めた。この経緯から母国では、日韓W杯行きを決めたFKの時と同様に「救世主」と呼ばれ、マクラーレンも彼に対して「今の彼以上の右サイドの選手は、世界中探してもいないだろう」と評価を改めている。なお、本人は代表キャップ100を目指しているようだ。


[4] 「ベッカム様」

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、電通が付けたアダ名が「ベッカム様」。ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。

プレミアシップ発足後、マンチェスターU(プレミアシップ優勝8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。

ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。

この移籍の直後、マンチェスターUはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。

なお、マンチェスターU在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のマンチェスターUは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。

主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。しかし、右サイドを自分が一番活きるポジションだとも言っており、右サイドの方がやりやすいという自覚も持っているようだ。

その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。

一方、チームは彼が加入して以来優勝から遠ざかってしまったことから、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られた。

鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、2006年まで優勝を経験していなかった。攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてクロード・マケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。

それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。2007年シーズンで念願の優勝を果たし批判を打ち消した。

レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウール・ゴンサレスが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。

驚きをもって迎えられたが、本人曰く「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と報道されたが、のちに「空いている番号でどれでもよかった」と語った。


[5] 余談

大和田獏は、ベッカムの別居報道があったときワイドスクランブルにおいて、「ベッカムではなくベッキョムですね」と言った。

複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。

幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。
ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。

左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。

2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。

明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。

「やべっち寿司」にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。

また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。

2002年の日韓ワールドカップ中に、イングランド代表のキャンプ地として兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。

神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。
2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。

持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。

日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)

ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。そのため、BBCのコメディや、イギリスの上流階級人やイングランド地方の人達からは冷やかしで真似される事がある(日本のモノマネ番組でベッカムのそっくりさんが登場した際に、ピーコがベッカム本人より品があると語ったという事からも伺える)。

少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。
2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。

その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。内務省大臣は「取り戻したければマケドニアまで本人が取りに来ることが条件」と発言した。

大臣(女性)はベッカムの熱狂的なファンだったのである。

[6] 所属チーム
マンチェスター・ユナイテッド 1991 - 2003
→プレストン・ノースエンド 1994 - 1995 (loan)
レアル・マドリード 2003 - 2007
ロサンゼルス・ギャラクシー 2007 -

[7] 関連項目
ヴィクトリア・ベッカム
ドバイ
セレブリティー
ベッカムに恋して
GOAL!

[8] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、デビッド・ベッカムに関連するマルチメディアがあります。写真及びビデオ David Beckham



先代:
ロナウド UEFAチャンピオンズリーグMVP
1998-1999 次代:
フェルナンド・レドンド


イングランド代表 - 1998 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 キャンベル | 3 ル・ソー | 4 インス | 5 アダムス | 6 サウスゲイト | 7 ベッカム | 8 バッティ | 9 シアラー | 10 シェリンガム | 11 マクマナマン | 12 ネヴィル | 13 マーティン | 14 アンダートン | 15 マーソン | 16 スコールズ | 17 リー | 18 キーオン | 19 L.ファーディナンド | 20 オーウェン | 21 R.ファーディナンド | 22 フラワーズ | 監督: ホドル

イングランド代表 - 2002 FIFAワールドカップ
1 シーマン | 2 ミルズ | 3 A.コール | 4 シンクレア | 5 ファーディナンド | 6 キャンベル | 7 ベッカム | 8 スコールズ | 9 ファウラー | 10 オーウェン | 11 ヘスキー | 12 ブラウン | 13 マーティン | 14 ブリッジ | 15 キーオン | 16 サウスゲイト | 17 シェリンガム | 18 ハーグリーヴス | 19 J.コール | 20 ヴァッセル | 21 バット | 22 ジェームス | 23 ダイアー | 監督: エリクソン

イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン


カテゴリ: イングランドのサッカー選手 | マンチェスター・ユナイテッドの選手 | レアル・マドリードの選手 | ロサンゼルス・ギャラクシーの選手 | FIFA100 | 1975年生 | 大英帝国勲章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロサンゼルス・ギャラクシーとは



ロサンゼルス・ギャラクシー
原語表記 Los Angeles Galaxy
愛称 Gals、The G's
クラブカラー 金・緑
創設年 1995年
所属リーグ メジャーリーグサッカー
所属ディビジョン ウェスタン・カンファレンス
ホームタウン ロサンゼルス
ホームスタジアム ホーム・デポ・センター
収容人数 27,000
代表者
監督 フランク・ヤロップ
公式サイト 公式サイト

ロサンゼルス・ギャラクシー(Los Angeles Galaxy)はカリフォルニア州、ロサンゼルスにホームを置くメジャーリーグサッカーのサッカークラブ。

目 次

1 概要

2 獲得タイトル

3 著名選手

4 過去の成績

5 平均観客動員(レギュラーシーズン/プレーオフ)

6 外部リンク

[1] 概要

1996年のメジャーリーグサッカー創設時から、籍を置くクラブのうちの一つ。チーム名の「ギャラクシー(銀河)」は、ロサンゼルスが多くのハリウッドの“スター”が集まる街であることに由来する。

1996年から2002年まではアメリカンフットボールのスタジアムであった、ローズボウルをホームスタジアムとしていたが、2003年から、サッカー専用スタジアムを併設するスポーツコンプレックス、ホーム・デポ・センターに移転した。

2005年に同じホーム・デポ・センターをホームスタジアムとするクラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAが誕生した。MLSではそれまでもローカルダービー的なものは存在したものの、同じスタジアムをホームにするクラブが誕生したのは、これが初めてであった。

また、同じ05年には、日本のJリーグクラブである横浜F・マリノスとPSMを行い、0-2で敗れている。

2007年1月12日、レアル・マドリードなどでプレーしたデビッド・ベッカムの加入が決定、7月よりチームに合流した。契約期間は5年と言われている。 5月14日には今季でイングランドのミドルスブラFCを退団した元ポルトガル代表DFアベル・シャヴィエルを自由移籍で獲得した。


[2] 獲得タイトル
MLSカップ
2002年、2005年
サポーターズ・シールド
1998年、2002年
USオープンカップ
2001年、2005年
CONCACAFチャンピオンズカップ
2001年

[3] 著名選手
デビッド・ベッカム(2007-)
アベル・シャヴィエル(2007-)
ランドン・ドノバン(2005-)
洪明甫(2003-2004)
ホルヘ・カンポス(1996-1997)
ダニエル・カリッチマン(1996-1998)
ルイス・エルナンデス(1999-2000、2000-2001)
アンドレアス・ヘルツォーク(2004)
アレクシー・ララス(2001-2003)

[4] 過去の成績
年 レギュラーシーズン プレーオフ オープンカップ
1996 西1位 準優勝 不参加
1997 西2位 ベスト8 不参加
1998 西1位 ベスト4 不参加
1999 西1位 準優勝 ベスト8
2000 西2位 ベスト4 ベスト4
2001 西1位 準優勝 優勝
2002 西1位 優勝 準優勝
2003 西4位 ベスト8 ベスト4
2004 西2位 ベスト4 ベスト16
2005 西4位 優勝 優勝
2006 西5位 -


[5] 平均観客動員(レギュラーシーズン/プレーオフ)
1996年: 28,916人
1997年: 20,626人
1998年: 21,784人
1999年: 17,632人
2000年: 20,400人
2001年: 17,387人
2002年: 19,047人
2003年: 21,983人/20,201人
2004年: 23,809人/20,206人
2005年: 24,204人/17,466人
総計: 21,287

[6] 外部リンク
公式サイト
メジャーリーグサッカー
イースタン・カンファレンス ウエスタン・カンファレンス
レッドブル・ニューヨーク | D.C. ユナイテッド | シカゴ・ファイアー | ニューイングランド・レボリューション | コロンバス・クルー | カンザスシティ・ウィザーズ | トロントFC
ヒューストン・ダイナモ | ロサンゼルス・ギャラクシー | FCダラス | コロラド・ラピッズ | クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USA | レアル・ソルトレーク


カテゴリ: アメリカ合衆国のサッカークラブ | ロサンゼルスのスポーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

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