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  • 2011.05.14 Saturday
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米歌手スピアーズさんが救急車で病院に

ブリトニー、、どうしちゃったんでしょうか。。

ついこのあいだの復活ライブも、超不評だったし、家庭生活も滅茶苦茶だし・・

メンタル的に、相当来てるんですかね・・

何とか、立ち直って欲しいっすけど・・・

ブリトニー・スピアーズ2003年9月のパフォーマンス
ブリトニー・スピアーズ2003年9月のパフォーマンス

○ブリトニー・スピアーズとは

ブリトニー・スピアーズ2004年、ステイプルズ・センターでのパフォーマンス





ブリトニー・スピアーズの基本情報

出生名 Britney Jean Spears
出生日・地 1981年12月2日(26歳)
アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ケントウッド
ジャンル ポップス
活動期間 1996年〜現在
レーベル ジャイヴ・レコード
公式サイト www.britneyspears.com
ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears, 1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の女性歌手。日本での愛称はブリ、ブリちゃんなど。4歳年上の兄がおり、妹は女優でもあるジェイミー・リン・スピアーズ。二児の母。

目 次

1 来歴
1.1 子役デビューから歌手になるまで
1.2 歌手としての成功
1.3 結婚と出産、離婚
1.4 不安定な復帰

2 音楽
2.1 アルバム
2.2 シングル
2.3 DVD/ビデオ

3 日本公演

4 関連作品/商品
4.1 映画
4.2 著書
4.3 ゲーム
4.4 香水

5 受賞/ノミネート
5.1 グラミー賞
5.2 アメリカン・ミュージック・アウォーズ
5.3 TEEN CHOICE AWARDS
5.4 ゴールデンラズベリー賞

6 脚注

7 外部リンク



[1] 来歴

[1.1] 子役デビューから歌手になるまで
8歳の時本格的に芸能界入りし、ディズニー・チャンネルの『ミッキー・マウス・クラブ』の公開オーディションに参加するが、番組には幼すぎるという理由で落選になる。その後テレビCMなどで経験を積み11歳の時に『ミッキー・マウス・クラブ』のオーディションに再挑戦して見事合格。14歳でジャイヴ・レコードと契約する。


[編集] 歌手としての成功
16歳でシングル『...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)』(1998年10月)でデビュー。同シングルはアメリカで100万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。

同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによってプロデュースされ、アメリカだけで1400万枚、全世界で3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。

2000年5月、2枚目のアルバム『Oops...I Did It Again(ウップス…アイ・ディド・イット・アゲイン)』は全米で1000万枚、全世界で1600万枚の売り上げを記録。日本でも35万枚の売上。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。

デビュー当初は清純路線で「結婚するまで処女」と宣言していたが、2000年にイン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクとの交際を告白(のちに破局)。

全米400万枚の認定を受けた3枚目のアルバム『Britney(ブリトニー)』(2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『In The Zone(イン・ザ・ゾーン)』(2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドで聞き手を圧倒した。

同アルバムに収録されている曲『Everytime(エヴリタイム)』のビデオ・クリップでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。2004年に発売されたベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative(マイ・プリロガティヴ)』は日本でも80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。


これまでにリリースした4枚のオリジナル・アルバム全てが全米チャートNo.1を獲得し、全世界トータル・セールス8600万枚以上を誇るスーパーシンガー・アーティスト。


[編集] 結婚と出産、離婚
2004年1月、酔った勢いでネバダ州ラスベガスで幼なじみと結婚するも、すぐに婚姻無効を申請するという騒動を起こした。

9月には妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケビン・フェダーライン(en:Kevin Federline)と結婚。同年11月ベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative(マイ・プリロガティヴ)』を発売(アルバムのタイトルにもなっているヒット曲My Prerogativeはボビー・ブラウンのカバー曲)、休業宣言をし妊娠を公式発表。

2005年9月14日に帝王切開で長男のショーン・プレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いている。公式サイトにてアルバム曲中の『Someday』のPVを披露。大きくなった腹をさするシーンもある。出産数ヵ月後に第二子を妊娠。


2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。11月7日、ケビン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。

理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、スピアーズ側からフェダーラインに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。復縁はないとされている。


スピアーズにはドラッグやアルコールを常用している疑いがあり、子どもより自分を優先する行動、無免許運転による事故といった問題が絶えないため、裁判所は2007年10月に親権を剥奪し、フェダーラインに完全譲渡すると発表した。


AP通信によると元夫フェダーラインとの親権争いの際に裁判所に提出されたスピアーズ本人による会計報告が2007年10月25日に公開された[1]。スピアーズは毎月約737万ドル(日本円で約8400万円、年間約10億)もの収入があるにもかかわらず、一銭も貯金していないことが判明した。

毎月の出費の内訳は、最も高いのが遊興費(娯楽・贈答品・旅行)の10万2000ドル(約1100万円)、次いで2件の住宅ローンに4万9267ドル(約560万円)、被服に1万6000ドル、外食に4758ドルを費やしている。

一方、慈善事業への寄付はわずか500ドルで、教育・貯蓄・投資はゼロとなっている。フェダーラインには子どもの養育費として毎月1万5000ドルを支払っており、そのほかに11月15日までは配偶者扶養費としてフェダーラインに2万ドルを渡していた。


一方、フェダーラインの毎月の出費で最も大きいのは住宅賃貸費の7500ドル(約85万円)。セキュリティーに6000ドル、娯楽・贈答品・旅行に5000ドル、被服に2000ドル、外食に1500ドルを費やしている。


[編集] 不安定な復帰

2007年初頭よりスピアーズは精神不安定の為か突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり、パパラッチを傘で叩いたりなど迷走していた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。

ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど芸能界復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10ヶ月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴのライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。


フロリダ州オーランドとマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで『Do Somethin'』を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。

7月、シンディ・ローパーのコンサートに特別出演する予定だったスピアーズが急きょ出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためといわれる。

8月に新曲『Gimme More』を発表。楽曲の評価は比較的高いが、9月にMTV Video Music Awardsでパフォーマンスをし、高視聴率をマークする事は出来たが精彩を欠き、華々しい復活を印象付けることはできなかった。

ダンスにまるでキレがないうえに顔は無表情であり、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち、口パクのタイミングも合っていなかった。このため各メディアやネット上で酷評を受けた。スピアーズが本番で集中力を欠いたのは同授賞式で司会を務めた女性コメディアンのサラ・シルバーマンのネタが原因であるという報道が一部であった。

サラが「ブリトニーの子供って本当に可愛いよね。あんなに可愛いミステイク(間違えて出来ちゃった子供の意)は見た事ないわ」と述べているのをリハーサルで聞いて大変なショックを受けた為に本番で放心状態になってしまったとする報道内容である。

しかしサラは「ネタを事前のリハーサルで全部明かす事はありません」と上記のネタは本番で初めて披露したのであって、リハーサルでは披露していないと報道内容を否定した。

11月に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『ブラックアウト』を発売する予定だったが、インターネット上での流失があまりにひどいために、急遽10月30日に発売が早まった。

アートワークの中には挑発的な服装をしたスピアーズが教会の懺悔室の中で神父と並んで写っている写真があり(うち1枚は彼女が神父の膝の上に乗っている)、カトリック教会から「教会を嘲るのをやめ、エンターテイナーとして徹するべきだ」「彼女は壊れている」と強い抗議を受けた。なお、日本版の発売は予定通り11月14日である。

ビルボードチャートでは1週間に29万枚のセールスを記録し、5作連続の1位も期待されたが、イーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』に阻まれ初登場2位。『ブラックアウト』は全世界で既に300万枚の売り上げを突破した。

2008年1月3日、ロサンゼルスの自宅から救急車で病院に搬送された。


[編集] 音楽

[編集] アルバム

ベイビー・ワン・モア・タイム - ...Baby One More Time (1999)

ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again (2000)

ブリトニー - Britney (2001)

イン・ザ・ゾーン - In The Zone (2003)

グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ - Greatest Hits: My Prerogative (2004)

B・イン・ザ・ミックス - B in the Mix: The Remixes (2005)

ブラックアウト - Blackout (2007)


[編集] シングル

...Baby One More Time (1998)

サムタイムス - Sometimes (1999)

クレイジー(You Drive Me) Crazy (1999)

Born To Make You Happy (1999)

From The Bottom Of My Broken Heart (1999)

ウップス…! アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again (2000)

ラッキーLucky (2000)

ストロンガー - Stronger (2000)

Don't Let Me Be The Last To Know (2001)

アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー - I'm A Slave 4 U (2001)

オーヴァープロテクテッド - Overprotected (2001)

ノット・ア・ガール (楽曲) - I'm Not A Girl, Not Yet A Woman (2002)

アイ・ラヴ・ロックンロール - I Love Rock 'N' Roll (2002)

ボーイズBoys (2002)

Anticipating (2002)

ミー・アゲインスト・ザ・ミュージック feat. Madonna Me Against The Music (2003)

トキシック Toxic (2004)

エヴリタイム - Everytime (2004)

アウトレイジャス - Outrageous (2004)

マイ・プリロガティブ - My Prerogative (2004)

Do Somethin' (2005)

Someday (I Will Understand) (2005)

And Then We Kiss (2005)

Gimme More (2007)

Piece Of Me (2008)


[編集] DVD/ビデオ
タイム・アウト・ウィズ・ブリトニー・スピアーズ - Time Out with Britney Spears (1999)
ライヴ・アンド・モア! - Live And More (2001)
ブリトニー: ザ・ビデオ - Britney: The Video (2001)
ライヴ・フロム・ラス・ヴェガス - Live From Las Vegas (2002)
イン・ザ・ゾーン - In The Zone (2004)
グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ DVD - Greatest Hits: My Prerogative DVD(2004)

[編集] 日本公演
2002年 "Britney Spears The Tour"
4月25日 東京ドーム

[編集] 関連作品/商品

[編集] 映画
"オースティン・パワーズ ゴールドメンバー"(カメオ出演)
挿入曲「Boys
"ノット・ア・ガール(Crossroads)"(主演)
主題歌「I'm Not A Girl, Not Yet A Woman」

[編集] 著書
"Britney Spears' Heart To Heart"(母親リンと共著)
"A Mother 's Gift" (母親リンと共著)

[編集] ゲーム
"Britney's Dance Beat"(プレイステーション2)

[編集] 香水
"Curious"
"Fantasy"
"Curious In Control-New Limited Edition"
"Midnight Fantasy"
"Believe"
"Curious Heart"

[編集] 受賞/ノミネート

[編集] グラミー賞
2000 "Best New Artist" ノミネート
2001 "Favorite Female Artist Pop or Rock Music" ノミネート
2001 "Favorite Album Pop or Rock Music" ノミネート
2005 "Best Dance Recording" 受賞

[編集] アメリカン・ミュージック・アウォーズ
2000 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
2000 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
2001 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
2001 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート

[編集] TEEN CHOICE AWARDS
2000 "Favorite Female Artist" 受賞
2000 "Female Hottie of the year" 受賞

[編集] ゴールデンラズベリー賞
最低主演女優賞:『ノット・ア・ガール』
最低主題歌賞:『I'm Not A Girl, Not Yet A Woman』(『ノット・ア・ガール』)
最低助演女優賞:『華氏911』

[編集] 脚注
^ CNN.com " Spears papers show lavish spending, no savings"(英文)
^ Another damage control reason... from Breatheheavy, of course/LiVEJOURNAL(英文)
^ 米歌手スピアーズさんが救急車で病院に

[編集] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ブリトニー・スピアーズに関連するマルチメディアがあります。ウィキメディア・コモンズには、ブリトニー・スピアーズに関連するカテゴリがあります。公式サイト(英語)
BMG Japan(日本語)
ジャイヴ・レコード(英語)
ブリトニー・スピアーズ 公式 MySpace
ブリトニー・スピアーズ歌詞
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BA" より作成
カテゴリ: 節現在進行 | 子役 | アメリカ合衆国の歌手 | グラミー賞受賞者 | ラジー賞受賞者 | ルイジアナ州の人物 | イングランド系アメリカ人 | 1981年生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
JUGEMテーマ:音楽



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