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アルゼンチン W杯南米予選3連勝

アルゼンチン強いね!!

でも、リケルメも、起伏の多いサッカー人生だけど、

アルゼンチン代表としてのゴールで喜び一杯だし、良かったんだろうね。。



●フアン・ロマン・リケルメとは


フアン・ロマン・リケルメ



フアン・ロマン・リケルメ(Juan Román Riquelme、1978年6月24日 - )は、アルゼンチン出身、同国代表のサッカー選手。

ポジションはMF(ゲームメーカー)。ビジャレアルCF(スペイン)に所属。卓越したゲームメイクのセンスを持ち、

現在のサッカー界では絶滅寸前と言われるクラシックなゲームメーカーであることから恐竜と称されることがある。


○フアン・ロマン・リケルメの基本情報
名前
本名 フアン・ロマン・リケルメ
愛称 ロマン、ロミー
カタカナ フアン・ロマン・リケルメ
ラテン文字 Juan Román RIQUELME
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 1978年6月24日
出身地 ブエノスアイレス
身長 182cm
体重 75kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム ビジャレアルCF
ポジション MF
背番号 16
利き足 右足

代表歴
出場 42
得点 13


目 次

1 クラブチーム
1.1 キャリア始まりとボカ
1.2 FCバルセロナ
1.3 ビジャレアル
1.4 ボカ復帰
1.5 07−08シーズン

2 アルゼンチン代表

3 プレースタイル

4 人物

5 評価

6 タイトル

7 所属チーム



[1] クラブチーム

[1.1] キャリア始まりとボカ

アルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織でキャリアをスタートさせる。当時のポジションは中盤の底のボランチ。

アルヘンティノスの練習場近くに住んでいた元アルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドに見出される。


その後ボカ・ジュニアーズがアルヘンティノスの下部組織を吸収したことによってボカに移籍。

ポジションを現在のトップ下に替える。カルロス・ビアンチの監督就任によって、ボカの10番を背負いレギュラーに定着。

トヨタカップを頂点に数々のタイトルを手に入れた。当初はその独特なプレースタイルにボケンセからブーイングを浴びていたが、

実力でブーイングを歓声へと変えボカの歴史でも有数の人気を得た。

そんな中、弟であるクリスティアンが身代金誘拐されるという事件が起こる。

無事に解放されたものの母国への絶望感と深い心の傷を負い、欧州への移籍を要求。

アルゼンチンリーグでのプレーを拒否するという行動に出た。


[1.2] FCバルセロナ

その後2002年7月に移籍したFCバルセロナでは不遇の時を過ごすこととなる。

移籍初日の記者会見にてルイス・ファン・ハール監督から「君は私の望んだ選手ではない」と前代未聞の宣告をされ、

いざシーズンがスタートしても戦術至上主義のファン・ハールのサッカーとはまるで水が合わず、更に自身も前述の誘拐事件後の

プレー拒否から来るコンディション不良は否めなかった。


ファン・ハール解任後に就任したラドミール・アンティッチ監督からも信頼を勝ち取れず、クラブ低迷打開の救世主として違いを見せることは

できないまま欧州初挑戦のシーズンを終える。


2003年夏、ロナウジーニョが移籍してくるとクラブは彼の付けていた背番号10を取り上げ、1軍練習から締め出すという行動に出る。

このような扱いを受けても決して腐らずに黙々と練習し、その姿はシャビやパトリック・クライファートから賞賛される。

8月に同じスペインのビジャレアルCFへのレンタル移籍が決定した。


[1.3] ビジャレアル

このビジャレアルで復活と躍進を遂げる。2003-2004シーズン途中、監督がベニート・フローロからマヌエル・ペジェグリーニに代わると

戦術も彼を最大限に活かす所謂「王様サッカー」に移行。

チームの中心として輝きを取り戻し始め、クラブ史上初となるUEFAカップのベスト4進出に貢献。

2004-2005シーズンはディエゴ・フォルランとのコンビで旋風を巻き起こし、2年連続出場となったUEFAカップはベスト8、リーグ戦は

クラブ最高位の3位で終えてチャンピオンズリーグ出場権を獲得するという大躍進のシーズンとなった。


2005-2006シーズンのチャンピオンズリーグではベスト4進出の原動力となったが、彼自身のPK失敗によってチームの敗退が決定的となるという

悲劇も味わう。

2006-2007シーズンは、ビジャレアル首脳陣との確執などによってメンバーから外される事が多くなり、2007年2月9日に古巣ボカへの復帰

(レンタル移籍)が発表された。


[1.4] ボカ復帰

かつての王様の帰還をボケンセは大歓迎し彼もそれに結果で応えていく。盟友マルティン・パレルモとのコンビネーションは健在で、

パレルモのゴールの大多数をアシストしている。

コパ・リベルタドーレスでの活躍は圧巻で、グレミオとの決勝戦では5得点全てに絡む活躍を見せチームを4年ぶりの優勝に導いた。


[1.5] 07−08シーズン

ボカとのレンタル期間が終了し、所属はビジャレアルへ。

ボカはリケルメの完全復帰を目指しビジャレアルにオファーしたが、受け入れられなかった。他にもアトレティコ・マドリーなどから

オファーがあったとされるが、結局実らなかった。 一方で、ペジェグリーニ監督の「リケルメ構想外」の姿勢は変わっていない。



[2] アルゼンチン代表

ユース代表での活躍は目覚しいものがあったが、A代表では1997年にデビューするものの、なかなかレギュラーに定着できずにいた。

しかし2004年に就任したユース時代からの恩師ホセ・ペケルマン監督から絶大な信頼を受け、チームの主柱として活躍。

2006年ドイツW杯では敬愛するディエゴ・マラドーナのナンバーである10番を背負った。

チームはベスト8で敗退したが、自身は5アシストを記録しW杯アシスト王に輝いた。


W杯後に新監督として就任したアルフィオ・バシーレ監督にはキャプテンを任され、代表での存在感は更に高まった。

しかし2006年9月12日、彼への過剰なバッシングに耐えられなくなった母親がW杯以降2度も病院に運ばれ、病状が悪化したことを理由に

同国代表からの引退を表明。


「何よりも大事なのは家族」と彼らしい決断であった。2007年に入ると、母親の病状が安定したとの情報もあり代表復帰が噂されるようになる。

2007年6月21日、コパ・アメリカのメンバーに選出され正式に代表復帰した。


[3] プレースタイル

足裏でボールを操る技術(ピサーダ)は世界でも指折り。 絶対的なキープ力とボディバランスをほこり、足元にボールが入った場合は

ファウル以外ではほぼ奪取できず、そこから相手を引き付けて繰り出される長短含めたパスは世界屈指。


得点力もかなりのもので、リーガ・エスパニョーラに於いて毎シーズン10ゴール以上は決めている。

ドライブのかかった強烈なミドルシュートが武器。プレースキックの精度も大変高く、彼を擁するチームのセットプレーは相手チームの

大きな脅威となる。


フリーキックに加えてオリンピックゴール(コーナーキックを直接ゴールに決めること)も得意としている。

チャンピオンズリーグ・アーセナル戦での失敗のイメージが強いが、実際はPKの名手である。


彼の伝説のプレーとしては、ボカ時代に見せたルーレットに股抜きを混ぜたようなものがある。


融通が利かないプレースタイルが致命的な弱点でもある。現代サッカーは選手を「11人の中の1人」として扱うことが基本だが、

リケルメの場合彼を中心としたチーム作りでなければ全く役に立たない上、チームの好不調が彼の出来に反映されがちなのでチームプレイを

重んじる監督の下ではたびたび干される。


どんなに劣勢の試合でも守備はしない。守備中は止まっていることが仕事である。


[4] 人物

貧民街出身。

10人兄弟の長男。

1男2女の父親。

憧れの選手はディエゴ・マラドーナとジネディーヌ・ジダン。

ジダンのサンティアゴ・ベルナベウ最後の試合ではユニフォームを交換し、後日「感激だった」と珍しく大喜びしていた。

パブロ・アイマールと非常に仲が良いことで知られている。

インタビューで「好きな選手は?」との問いには必ず「アイマール」と答える。そのアイマールも「好きな選手は?」との問いには必ず

「リケルメ」と答える。


引退後はアイマールの地元のクラブで一緒にプレーするという計画があるらしい(アイマール発案)。


カルロス・テベスは弟のような存在。

ゴール後にするトッポ・ジージョポーズが有名だが、これの起源として「娘が好きだから説」と

「(ボカ在籍時に揉めていたマウリシオ・マクリ会長に対して)ファンの声が聞こえるかという挑発説」がある。


後者の説は親しい友人たちによって暴露されてしまったもので、彼自身はメディアの前では決して認めない。

ラテン音楽であるクンビアを愛聴している。

だが、ところ構わずクンビアをBGMにするため、あのアイマールですら「これだけは理解できない」と苦笑する。

大変シャイな性格のためインタビューなどは苦手だが、メディアへの対応をこなすうちにかなり改善された模様。

家族愛と友情を何よりも大事にしている。


[5] 評価

国際サッカー連盟(FIFA)技術部門トップであるホルガー・オジェック氏が『世界のファンタジスタ6傑』に指名した事もある。

(フランス代表ジダン、イタリア代表トッティ、ポルトガル代表デコ、『アルゼンチン代表リケルメ』、日本代表中村俊輔、ガーナ代表アッピアー)

コパ・リベルタドーレスMVP(2001年、2007年)

スペイン・マルカ紙の選ぶ最も芸術的な選手(2005年)

2006年ドイツW杯アシスト王


[6] タイトル

ボカ

アルゼンチンプロサッカーリーグ
 前期リーグ - 優勝(1998年、2000年)
 後期リーグ - 優勝(1999年)

コパ・リベルタドーレス - 優勝(2000年、2001年、2007年)
トヨタカップ - 優勝(2000年)
ビジャレアル

UEFAインタートトカップ - 優勝(2004年)
アルゼンチンU-20代表

1997 南米ユース選手権 - 優勝
1997 FIFAワールドユース選手権 - 優勝
個人タイトル

南米年間最優秀選手(2001年)


[7] 所属チーム

1996年 - 2002年 ボカ・ジュニアーズ

2002年 - 2003年 FCバルセロナ

2003年 - 2007年2月 ビジャレアルCF

2007年2月 - 2007年8月 ボカ・ジュニアーズ (レンタル)

2007年8月 - ビジャレアルCF


ビジャレアルCF - 現所属メンバー
1 ビエラ | 2 ゴンサロ | 3 ホセミ | 4 ゴディン | 5 カプデビラ | 6 ホシコ | 7 ピレス | 8 カソルラ | 9 ギジェ・フランコ | 10 カニ | 11 トマソン | 12 シガン | 13 ディエゴ・ロペス | 14 マティ・フェルナンデス | 15 ニハト | 16 ロマン | 17 ハビ・ベンタ | 18 アンヘル | 19 セナ | 20 フエンテス | 21 ブルーノ | 22 ロッシ | 24 マヴュバ |

監督: マヌエル・ペジェグリーニ





アルゼンチン代表 - 2006 FIFAワールドカップ
1 アボンダンシェリ | 2 アジャラ | 3 ソリン | 4 コロッチーニ | 5 カンビアッソ | 6 エインセ | 7 サビオラ | 8 マスチェラーノ | 9 クレスポ | 10 リケルメ | 11 テベス | 12 フランコ | 13 スカローニ | 14 パラシオ | 15 ミリート | 16 アイマール | 17 クフレ | 18 ロドリゲス | 19 メッシ | 20 クルス | 21 ブルディッソ | 22 ゴンサレス | 23 ウスタリ | 監督: ペケルマン

先代:
ロマーリオ 南米年間最優秀選手
2001 次代:
ホセ・カルドーソ

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%A1" より作成
カテゴリ: アルゼンチンのサッカー選手 | ボカ・ジュニアーズの選手 | FCバルセロナの選手 | ビジャレアルの選手 | 1978年生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

JUGEMテーマ:サッカー



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